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天文部の天体観測合宿は、三日間曇りの空振りに終わり、明日になったら地元に帰ってしまう。
もし星空の下で告白なんてシチュエーションだったら、きっと恥ずかし過ぎて実行できなかったと思うけど、ずっと曇りだからかえって恥ずかしくない。告白するなら今だと思って、夕食のあとにこっそりと篠山くんを呼び出して告白したんだけれど。
私は篠山くんと「それじゃあ、ちゃんと部屋に戻れよ」と女子の部屋まで送り届けてもらい、私は頷いて帰ってきてしまった。
合宿場の女子部屋では、女子がトランプのダウトで盛り上がっていた。
「ダウト!」
「ざんねーんでした!」
ちょうど「ダウト」だと言ったカードは合っていたから、そのままたんまりと手札をいただいてしまった恵美ちゃんが顔を上げる。
「あ、お帰り。どうだった?」
「えっと、わかんない」
「わかんないって」
恵美ちゃんはダウトの中止を後輩たちに言うと、後輩たちはぶうぶう文句を言いながらも自分たちで手札を集めて第なんラウンドに戻っていった。
抜け出した恵美ちゃんは、私のほうに寄ってきた。
後輩たちが盛り上がっている中、私たちは距離を空けて窓際で話をはじめる。
「篠山、どうだったの?」
「……よろしくって言われたの」
「好きってちゃんと言ったんだよね?」
「うん、言ったよ。全然格好よく言えなかったけど」
「篠山もねえ、あいつ天然タラシだからなあ……これってどっちだろうねえ」
そう言いながら、ちらちらと後輩たちのほうを見た。
篠山くんは、特段イケメンって訳じゃないけど、何故かモテた。彼と付き合いたいって子は、私だけじゃなくって、後輩たちにもいるし、噂では引退した先輩たちの中でもいるらしい。
ちなみに恵美ちゃんは既に他校の彼氏がいるから、篠山くんの天然タラシに当てられることがなかった。私も知っている中学時代から付き合っている彼はいい人だから、よっぽどのことがない限りは別れないと思う。
そう。
私は「よろしく」って言われたけど、「好きです」の答えではないと思う。
だって私、「付き合ってください」なんて言ってないんだもの。初めて告白したへっぴり腰の私が、「好きです、どうか付き合ってください」なんて言えないよ。
篠山くんは、あれ。どういう意味で言ったんだろうなあ……。
少しだけ緊張が緩んだら、なんだかお腹が空いてきた。皆で野外炊飯でつくったご飯を食べたあとだっていうのに。
私は財布を持ってくると、恵美ちゃんに言う。
「ちょっと自販機までジュース買ってくるよ」
「えっ! じゃああたしも! 後輩たちのも聞いてあげて」
「うん」
私はダウトから大富豪に遊びを変えていた子たちにひと声かけると、それぞれの注文をスマホに打ち込んで出て行った。
合宿場の廊下は大分静かになっている。男子部屋のほうは一日目二日目と枕投げ大会が激し過ぎて女子部屋まで聞こえていたんだけど、静まりかえっているのは二日間はしゃぎ過ぎて疲れたんだろうか。
そんなことをぼんやりと思いながら自販機のほうまで足を運んだとき。
「俺、佐久馬に告白されたんです」
……篠山くんの声が聞こえた。
え、誰と? 私は思わず自販機コーナーの壁に隠れて、耳をそばだてた。堂々と通り過ぎればいいのに、何故かそうしちゃいけない気がしていた。
篠山くん、誰と話をしているんだろう。
「へえ……由良がねえ」
そう楽しげに篠山くんの相手が返すのに、私は心臓がヒュンと跳ね上がるのを感じた。
その声……。
艶がある声は、とても二歳しか離れてないとは思えない。瀬利先輩の声だった。
天文部のOGの先輩が、学校で借りているバスだけじゃ足りない部員を合宿場まで送ってくれたのだ。瀬利先輩は私たちとは違う部屋で寝泊まりしていた。
瀬利先輩は一年生のときから、やたらめったら篠山くんにちょっかいをかけていたのを知っている。
染めてない黒くて真っ直ぐな長い髪。切れ長の釣り目に肉厚な唇。爪はマニキュアを塗ってもいないのに磨き抜かれて、髪を手櫛で梳く仕草すら色香を放っている。綺麗で色っぽくって、それでいて掴み所がないミステリアス。制服を着ていた頃合いからそんな人だったのが、高校を卒業して大学生になった途端、制服で抑え込んでいたいろんなオーラが放出され、今だったら誰もが振り向くような極上の美人となってしまった。
元々綺麗だった人が化粧をして、ライダースーツみたいな体のラインが出るような服を着たらどうなるのか、日の目を見るよりも明らかだった。
そんな綺麗な人だったら、引く手あまたなのに、卒業した今になっても篠山くんにちょっかいをかけてくる。なんで今更合宿に参加したんだろう。そう鉛を飲み込んだような嫌な気分になったことも、告白を急いだ理由だった。
篠山くんが、瀬利先輩に取られちゃう。もう卒業した人なのに、もう高校生じゃないのに、勝手に来ないで。
私は胸に冷たさが広がるのを必死で抑え込みながら、ふたりの会話の立ち聞きを続けていた。悪いことなんてしてないんだから堂々と行けばいいのに、私にはふたりの間に入れる度胸がなかった。度胸は、先程の告白で全部使い果たしてしまった。
「あの子、可愛いでしょ。光太郎」
「……そりゃまあ」
「付き合っちゃえばいいじゃん」
「……あのですね」
ふたりの会話が、中途半端に途切れてしまった。
え?
私は不安になって、思わず自販機コーナーに一歩踏み出してしまい、人生最大の後悔をしてしまう。
目の前の光景が、信じられなかった。
篠山くんの乾いた唇が、瀬利先輩の綺麗にルージュの差された唇と、ぴったりと重なっている。目の前で唇が動いている。まるで軟体動物みたいだ。
唇の奥が、ちらりと見えた途端に、喉の奥にグラグラと熱いものが迫り上がってくるのに気付いた。胸には、冷たいものが広がっているっていうのに。
「き……」
私が逃げようと思った途端に、間違って壁に足を打ち付けてしまった。途端に篠山くんは、瀬利先輩から唇を離して、こちらに振り返った。
「……おい、佐久馬!?」
「気持ち悪い……っ!!」
篠山くんが声をかけてくるのも無視して、私はでたらめに走っていた。
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