第一話 紅包

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「それじゃあ、後はよろしくお願いしますよー」  いつもの如く案件を丸投げして、鈴木はそそくさと帰ってしまった。  陰陽局の人員は少なく、度々問題が起こる常夜街の担当である鈴木は忙しい身だ。だが、何となくサボっている感の拭えない、胡散臭いくさい男でもある。  鈴木を見送った後、白蓮は「さて」と片手で扇を器用に広げた。隣に立つ大河を手招きし、口元を隠して小声で囁く。  ふんふんと頷いていた大河の顔が途中で嫌そうに歪んだが、反論を封じるようにぱちりと扇が閉じられた。  白蓮は茉衣子に向き直って告げる。 「浅川さん。しばらくこちらで待っていてもらえますか? 私は準備がありますので」 「え……あ、あの……」  戸惑う茉衣子をよそに、白蓮は優雅な足取りでさっさと出て行ってしまった。  鈴木と白蓮がいなくなり、茉衣子の顔が不安で一気に曇る。  それもそうだろう。頼りになりそうな大人の白蓮でなく、まだ子供の大河と置き去りにされたのだから。  しかし大河はからりと笑いながら、途方に暮れる茉衣子を店の奥の部屋へと案内する。 「大丈夫。こっちの部屋にどうぞ」  茉衣子が通されたのは、六畳くらいの部屋だ。棚と小さな座卓があるだけで、透かし彫りの窓の白紙が外の灯りを滲ませている。 「そこに座ってて……あ、タメ口でもいいかな? 俺、敬語あんまり得意じゃなくて」 「は、はい」 「あはは、俺の方が年下なんだし、お姉さんが敬語使うことないよ」 「あ……うん」  大河の気さくな口調と余裕のある態度につられてか、茉衣子は少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。  大河が壁に何やら黄色い(ふだ)のようなものを貼っていく様子を眺めながら、茉衣子は首を傾げる。 「あの……それは?」 「これは呪符(じゅふ)って言って、神社の御札みたいなやつ。結界を張って、あなたに悪い奴らが近づけないようにするんだ。白蓮が作ったから効果抜群だよ」  赤い文字が書かれた呪符は、接着剤を使っているわけでもないのに、大河が人差し指と中指で壁に押し付けるとぴたりと貼りつく。天井へ投げた呪符もまた、そのままぺたりと貼り付いた。  手際よく呪符を貼る大河に、茉衣子は尋ねる。 「(きみ)も、その、そういうお化けとかを退治するの? 霊能者とか、陰陽師とか……」 「うーん、陰陽師ではないよ。『道士(どうし)』って知ってる?」 「どうし?」 「道教の修行者のことだよ。ええと、道教は中国に昔からある信仰で、その教えを守って修行を積んで、占いをしたり祭りや儀式を取り仕切ったりする人達のこと。日本で言う修行僧とか山伏みたいな感じかな。  でも常夜街(ここ)だと、ちょっと違ってくる。キョンシー映画、見たことある? それに出てくる道士に近いかな。古代中国で、仙人になるための修行をしたり、呪術を使って妖怪や悪者退治したりする方のやつ。『方士(ほうし)』って呼ばれることもある。日本だと陰陽師みたいな感じ」 「キョンシー……」  茉衣子は、キョンシーと呼ばれるゾンビが出てくるホラーコメディ映画を思い出す。  主人公はたしかに『道士』や『道長』と呼ばれ、袖の大きな黄色い服を着て、剣や呪符、いろいろな術を使ってゾンビと戦っていた。 「もともと陰陽道も道教が日本に伝わってできたもの……だったっけ? うーん、白蓮からいろいろ教えてもらっているけど、俺、まだ修行中でさ」 「白蓮さんも道士なの?」 「うん。めちゃくちゃ強いよ」  大河は自慢げに、満面の笑みで答えた。  そうして、大河は最後の一枚を扉の中央に貼り付ける前に、一度部屋を出る。戻ってきた時には、両手に駄菓子の籠とお茶の入ったポットを持っていた。  ついでというように小脇に挟むのは、鞘に収まった剣である。 「お茶にしようよ。月餅や馬拉糕(マーラーカオ)もあるよ」  どこか呑気な大河に呆気にとられつつ、茉衣子は頷いた。  しばらくの間、駄菓子や月餅を摘まみつつ、温かな玄米茶を飲む。もっとも、茉衣子は食欲が無いようで、白い茶器を手持ち無沙汰に弄っていた。  茉衣子は、大河の傍らに置かれた剣をちらちらと見る。  白い鞘と剣の(つば)部分には繊細な蓮の意匠が施され、見るからに立派な造りをしている。柄頭には紫色の玉の付いた房飾りが付いていた。  大河は軽々と持っていたが、机に置かれた時に「ごとり」と重い音がしたので、レプリカなどではなさそうだ。 「……それって、本物なの?」 「え、偽物持ち歩いてどうするの?」  茉衣子の問いに、きょとんと大河は返す。だが、すぐに思い直して「ああ、地上じゃ銃刀法違反になるんだっけ」とぼやいた。 「常夜街じゃ、自分で身を守らないといけないからね。ま、普段そこまで使うことはないけど」  大河は白い鞘をさらりと指で撫でる。 「『暘谷(ようこく)』っていうんだ。白蓮から譲ってもらった」  大河の頬が緩む。嬉しそうで少し誇らしげなその表情に、茉衣子は思わず尋ねる。 「あなたと白蓮さんって、どういう関係なの?」 「一応は師匠と弟子かな。あ、育ての親でもあるよ」 「……育ての親?」 「うん。俺、小っちゃい頃に白蓮に拾ってもらったんだ」  大河の告白はあっさりしたものだが、茉衣子は明るく溌溂とした少年の過去に目を瞠る。  本当の親は、なんて踏み込んだ質問はできるはずもなくて、茉衣子は気まずげに口を閉ざす。しかし大河は気にした様子も無く、蓮の白餡入りの月餅を大きく頬張った。
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