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 桃色ウサギの角、女淫魔の尻尾、虹色生姜の粉末――等々、市場には滅多に並ばない珍品たち。魔法薬の材料になるからと、見かければとりあえず大枚はたいて買ってはいたが、これまで使う機会に恵まれなかった。  もう何年も倉庫の肥やしになっていたそれらを、トトはギューリー家から帰宅後すぐに取り出した。そして本棚から、分厚い図鑑を引き抜いてくる。 「えーと」  図鑑をめくっては考えを巡らせ、トトは何日もかけて、とある薬の調合プランを書き起こした。それがまとまったあとは、材料となる角をすり潰し、尻尾を切り刻み、生姜を炙って――。そのように下拵えを済ました材料を、仕事場の中央に設置した大釜に流し込み、特殊な薬品を注いで火にかける。 「失敗しないよう気をつけないと……」  作成した調合プランを何度も見直し、トトは丁寧に鍋をかき混ぜた。  決して作り損なうことのないよう、慎重に慎重に……。  なにしろ希少な材料を使うのだ。同じ薬を作ろうとしても、もう一度全部揃えるのは難しい。これが最初で最後の調合になるだろう。 「えーと、あとは一晩煮込む、と……」  大釜の火の具合を調節していると、仕事場の扉が開き、手に盆を持った師匠のテルノが現われた。 「調子はどうだね? そろそろ休憩したほうがいいだろう。ほら」 「ありがとうございます、師匠」  テルノが差し入れてくれたコーヒーを飲みながら、トトは今取り掛かっている作業について説明した。 「グノーシス様の指輪にかかっていたのは、本当に強力な呪いで……。かなり名のある術者が施したものではないかと思うのですが、お師匠様、心当たりはありませんか?」  ギューリー家から預かってきた呪いの指輪を、トトはケースごとテルノに渡した。だがテルノは指輪を確かめることもせず、作業机に置いてしまう。その代わり、近くに広げてあったトトのノートを手に取り、ほほうと感心したように唸った。 「呪いに対抗する秘薬……。なるほど、こうするわけか。ふむふむ、いいじゃないか」 「あ、ありがとうございます……!」  師匠のお墨付きをもらって、トトはホッと胸を撫で下ろした。 「成長したなあ、トト。この調合プランは、『グルード』がかつて作ったものと同じだよ」  テルノはトトを、孫に接するかのような温かい目で眺めた。 『グルード』というのは、テルノの亡くなった妻の名である。呪術師でもあり、トトはグルードとテルノ、両名に師事していた。 「グルード師匠も……」  一流の呪術師だったグルードと、同じものを考えついたなんて光栄だ。顔をほころばせながら、トトはグルードとの思い出にしばし浸った。  呪術師として抜きん出ていただけでなく、グルードは親切で慈愛に満ちた女性だった。トトは彼女のことを、母親のように慕っていたのだ。  ――本当のお母さんがアレだったから、余計にグルード師匠の優しさが身に沁みたんだよね……。  トトを産んだ実の母は、女の最大の武器は美貌だと信じている人だった。そんな母の口癖は、「ブスは生きている価値がない」、である。  実際美人だった母は、並の容姿で生まれついたトトを蔑み、嘲った。トトには二人の姉がいたが、それなりに美しく育った彼女たちも母親の尻馬に乗り、トトを散々馬鹿にしたものだ。  ――このままじゃ、おかしくなってしまいそう。  虐げられ続けたせいで病みかけたトトは実家を飛び出し、こうしてかねてから興味を持っていた呪術の世界に入ったのだった。 「ああ、そうだ、トト。ギューリー家にはまた行くんだろう?」 「ええ、はい。薬が完成しましたら、行かないといけませんね……」  嫌々そうな口ぶりで、だが笑いを堪えているかのような引き攣った表情で、トトは答えた。 「今度グノーシス様にお会いするときは、これでもうちょっと可愛い服でも買って、おめかしして行きなさい」  テルノはローブのポケットから小さなポチ袋を取り出し、弟子に渡した。 「で、でもこれが、呪術師としての正装ですし……」  不満そうにトトは唇を尖らせ、自分が着ているくすんだ色のローブを摘んだ。 「――それに私なんか、なに着たって一緒ですよ。似合いません」  吐き捨てるような弟子のつぶやきを聞き、テルノはため息をついた。  認知の歪み。容姿に関しての過剰な自己否定。  どうしてそうなったのか。原因と思われる生い立ちや実母との関係については、トト自身から聞き、承知している。  グルードは生前、このことをとても心配していたのだ。 「女の子が見た目のことでいじめられるのって、本当につらいのよ」、と。確かにそのとおりだろう。  だいたいトトは、誰かに罵倒されるほどの醜女というわけではないのだ。  確かに美女ではないが、ズバリ普通。ふつーの中のふつー。 「流行りの格好をして化粧でもすれば、全然大丈夫だ」  そう、普通は普通だから、励まし方にも困る。  テルノは懸命に言葉を選んだものの、トトの慰めになるような上手いことは言えなかった。 「あ、はあ……。ええと……。ありがとうございます……」  案の定、トトは浮かない顔で、しかしせっかくの師匠の気遣いを拒むのも悪いと思っているらしく、不承不承頷いた。  これじゃいかん。テルノもどうしたものかと頭を悩ませる。  結論は――。  ――グノーシス様なら、なんとかしてくださるだろう。  投げやりなわけではない。「トトのためなら、大事なものを捨ててもいい」と誓ってくれたあの青年ならばきっと、我が弟子に巣食う頑なな自虐心を溶かしてくれるに違いないのだ――。
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