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「それじゃあ、後はよろしくお願いしますよー」
いつもの如く案件を丸投げして、鈴木はそそくさと帰ってしまった。
陰陽局の人員は少なく、度々問題が起こる常夜街の担当である鈴木は忙しい身だ。だが、何となくサボっている感の拭えない、胡散臭いくさい男でもある。
鈴木を見送った後、白蓮は「さて」と片手で扇を器用に広げた。隣に立つ大河を手招きし、口元を隠して小声で囁く。
ふんふんと頷いていた大河の顔が途中で嫌そうに歪んだが、反論を封じるようにぱちりと扇が閉じられた。
白蓮は茉衣子に向き直って告げる。
「浅川さん。しばらくこちらで待っていてもらえますか? 私は準備がありますので」
「え……あ、あの……」
戸惑う茉衣子をよそに、白蓮は優雅な足取りでさっさと出て行ってしまった。
鈴木と白蓮がいなくなり、茉衣子の顔が不安で一気に曇る。
それもそうだろう。頼りになりそうな大人の白蓮でなく、まだ子供の大河と置き去りにされたのだから。
しかし大河はからりと笑いながら、途方に暮れる茉衣子を店の奥の部屋へと案内する。
「大丈夫。こっちの部屋にどうぞ」
茉衣子が通されたのは、六畳くらいの部屋だ。棚と小さな座卓があるだけで、透かし彫りの窓の白紙が外の灯りを滲ませている。
「そこに座ってて……あ、タメ口でもいいかな? 俺、敬語あんまり得意じゃなくて」
「は、はい」
「あはは、俺の方が年下なんだし、お姉さんが敬語使うことないよ」
「あ……うん」
大河の気さくな口調と余裕のある態度につられてか、茉衣子は少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。
大河が壁に何やら黄色い札のようなものを貼っていく様子を眺めながら、茉衣子は首を傾げる。
「あの……それは?」
「これは呪符って言って、神社の御札みたいなやつ。結界を張って、あなたに悪い奴らが近づけないようにするんだ。白蓮が作ったから効果抜群だよ」
赤い文字が書かれた呪符は、接着剤を使っているわけでもないのに、大河が人差し指と中指で壁に押し付けるとぴたりと貼りつく。天井へ投げた呪符もまた、そのままぺたりと貼り付いた。
手際よく呪符を貼る大河に、茉衣子は尋ねる。
「君も、その、そういうお化けとかを退治するの? 霊能者とか、陰陽師とか……」
「うーん、陰陽師ではないよ。『道士』って知ってる?」
「どうし?」
「道教の修行者のことだよ。ええと、道教は中国に昔からある信仰で、その教えを守って修行を積んで、占いをしたり祭りや儀式を取り仕切ったりする人達のこと。日本で言う修行僧とか山伏みたいな感じかな。
でも常夜街だと、ちょっと違ってくる。キョンシー映画、見たことある? それに出てくる道士に近いかな。古代中国で、仙人になるための修行をしたり、呪術を使って妖怪や悪者退治したりする方のやつ。『方士』って呼ばれることもある。日本だと陰陽師みたいな感じ」
「キョンシー……」
茉衣子は、キョンシーと呼ばれるゾンビが出てくるホラーコメディ映画を思い出す。
主人公はたしかに『道士』や『道長』と呼ばれ、袖の大きな黄色い服を着て、剣や呪符、いろいろな術を使ってゾンビと戦っていた。
「もともと陰陽道も道教が日本に伝わってできたもの……だったっけ? うーん、白蓮からいろいろ教えてもらっているけど、俺、まだ修行中でさ」
「白蓮さんも道士なの?」
「うん。めちゃくちゃ強いよ」
大河は自慢げに、満面の笑みで答えた。
そうして、大河は最後の一枚を扉の中央に貼り付ける前に、一度部屋を出る。戻ってきた時には、両手に駄菓子の籠とお茶の入ったポットを持っていた。
ついでというように小脇に挟むのは、鞘に収まった剣である。
「お茶にしようよ。月餅や馬拉糕もあるよ」
どこか呑気な大河に呆気にとられつつ、茉衣子は頷いた。
しばらくの間、駄菓子や月餅を摘まみつつ、温かな玄米茶を飲む。もっとも、茉衣子は食欲が無いようで、白い茶器を手持ち無沙汰に弄っていた。
茉衣子は、大河の傍らに置かれた剣をちらちらと見る。
白い鞘と剣の鍔部分には繊細な蓮の意匠が施され、見るからに立派な造りをしている。柄頭には紫色の玉の付いた房飾りが付いていた。
大河は軽々と持っていたが、机に置かれた時に「ごとり」と重い音がしたので、レプリカなどではなさそうだ。
「……それって、本物なの?」
「え、偽物持ち歩いてどうするの?」
茉衣子の問いに、きょとんと大河は返す。だが、すぐに思い直して「ああ、地上じゃ銃刀法違反になるんだっけ」とぼやいた。
「常夜街じゃ、自分で身を守らないといけないからね。ま、普段そこまで使うことはないけど」
大河は白い鞘をさらりと指で撫でる。
「『暘谷』っていうんだ。白蓮から譲ってもらった」
大河の頬が緩む。嬉しそうで少し誇らしげなその表情に、茉衣子は思わず尋ねる。
「あなたと白蓮さんって、どういう関係なの?」
「一応は師匠と弟子かな。あ、育ての親でもあるよ」
「……育ての親?」
「うん。俺、小っちゃい頃に白蓮に拾ってもらったんだ」
大河の告白はあっさりしたものだが、茉衣子は明るく溌溂とした少年の過去に目を瞠る。
本当の親は、なんて踏み込んだ質問はできるはずもなくて、茉衣子は気まずげに口を閉ざす。しかし大河は気にした様子も無く、蓮の白餡入りの月餅を大きく頬張った。
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