パンジーは見ていた。

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パンジーは見ていた。

 それは、私がまだ新米教師だった頃のこと。  その年、私は四年生のクラスを担当していた。生徒数は全部で三十二人。私が子供の頃より男の子が十五人で、女の子が十七人のクラスだった。  教師をやるのは二年目。一年目の時は三年生のクラス担任だったのだが、その時はいきなりクラスでいじめが発生してしまい、解決に苦労したという苦い記憶がある。願わくば新しいクラスは、なるべくトラブルが起きませんようにと願っていた矢先だった。 「えっと……」  三時間目の国語の授業で、私は困惑して教室を見回していた。  まただ、とため息をつく。窓際一番端、前から二番目の席がぽっかり空いている。そこは、実渕優里(みぶちゆうり)という少年の席だった。授業はとっくに始まっているのに席についていない。教室のどこにもいない。 「実渕くんがいないんだけど……みんな、知ってる?」  念のため尋ねる私に、クラス委員長の灰田絢子(はいだあやこ)がハイ、と手を挙げて答えた。いつもものをはっきり言う、正義感の強いタイプの女の子である。美人でしっかり者だが、とても気の強い少女で有名だった。 「実渕くん、トイレです」 「またトイレ?」 「トイレにこもってずーっと出てこないみたいです。他の男子が言ってました。あいつ、またトイレに入って授業サボるつもりなんです」 「うーん……」  またこのパターンだ。生徒たちがざわついている中、私はこめかみに手を当てるしかなかった。  この実渕優里という少年が、私の悩みの種である。普段はなんてことない、小柄で大人しい草食系男子といった雰囲気の彼。体育が苦手で、作文は得意。休み時間には他の子とドッジボールやサッカーをするより、女の子のようにお絵かきをしている方が得意な生徒だった。別に、今どきそういう男の子がいても珍しくはないのだが。 「困ったわね……」  彼が授業をサボるのは、珍しいことではなかった。時々休み時間にトイレに行ったまま戻ってこないのである。大抵、一時間まるまると消えていて、次の授業の前にこっそろ教室に戻ってくることが多かった。  そんなに授業を受けるのが嫌なのだろうか。  確かに小学生の子供にとって、長時間席に座って勉強するのはなかなか苦痛なのかもしれない。しかし、彼の場合はその頻度が多すぎる。新四年生のクラスが始まってから半月。この半月の間に、自分が把握しているだけで十回近くは発生している。 「ほんと困る。ドッジボール大会もあるのに、サボりばっかりで。ねえ、みんな?」  絢子がぷんぷんと怒ってみんなに同意を求める。この学校では、五月にクラス対抗ドッジボール大会をするという行事があるのだ。全員参加が義務付けられているので、特別な病気や怪我でもない限り優里も参加しなければならない。 ――どうして、授業をサボるのかしら。そんなに具合が悪いように見えないのに。  とりあえず今度また注意しよう。私はそう心に決めたのだった。
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