*歌のない世界*

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 俺は家に戻り、彼女から手話の手ほどきを受けることになった。「こんにちは」や「ありがとう」などの簡単な挨拶からはじまり、身の周りの物の名前を少しづつ憶えてゆく。初めは似たような動きや形を区別できなくて、たくさん間違えたし、間違えた。だが、人間の脳はすごいもので、毎日手話漬けの暮しを送っていると、次第に目や手が慣れてくるのである。彼女の付きっきりの特訓のおかげだった。一人でネットも検索できる。図書館で絵文字の本を読み、歴史を調べることだってできた。そして、三週間も経つ頃には、この世界のあらましが分ってきた。  ここには、元の世界にあった色々な物事が欠けていた。マイクやスピーカーなど、音を扱う機械はどこにも存在しなかった。もちろんラジオもない。テレビは無音である。コンピューターの性能は俺たちのものと遜色ないが、スマートフォンを含む携帯電話がなかった。人間の歴史上、そもそも電話が発明されなかったのだ。  文字が使われていないのは、さっき触れた通りである。よく考えてみれば当然だった。漢字も平仮名もラテン文字もアラビア文字も、皆、話言葉を表すために発達してきたからだ。そして、驚いたことに数字もなかった。俺たちに馴染みのある0から9までの数字は、昔のインドの文字に由来すると聞いたことがある。代りに人々は、手話の様子をそのまま絵に描いたり、縄を模した図形を書いたりして、出来事や数を記録してきたらしい。  夜、ベランダに出て街を眺める。ここはいくぶん暗いが、駅のほうは燃えているみたいに眩しい。遠くの電光掲示板に手話のアニメーションが流れている。色とりどりの光があちこちを飛び交っていた。ただ、ぞっとするほど静かだ。車のクラクションも、踏切の警報音もない。手と光に支配された世界である。  俺は今まで、音楽にどっぷり浸かった生活を送ってきた。歌は俺の命である。だから、この世界で歌や楽器を見つけられなかったことが、俺にとっては一番さみしかった。  俺ははじめ、この世界の人々は耳が機能しないのかと思っていた。ところが、実際には、体のつくりは俺たちと全く一緒だった。聴力はあるから、鳥の声を楽しんだり、風鈴の()に心を落ち着かせたりすることだってできる。ただし、声を言葉として使わないせいか、耳の良さは赤ん坊と同程度らしかった。音を聴き分ける力が鍛えられていないのである。俺たちが毛布の触り心地を楽しんだり、花の香りに心を落ち着かせたりするのと大差ない。まして、音楽から物語を感じ取ることなど、とうてい無茶な話だった。  自分の部屋のクローゼットは、もうさんざん探し回った。だが、思い出の楽器も、書き溜めた楽譜も見つからなかった。この世界の俺は、音楽を全然知らなかったらしい。一体、何に喜びを見つけて生きてきたのだろう。声と音の世界から来た俺には、想像もつかない。  静かな街に俺の溜息だけが響く。目に映る景色は彩やかだが、心の風景は灰色だった。
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