1/1
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

 ただでさえ高級な東国産の葉を、更に手間を惜しまず焙煎し、お湯の温度にも気を配って丁寧に淹れた橙色のお茶。これを「ほうじ茶」というそうだ。  優しい風味のそれをゆっくり飲み干し、呪術師テルノはホッと息をついた。 「うん、美味い。尖ったところのない口当たりが実によろしい。ご馳走さまでございました」  湯呑みを手に満足そうに目を細める――このテルノという男は、そうやっていると人畜無害の好々爺にしか見えない。しかし彼は国で五本の指に入るほどの実力ある呪術師である。稼ごうと思えばいくらでも稼げる腕を持つが、まっとうな商売をしているから、テルノの暮らし向きは大変質素だ。だから彼は、目にも眩しい豪華絢爛な邸宅に招いてくれて、美味しいお茶を振る舞ってくれる――そんな優雅なひとときを与えてくれる「グノーシス・ギューリー」にとても感謝している。  故に、毎度毎度つまらぬ愚痴を聞かされても、笑顔でいられるのだ。  ――そう、今日も。 「いったいどうしたらいいのでしょうか……」  呪術師テルノの前に座り、整った顔を曇らせているのが、グノーシス・ギューリーである。  大貴族ギューリー家の長子にして跡取り。今年で二十歳になる若者だった。 「――あなたのお弟子さんのことですよ」  青い瞳をぎょろっと動かし、ギューリーは責めるような目つきでテルノを見据えた。 「はあ。トトのことですか。あの子がなにかしましたか?」 「記念すべき百回目を迎えました……」 「百回とは、これまた……。おめでたいことですかな?」 「彼女に交際を申し込んで、断られた回数です!」  百回もチャレンジして失敗しているのに、諦めないとは。その執念深さに若干引きつつ、テルノは白く長い顎髭を撫でた。  若さゆえの不屈の精神なのか。自分がグノーシスと同じくらいの年頃だったら、そんなしつこくめんどく、たった一人の女を追い続けるだろうか? テルノは思索に耽ったが――。  結論は否。さっさと見切りをつけて、次に行くだろう。  世の中、ほかにも女はたくさんいるし。だいたい自分も若かりし頃はなかなかの色男だったのだから、一人にこだわる必要はない――などと余計なことも考える。  そもそもテルノは、グノーシス・ギューリーが、そこまで自分の弟子に惹かれる理由が分からなかった。  師匠だからと評価に下駄を履かせようとしても、弟子のトトノス・マールゥはどこからどう見ても垢抜けない平凡な少女で、女性的魅力に秀でているとは思えないからだ。  ぶっちゃけ、地味系のぺったんこブス。  不可解である。テルノは首を傾げながら、控えていたメイドが注いでくれた二杯目のお茶を啜った。  老呪術師の顔つきから疑問が伝わったのだろうか、グノーシスは熱っぽく語り出した。 「トトは僕にとって特別な存在です。聡明で心が強い。そして謙虚な努力家だ。それらの美点は、どんな女性にも引けを取りません。僕はトトを愛しています」 「……ふむ」  確かにトトは大変真面目だ。海綿が水を吸うかのごとく、教えられたことをすぐに理解し、自分のものとしてしまう。師匠としては教え甲斐があるし、将来が楽しみな少女だ。弟子として見れば、非のつけどころはない。  そしてもうじき七十になる老齢のテルノにとって、トトは最後の弟子となるだろう。それだけに可愛いし、しっかり育ててやりたいと思っている。  昨年没したテルノの妻も、今際の際までトトのことを気にかけていた。  そして同業者でもあった亡き妻・グルードは、常々こうも言っていたのだ。 「呪術師として立派にやっていけるよう鍛えてあげるのはもちろんだけど、トトには女としても実りある人生を送って欲しいの」と。 「トトはいったい僕のなにが気に入らないのでしょう。顔もいいし、一流の学校も出ています。金持ちだし、体だって鍛えているから、スタイルにも自信がありますし。御婦人にもドチャクソモテます」  ――不遜すぎんか。  そういうとこじゃないかとも思うが、テルノはグノーシスに悪気がないのも分かっている。  自信に満ち溢れた――彼は生まれながらの陽キャなのだ。 「やれることはやりました。だがトトには振られっぱなしだ。――僕はモテモテ街道を驀進してきたから、お手上げなのです。いったいどうしたらトトと仲良くなれるのか……」 「ええと……。では今日お呼びいただいたのは、トトのことですか? 仲立ちを頼みたいと?」 「そのとおりです。ですが……。仲立ちなんて、それ以前の状態のような気がします。トトは僕を、親の仇のような目で見ますので」  ひとしきり嘆くと、グノーシスはしょんぼりとため息をついた。  多少鼻持ちならないところはあるものの、確かにグノーシスは男として完璧だ。しかし自分の弟子は、せっかく好意を示してくれている彼と向き合おうとしない。――なぜか。  相性が合わない? 好みじゃない?  ――それだけではあるまい。  もう五年、トトの面倒をみているテルノには、心当たりがあった。 「ご希望であれば、二人の恋の障害を打ち砕く(まじな)いをご提案できますが」  綺麗に禿げ上がった頭をつるりと撫でてから、テルノは切り出した。 「おお、魔法でバーン! と解決するわけですね! でも、僕とトトの間の障害? 具体的になにかありましたっけ? 彼女に好かれていないのは分かりますが」 「ええ。お二人の間には、厄介な障害がございます」 「……?」  テルノは脇に置いておいた呪術師の杖を持つと、不思議そうな顔をしているグノーシスの鼻先に突きつけた。 「その障害を取り除くために、あなたには人間にとって、最も大切なものを差し出していただくことになりますが……。その覚悟が、ございますか?」 「……!」  杖の先を見詰めながら、グノーシスはごくりと生唾を飲み込んだ。そして数秒熟考したのちに、深く頷いたのだった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!