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テーブルを挟んだその先に、男の下半身がある。
裸だ。剥き出しだ。モロ見えだ。
グノーシスの肌は白いのに、そこだけは黒々としている。
もじゃもじゃの縮れた毛で覆われた、重たげな胡桃のような球体。その上に、てれっとだらしなく、棒状のものが垂れていて――。
「!?」
ホワイトアウト。そして、ブラックアウト。アウト、アウト、アウトである。
現実とは思えない驚天動地の光景に、視界がチカチカ眩む。体から魂が抜け出そうだ。
だがそこは修行を積んだ呪術師。いくつかの修羅場を経験したことのあるトトの体は見事動き、真横に控えておいた杖を掴むと、勢い良く振った。
直後、杖のてっぺんに戴かれた魔法石から、真空の刃が続々繰り出される。
「うあっ! ひっ! おおうっ!」
奇妙な悲鳴を発しながら、紙一重で、グノーシスは真空波を避けた。至近距離からの攻撃を全てかわし、傷ひとつ負っていないのは、さすが大貴族ギューリー家の次期当主といったところか。日々鍛錬しているのだろう。
――しかし今、そんなことはどうでも良かった。
「へ、変態……!」
憤怒の形相で、トトはグノーシスを睨みつけた。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ! 話を聞いてくれ!」
グノーシスは懇願するが、動くたび、彼のイチモツはぷるんぷるんと上下し――。
控えめに言って、地獄絵図である。
トトは再び攻撃の構えを取り、グノーシスは声を張り上げる。
「本当に、これは重要なことなんだ! そして僕には、君の力が必要だ!」
「……………………」
ぺろんと晒されたペニスに行きがちな目線をなんとか上げて、トトはグノーシスの顔を凝視した。
――嘘を言っている様子はない。
トトは渋々、杖を元の位置に置いた。グノーシスはほうっと安堵の息をつくと、応接テーブルを回り込んで、トトの前に立った。
「なんでこっち来んの!?」
「いやだから、ちゃんと見てくれたまえ!」
距離がますます近くなったグノーシスの性器から、トトは顔を逸らし、重ねて確認する。
「……狂ったわけではないのですよね?」
「おかしくなったわけでもないし、セクハラでもない。大事なことなんだ。まずはこれをしごいてくれないか」
グノーシスは自らのペニスを指しながら言った。
「やっぱり頭、おかしいんじゃないですかッ!?」
「いや! 本当に本当に、必要なことなんだッ!」
トトがまた杖を取ろうとすると、グノーシスは首と手をぶんぶんと振り――ついでに彼の持ちものも左右に揺れた。
「ともかくこれを勃たせないと、説明ができないんだ!」
「だっ、だったら、ご自分でやればいいでしょう!?」
「僕はご婦人の前で自慰に耽るなんて、そんな露出趣味はない!」
「えぇ……」
あまりに理解不能なことを聞かされれば、拒絶の勢いは削がれる。そのうえグノーシスは、挑発するかのような言葉を投げかけてきた。
「新進気鋭の呪術師殿。だから当然トトノス殿は、シモの術にも精通していると期待していたのだが。買いかぶりだったかな?」
確かにそのとおりで――。呪術は上品なものばかりではない。生死や幸不幸を操るだけでなく、性を――例えば清純だった人を淫奔なタチに変えてしまったり、あるいはその逆もあったりと、そのような類の呪いを振るうことも多いのだ。
――でも、さわるなんて……!
業務上、性の知識に通じていても、トトはまだ生娘である。男性のそれを生で見たのも、今日が初めてだ。
だというのに、触れなければならないなんて――。
「僕を信じてくれ!」
見上げたグノーシスの顔はキリッと凛々しく、麗しさに磨きがかかっている。ただし、フルチンであるが……。
――これは仕事なんだもの……!
トトは覚悟を決めたようにふうっと息を吐き出すと、グノーシスの男根を渾身の力で握った。
「いった! 潰れる! 潰れちゃうっ!」
「うう……」
ひんやりすべすべの感触が、なんとも気持ち悪い。
不慣れゆえぎこちない手つきについて、グノーシスが指南する。
「力加減はそんな感じで、ゆっくりとさすって……。そうそう、上手だ」
まさか、こんなことをさせられるとは。肉の棒を揉みながら、トトの胸はふつふつと怒りで沸いた。
料金を上乗せしてやろうか。しかしそんなことをしたら、まるっきり娼婦のようだし……。
怒り心頭といった風に眉を吊り上げ、嫌々奉仕を続けているうちに、グノーシスの陰茎は体積を増していった。
「あ……!?」
パンパンに膨らみ、屹立したそれから、トトは目が離せなくなる。
もちろん劣情を覚えたからではない。グノーシスのペニスの根本に、本来ならばあるはずのない影が見えたからだ。
「これは……!」
「やはり君には見えるのだね」
蛇だ。
淡く朧な蛇が、グノーシスの雄の幹に、ぐるぐる巻きついている。
「一週間ほど前から、勃起すると、この蛇が現れるようになってね。こいつは僕以外には見えないようなんだ。ああ、でもやっぱり、君のような呪力を持つ者には分かるんだね」
「はい……」
「こいつが出るようになってから、どうやっても射精できなくなってしまったんだ。ここのところ、僕は僧侶のような清く正しい生活を送っているんだよ」
グノーシスの依頼は、この蛇を追い払って欲しいというものだった。
確かにこれは高度な呪術の技である。トトは蛇とにらめっこしたまま尋ねた。
「この蛇が現れるようになった前後、なにか変わったことはありませんでしたか? 呪術師に接触したとか」
グノーシスはなぜか明後日の方向を向いて、ごにょごにょと歯切れ悪く答えた。
「ええと……。ちょうどその頃、見知らぬ呪術師から指輪を買ったよ。恋のおまじないの指輪だって。この蛇が現われるようになったのは――これを指にはめてからだね」
「!」
言いながら掲げたグノーシスの左手薬指には、そのとおり指輪が収まっていた。禍々しく光る緑色の石がついたそれを、トトは掴み、引っ張り上げる。
指輪はあっさり抜けたが、グノーシスの股間の蛇にはなにも変化がない。相変わらずそこに鎮座し、チロチロと舌すら出している始末だ。
「どんな呪術師でした!? 名前は!?」
「さ、さあ……。名乗りもしなかったし、この辺りの人間ではないようだった」
「そんな怪しい品を買うなんて……!」
「呪術を広める会」のスポンサーを買って出るだけあって、グノーシスがオカルト好きなのは有名な話だ。きっといかがわしい呪術師に目をつけられ、今回の指輪のようないわくつきの品を売りつけられたのだろう。
大貴族の身分でありながら、あまりに浅はかである。トトは憤りすら感じた。
「もう分かりましたから、服を着てください!」
「あ、ああ」
いそいそとズボンと下着を上げるグノーシスの前で、トトはソファに腰を据え、彼から奪った指輪をじっくり観察し始めた。
地金は銀だ。その幅広のアームの裏に、細かな文字がびっしりと刻まれている。
「この指輪には、呪いがかかっています……」
「そ、そうなのかい……」
ある程度予想していたのか、グノーシスはさほど驚かなかった。
トトは指輪に向かって解呪の呪文を唱えた。が、なにも起こらない。
「――解けない。古代魔法と最新の術をミックスさせた……この指輪を作ったのは、凄まじい力を持つ呪術師です。師匠ですら、退けられるかどうか……」
「つまり僕は、当分性欲を発散できないというわけかい? どれくらいの間かな?」
「恐らくは、あなたが生きている間は、不可能かと……」
「!」
トトの対面に座り直したグノーシスは、ことの深刻さを理解していないようだったが、トトの宣告を聞いた途端、彼は力尽きたようにぐたっとソファに沈み込んだ。
「つまり僕はこれから先ずーっと、股間にもう一匹、蛇を飼い続けないといけないわけか……」
面白くない冗談に、トトも、口にしたグノーシスも笑わなかった。
「まあ、もう一生分遊んだと思えば、諦めもつくか……」
「いったいどれだけやりまくったんですか……」
グノーシスは自身を納得させようとしているのだろうが、ツッコまずにはいられないトトである。
「ともかく、子をもうけるのは、絶望的ってことだね……。僕は子供が好きでね。いつか我が子を、この手に抱きたかったんだがなあ」
「……………………」
女性関係で問題が多いようだが、総合的に見れば、グノーシスはいい人だ。そんな彼が癒えない傷を負い、これから先、苦しみ続けなければいけないのか――。
トトの胸は痛んだ。
「ま、僕の自業自得だよね」
しんみりとつぶやき、グノーシスは弱々しく笑った。
「……………………」
――私は別にこの人のことなんて、好きじゃないし! 全然好きじゃないし、どちらかというと苦手だけれども……!
トトは膝の上で拳を握った。
――放っておけない。私は呪術師だもの……! 悲しんでいるこの人を助けたいとかそういうんじゃなくて、ともかく義務と責任と……!
放っておけば、言い訳ばかり考えてしまう。
トトは目を瞑り、頭の中を真っ白にして、しばし思考の海に沈んだ。そうしていると漠然としたなにかが、塊となってうようよとクラゲのように漂い、そしてそのうちのひとつを、一筋の光が貫いた。
――呪いを解けるかもしれない!
瞼を開け、トトは言った。
「ひとつ、閃いたことがあります。試してみたいので、二週間ほどお時間をいただけませんか?」
青い瞳を輝かせて、グノーシスは頷いた。
「おお、待つとも! 君だけが頼りだ!」
「失敗するかもしれませんから、あまり期待はなさらぬよう……」
なにしろ思いついただけなのだ。自信なげにトトは付け加えた。
だがグノーシスは明るく笑っている。
「トトがしくじるとは思えないが、でももしそうなっても、気にすることはないよ。君とちょっと仲良くなれただけでも、今回のことは悪くなかったと思うんだ」
「……………………」
なんて楽天的な男なのだろう。
トトは唇を一文字に結び、俯く。――そうしないと、グノーシスに釣られて、つい微笑んでしまいそうだったからだ。
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