*歌のない世界*

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 俺は一人、公園のベンチに腰かけていた。街中を隈なく探してみたが、楽器らしい楽器は売っていなかった。  唯一買えたのは、救命用の小さなプラスチック製の笛だった。口に咥えて息を吹き込む。「ぴょー」という高い音が、夏空にむなしく響いた。また深く溜息をつく。  この街には、いや、この惑星には、歌が本当に存在しないようだった。俺はどうしてこんな世界にやってきてしまったのだろう。どうしてこんな仕打を受けなければならないのだろう。  元の世界が恋しかった。仕事に時間を追われて、大変な毎日だったはずが、終ってみると案外楽しかったと思えるのだ。俺は結局、デビューはできなかったが、少いながらも俺の歌を聴いてくれる人はいた。その人たちのありがたみに、今になってやっと気付く。  音楽がなければ、俺は死んだも同然だった。何もかもやけくそになって、俺は歌いはじめていた。  周りには誰もいないようだった。音程もリズムもしっちゃかめっちゃかだった。ただ、気持の走るままにがむしゃらに歌った。喉が潰れても構わない。どうせ、この世界では使い道がないんだから。  俺は最後まで歌い切った。歌ったら何だかすっきりした。声と一緒に、心の膿を出し切ったらしかった。俺は公園の真ん中で、肩で息をしながら立っていた。少しほっとして、気付いたら目が潤んでいた。  その時、ぱちぱちぱちと、どこからか拍手が聞こえた。 「大いに力のこもった、素敵な歌声ですね。私もいつの間にか、心を動かされてしまいました」  俺は耳を疑った。手話ではない。俺の知っている日本語に、そっくりな言葉が聞こえてきたのだ。
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