佐々山電鉄応援団 第3巻

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群馬県立渋沢実業高校 9月1日。 午前7時50分。 榛名山の澄み切った秋空と言いたい処だが、真夏のような暑い日だった。 僕は、佐々山電鉄の渋沢駅前に居る。 学校の制服。 「美佳ちゃん遅いなぁ」  佐々山電鉄・渋沢駅は、沼川市から榛名山頂に抜ける県道33号線の脇にある。  昭和31年まで、前橋市や高崎市から沼川市を経由して渋沢温泉まで渋沢軌道という路面電車が走っていた。  佐々山電鉄の渋沢駅は、その路面電車の駅があった場所より少しだけ手前にある。  駅前には、峠の公園という場所があって、茶色とクリーム色の当時の渋沢軌道の路面電車が展示されている。 佐々山電鉄が8月2日に運行停止してから初めて沿線高校三校が一斉に始業式を迎える。  案の定、バスが足りないし生徒の積み残し、道路渋滞によるトラブルから各学校は一時間遅れの処置を余儀なくされていた。  渋沢駅前も、沼川市に向かう通勤通学利用者が代行バスの乗車を待っている。  愛理は、一時間早く家を出たけど、未だに学校につけず渋滞に巻き込まれているとメールが来た。  僕も一本早いバスに乗ったけど、結局は電車と同じ時間に渋沢駅に到着する始末。  これが、毎日続くとなると気が沈む。  美佳ちゃんは、渋沢温泉のホテルの従業員家族寮で母親と住んでいて、直接学校に行く方が早いけど、僕と駅で合流してから登校するのが毎日の流れに なっている。 「おはよう」  その声は、美佳ちゃんではなかった。  西村さん。本当は防衛大学の学生だ。  任務中は女子高生になりきる。 「転校初日だから我慢するけど。慣れてきたらスカートの丈を詰めようかなぁ」  支給された制服に不満があるようだ。 「今時の女子高生で、標準丈のスカートってさぁ。神林さん。真面目過ぎだよねぇ」  僕が、じーっと西村さんのスカートを見ていると「エッチ」と悪戯に微笑んだ。 「それでホイホイちゃんは?」と聞いた。 「美佳ちゃんの事?」 「あははっ。ゴメンね。そう美佳ちゃん」  初対面時の西村さんは真面目に見えた。  役に入りきっているのだか、本来の西村さんの性格なのか解らないけど普通に何処にでもいる女子高生になっている。 「うん。美佳ちゃんの前でホイホイちゃんは言わない方が良いよ。気にしてるから」 「ほい。言わないよ」とペロッと舌を出す。 そして西村さんはクスクスと笑った。 西村さんは演技派だ。 「なんかイメージ違いますね」 「そりゃそうだよ。潜入任務だからね」 「長谷川君も?」 「あー。アイツは本当の高校生だからね」  長谷川君は、沼川市の群馬県立沼川工業高校の土木科に転入している。 その時だった。 「おう。優。待たせたな」  美佳ちゃんがポテポテと坂道を下ってきた。 渋沢温泉は階段や坂道ばかりの街だ。  そして、絶対に観光客が知らないし、迷い込んではいけない路地もあったりする。  地元の人だけしか入浴出来ない秘密の温泉があったり、昔の赤線と呼ばれていた廃屋がある路地は地元の人でも近づかない。そして閉鎖された立ち入り禁止の謎のトンネルがあったりする。  実際に、榛名山の公道で自動車レースをする漫画が人気で、渋沢町や渋沢町が町おこしの一環で聖地巡礼のコラボ企画を推進していた。この漫画の主人公と同じ名前の佐々山電鉄の藤原運転士は、あの小湯線脱線事故の当該運転士だったためSNSで「電車で峠を攻めて事故った?」と不謹慎な書き込みが一時期だが話題になった。  藤原運転士は、前橋市内の病院に入院していたけど先日退院したそうだ。    美佳ちゃんは、沼川市内の古本屋で原作の漫画をまとめ買いしてハマっている。  とても、眠そうな顔。 「おはよう」  美佳ちゃんの制服のスカートが短い。 必至で、スカートを手で伸ばしている。  あの事故の日に着ていた制服は標準丈。 「可愛い。ちょとズルいよぉ。裏切者」 西村さんは、羨ましそうに叫んだ。 「いくら間に合わせだからってなぁ」  僕のは、クリーニングをすれば着られる程度だったけど、美佳ちゃんの制服は損傷が激しいので佐々山電鉄が弁償する話になっていた。 「女子って何でスカート短くするのかね」  採寸はしたけど、始業式に間に合わないので、美佳ちゃんママが勤めている ホテル従業員で渋沢実業高校の卒業生から譲渡された制服を着てきた。  ジャンパースカートの丈が詰めて短く改造してある制服だった。  西村さんが「アタシのと交換する?」  短いスカートの裾を左手で抑えて歩く美佳ちゃんは「できればお願い」と真顔。 「短すぎて、下にハーパンも履けないよ」  西村さんは「慣れれば気にならないよ」と笑う。 美佳ちゃんは「落ち着かねぇ」とぼやく。 「それは、そうと遅かったね。美佳ちゃん」 「あー。今日が始業式なの忘れてた。慌てて着替えて出てきたからな」  美佳ちゃんは、普通に家族寮でパジャマのままテレビを見ていて、パンとコーヒーで軽めの朝食中に、今日が始業式だというテレビ報道で、自分も学校にいかなきゃと気が付いたらしい。 「テレビを見なきゃ。アタシは始業式からサボりだったよ。あぶねー」 「うーん。美佳ちゃんらしいね」 「優。あとで宿題をみせてくれ」  美佳ちゃんは、髪の毛がボサボサ。  西村さんは「女の子なんだからぁ」とブラシで歩きながら美佳ちゃんの髪を撫でている。  美佳ちゃんは学校が近づくと少し憂鬱そうな顔をした。  僕は、不思議なのはクラスメートで親友の早苗ちゃんと美佳ちゃんは一緒に登下校しない事だ。同じ敷地に居るのに、美佳ちゃんも早苗ちゃんも別行動。  美佳ちゃんは、「一応はホテルの御令嬢いわば雇用主と使用人の娘だからな。ホテルの敷地内だとアタシも気を使っているんだ。早苗は気にしてないがな」  そして「あの事故以来、気まずいからアタシ的には都合良い部分もある」  なんとなく僕は理解した。 「早苗って、佐々電の事故の所為で婆さんが亡くなったって思ってるじゃん。 「うん」 それでアタシが佐々山電鉄応援団って気まずいよなぁ」とため息を吐く。  伊藤早苗。 渋沢温泉で老舗ホテルの御令嬢。 ホテル伊藤は、渋沢温泉の看板的な宿だ。  美佳ちゃんママも働いている関係で、美佳ちゃんは小学校の時から、同い年の早苗ちゃんとは親友だ。  子供同士が親友でも、やはり大人には大人の人間関係があり美佳ちゃんが早苗ちゃんを呼び捨てにしたり、妙な遊びや趣味に引き込んでもいけない。  佐々山電鉄応援団という組織も現在は僕と美佳ちゃん、愛理も入会して便宜上だけど西村さんと長谷川君も入会している。 でも、早苗ちゃんには声を掛けなかった。  そもそも、早苗ちゃんは渋沢実業高校の観光科よりも前橋市や高崎市にある進学校に余裕で通える学力はあった。  でも、渋沢実業高校には観光科があり、地域の観光施設やホテル、旅館などでの実習もある為、ホテル伊藤も実習場所として協力関係にあった事から入学している。  学校は温泉街から離れた渋沢町の役場の近くにある。  普通科と実業科で校舎は別。  同じ学校で、同じ制服を着用していても偏差値も待遇も公立高校なのに差があるのが特徴。  西村さんは普通科。 僕と美佳ちゃんは、観光科なので実業系。  西村さんは転校の事務手続きがあるので事務室に寄るという。 「じゃ、また」と手を振る。  僕と美佳ちゃんは、西村さんと別れて自分達の教室に向かった。  教室には、半分くらいの生徒しかいなかった。まだ早苗ちゃんは居なかった。 美佳ちゃんは、ホッとした顔で 「ほいほい。おはよう諸君」 そう言いながら教室に入っていった。  まず女子が反応した。 「うわっ。美佳のスカート短くなってる」 「可愛いじゃん」 男子も「佐藤ってよく見ると可愛いよな」  美佳ちゃんは、怪我した右手を左手で指さして「いやいや。アタシの制服よりさぁ。ケガ大丈夫とか。大変だったねとか無い?」と自分の怪我をアピールした。 「あー。そうだ。佐々電の事故。大変だったね。ニュースで美佳と鈴木の名前を聞いてさぁ。なんで美佳と鈴木って必ずペアで動いてるのかって笑っちゃったよ」  美佳ちゃんは「人が死にそうな目に遭ったのに笑うなよ」と殴る真似をした。 「それにしても、今日の美佳。可愛すぎ」  美佳ちゃんは、制服の高評価を受けてご満悦な顔をしている。 「まぁ。アタシが可愛いのは元からだよ」  あんなに嫌がっていたのに美佳ちゃんは「よっしゃぁ。明日もミニで通学するぞ」と朝とは全く逆のことを言いだした。  ショートホームルームで、担任の山田先生が「半分しか居ないなぁ。自習って言っても教科書が無いからな。宿題の見直しでもしていてくれ」と言って出て行った。  思い出したように「おっ、鈴木、佐藤美佳。生きていて何より。大変だったな」  担任の山田先生は、二十六歳の女性。アニメ好きで、教員用の駐車場にアニメの絵が描かれた痛車と呼ばれる軽自動車で恥ずかしげもなく通勤するツワモノだ。  それゆえに、生徒に示しがつかないと教頭先生から目の敵にされている。 「宿題の見直しかぁ。優。ノート見せろ。  僕がノートを差し出すと、美佳ちゃんは奪うように「右手が使えん。優、写してくれ」と僕にノートを返して、美佳ちゃんは自分のノートを出そうとリュックを開けた。美佳ちゃんがリュックを開けると、「えっ」と叫んで直ぐに閉じた。そして青ざめた。 「どうしたの?」 美佳ちゃんは小声で 「ギャッピ市松が入ってる」 僕が覗き込むと金髪の髪の毛が見えた。 「なんで?」と僕が聞くと美佳ちゃんは 「コイツ。アタシのリュックを寝袋代わりにしていたんだよ。寝ぼけて中身を 確認しないで持ってきちゃったよ」 「寝てるみたいだから、教室の後ろのロッカーにでも入れておけば?」 「ギャピ市松が学校で浮遊でもしたら大騒ぎだからな」と美佳ちゃんが教室の後ろの方に向かう。  暫くして、他のバス代行で遅れた生徒達が登校してきた。  口々に「佐々電が走らないとヤバイよ」 「これから毎日コレかよぉ」と愚痴る。  早苗ちゃんも登校してきた。 地元だけど、電車通学の生徒達と一緒に来た。一瞬、誰だか解らなかった  美佳ちゃんが気まずそうにしていると早苗ちゃんはニコニコしながら「美佳。おはよう。大変だったね」と声を掛けてきた。  美佳ちゃんが、何かを言おうとしたけど、早苗ちゃんが遮った。 「人間は、いつか必ず死んじゃうんだよ」  僕も美佳ちゃんも返す言葉が無い。 「でも問題は、寿命や病気じゃなくて。第三者によって大事な人の命が奪われるのは残された人間の受け入れ方の問題かな」  僕も美佳ちゃんも、早苗ちゃんが言っている意味が理解できていなかった。 「もう終わった事よ。でも、それが始まり」  老舗ホテルの御令嬢の早苗ちゃんは、色白で細身。物静かで大人しい性格だった。  でも、僕達の前に居る早苗ちゃんは夏休み前の印象とは異なり、日焼けした小麦色の肌、そして腕や足に絆創膏が複数ある。  髪型も、少しだけど短くなった気がする。 僕と美佳ちゃんは不思議そうな顔をする。 「ふふふっ。ちょっとイメチェンだよ」  そういうと「それよりさ。こないだ。雨宮京子がさ。ウチのホテルに泊まりに来た」  教室で喋っていたクラスメートが一斉に静まり返った。絶対的なタブーがある。  普通のクラスとは違う反応。 観光科という特殊な学科ゆえの反応だ。 早苗ちゃんは「やべっ」と口を塞いだ。  ホテルや旅館に関わる人間は、宿泊されるお客様の個人情報はおろか宿泊している事すら外部に漏洩しないのが掟。 まして老舗ホテルの早苗が掟を破った。  早苗ちゃんは立ち上がりペコっと頭を下げると、口に人差し指を充ててシーっとポーズをとった。 再び、教室がザワザワと騒がしくなる。 「あぶねー」  早苗ちゃんはホッとした顔をすると、美佳ちゃんが「早苗らしくも無い」と笑った。  宿泊関係者は、お客様情報を無闇に語ってはいけない。まして有名人なら何処にマスコミやファンが聞いているかも解らない。情報漏洩の出所が宿泊関係者なら、今後の信用問題、業界からの利用自粛などに繋がりかねない。  僕と美佳ちゃんは、席に座り宿題の見直しを始めた。  美佳ちゃんは、ギャピ市松の入っていたリュックに宿題も居れていたらしいのでプリントがシワになっている。
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