*歌のない世界*

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 俺は駅前の家電量販店に入った。店員たちが俺を見て、一斉に〈いらっしゃいませ!〉の手話をしてくれる。 〈あの、すみません〉  品出しをしていた若い店員にをかける。彼は笑顔で対応してくれた。 〈なんでしょう。何かお探しですか?〉  俺は、「マイクとアンプが欲しい」と言おうとして、困ってしまった。マイクもアンプも、この世界には存在しない言葉なのだ。 〈音を……大きくする機械って、売ってませんでしょうか〉  店員は首をかしげた。 〈音を遮断する壁などはあるかもしれませんが、音を大きくする製品は、当店では取り扱っていないかと思います〉 〈でも、それがあるととても助かるんです。街中に美しい音を響かせたいんです。良い話だと思いませんか〉  彼は眉をハの字にした。 〈良い音が大きくなるなら構いませんが、もし、嫌な音が増幅されてしまったらどうするのですか。風鈴を吊すのではいけないんでしょうか〉  俺は、質問を変えることにした。 〈では、こういう機械を造ってもらえないでしょうか。音を蓄える道具です。周りの音をそっくりそのまま取り込んで、(ボタン)を押すと、動画のようにいつでも再生できるんです〉  店員は、夢の話でも聞いているかのようにぼんやりとしてしまった。 〈うちは販売店ですので、オーダーメイドはちょっと……。そもそも、どうやって音を取っておけばいいのでしょう〉  俺は、老舗の家具屋に入った。木製のテーブルや棚だけでなくて、金属製のおしゃれなスタンドランプや、革製のソファーも置いてあった。 〈何か用かね〉  店の奥から、とんかちを持ったおじいさんがやってきた。塗料で汚れた、年季の入ったエプロンをかけている。 〈実は、作ってほしいものがあるんです〉  彼は「ふっ」と笑った。 〈何でもいい、さあ言ってみろ。この道に入って長いんだ。わしに作れない物などない〉  俺はギターの絵を取り出して見せた。彼は眉間にしわを寄せた。 〈何だね、この妙ちきりんな物体は〉 〈要するに、木でできた箱です。中が空洞で、この丸い部分が穴です。太さの違う針金が渡してあって、こちらの先っぽにあるネジで、針金の張り具合を調節するんですよ〉  彼は怪しむように腕を組んだ。 〈作れないことはないが……こんな物、何に使うんだ〉 〈この針金を指で弾くと、綺麗な音が鳴るんです。鳥の声や風鈴の音とは、また違う趣があります。心が落ち着きますよ〉  彼は耳を真っ赤にして、ぷるぷる震えながら言った。 〈わしに、こんな子供のおもちゃを作らせようというのか……〉  俺は慌てて絵をポケットにしまい、笑顔を取り繕った。 〈では、こういう家具はどうですか。揺れる金属の皿や、革を張った箱がいくつか並んでいて、それらを叩いて音を出すんです〉  ドラムのことである。 〈なんだ、その何の役にも立たなそうな器具は。考えるだけで騒々しい〉  俺は必死だった。 〈お願いです。あなただけが頼りなんです。この地球を音でいっぱいにしたいんです。聴いたらきっと、あなたも心躍りますよ〉  彼の火山が爆発した。 〈わしは、家具と静けさを愛する男だ。そんなやかましい代物、この宇宙には存在しないんだっ!!〉
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