chapter03

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chapter03

 ホテルの一室で仕事相手を待ちながらナチョは少し(いやかなり?)前のことを思い出していた。  ナチョはクラッチと出会う前から今と同じ仕事をしていて、そしてその頃はただ稼ぐに徹していたため今よりもずっと痩せていて、今よりもずっと捨て鉢だった。だからたくさん敵がいた。あの日もナチョは薬を盛られて全裸で嵐の中に捨てられたのだ。そんなナチョを拾ったのがクラッチだ。ナチョは今もって、何故クラッチが自分に雇われているのか疑問に思っている。あれ以上に最悪な出会いはなかなかないはずだからだ。  しかしクラッチは『あんた俺を雇いなよ』『役に立つよ』と言った。捨て鉢だったナチョは『わかった』『言い値で買ってやる』と答えたのだ。そうしてそれが今でも続いている。  ――そんなことを考えていると扉が開いた。懐かしい顔ぶれが入ってきて、ナチョは眉間にシワを寄せる。こんな人数でこられるとは思っていなかったからだ。 「久しぶりですね、ミスターロイド」  そう言ったのは今日ナチョを呼び出した男だ。彼は珍しくナチョのことをファミリーネームで呼ぶ。ナチョはいつも「やあ久しぶりだな、レイ。ナチョって呼んでくれよ」と返す。彼は彼で「そうでしたね、ミスターロイド、私はスミスと呼んでくださいね」と返す。いつものことだ。 「何人連れてきたんだよ」 「数えてみたらどうです?」 「六人か」 「あと二人来ますよ」 「……ワァオ」  これはやばいだろうなと思いながらナチョは肩を竦めた。今度こそ殺されるかもしれない。  ところで説明しておこう。レイ・スミスはなにかというと、平たく言えば売人である。彼はなんでも売る男だ。  本当になんだって売る。 「あなたは高く売れましたから。分けあっても儲かりますよ」  スミスの張り付けたような笑顔にナチョは顔を歪めた。 「……前回の取引でなんか不服があったのか?」 「なかったとでも?」 「……どうだったかな。よく覚えてないんでね……」 「あの会社、あなたがいなくなってから価値が下がりました。損切りする羽目になりましたよ」 「俺のせいか? ……あの会社が俺を捨てたんだぜ」  スミスは肩を竦めた。 「どちらにしろあなたはもう売りました。よい一日を、ミスター」 「その挨拶をしたいがためにわざわざ午前中に呼び出したのか」 「あなたのために夜を空けるほど私は暇ではありませんからね」  スミスは振り返りもせずに部屋から出ていった。ナチョは八人の屈強な男達に囲まれて、これは死んだなと思った。 「……あー、でも今日の夕飯はラーメンなんだよな……クラッチの作るラーメンは旨いんだよなあ……昔トーキョーで食べたラーメンより俺の好みでよ……」  ナチョはソファーから立ち上がり、「死ねないし、口の中も怪我できねえな」と言った。男達はそれぞれナイフだとか棒だとかを持っていて、どうやら銃はないようだった。痛め付けることが目的なのだろう。ナチョはそんな風に人から恨みを買ってきたからだ。  ――最初に動いたのはナイフを持った男だった。  そのナイフはナチョの腕に向かってまっすぐ突き立てられようとしたが、ナチョは男の手を叩いてそれをいなした。ナチョはそのままその男の懐に入り込むと、シャツの襟首をつかんで男を他の男達に向かって投げ飛ばした。  しかし男達はそれを避け、今度は一斉にナチョに向かって走ってきた。そうそう、ある程度のビルにはとっさの時に避難できるように中から破れる窓と言うものが存在している。なんでそんな話をするかと言うと、このときナチョは彼らから逃げて咄嗟に窓を蹴り破ったからだ。そしてナチョがホテルの窓を蹴り破るのはこれが初めてではない。  ナチョはリンチから逃げることに関してはプロフェッショナルなのだ。  一方その頃、クラッチは近くのキッチンカーからタコスとジンジャーエールを買い、車のボンネットに腰かけて昼食を楽しんでいた。ホテルの前で、だ。ナチョに言われた通り一時間街中で遊んでいてもよかったのだが、迎えが遅れるとナチョの機嫌がさらに悪くなるだろうと思っていたからだ。  そうしていたらナチョは窓を突き破って三階の部屋から飛び降りてきた。木にぶつかり芝生に落ちゴロゴロと地面を転がっていく。 「なにやってんだよ、ナチョ……ちっともクールじゃねえな」  クラッチはそう呟いてからタコスをボンネットの上におき、ナチョの回収に向かおうと歩きだした。ところでナチョが立ち上がりクラッチに向かって走ってきた。血まみれだった。 「ナチョ、なにがあった?」 「逃げるぞ」 「そう。まあいいけど」  クラッチは着ていたシャツを脱ぐとナチョに被せ、食べかけのタコスを押し付けてから車に乗り込んだ。と同時にホテルから屈強な男達が出てきた。 「ワァオ」 「早く車出せ!」 「はいはいわかったよ。なにしたんだ、今度は」 「知らん!」 「いつもそう答えるよなあ……」  アクセルを踏み込みながら「まあいいけどさ」とクラッチは笑った。それからどうでも良さそうに「後ろにハッパあるからもしもんときはそれ投げてみんな燃やそうな」と言った。ナチョは追ってくるやつらよりもこの運転手の方がヤバイことに安心し、食べかけのタコスを食べ始めた。そんなナチョを見ながらクラッチは「ちゃんとした仕事探そうな、マイボス」と笑った。 「しかし今度は本当になんでだ?」 「逆恨みだよ」 「ワァオ、それは一番理屈が通じない理由だな」 「はー……仕事どうするかなあ、お前に払う金がなくなると困るしなあ」 「ははったしかにな。タコスうまいか?」 「うまい」 「ターコスー」 「……ん?」  カーチェイスは追われる方は圧倒的に不利だ。逃げなきゃならない立場にされている時点で敗けとも言える。踏まえた上で言えることはクラッチはカーチェイスのプロだ。だからナチョは安心していたのだが、ふと、気がついた。  そうクラッチには大きな問題がある。 「……タラリラリラリラー」 「お前なんかキマってねえよな……?」 「パピロリロリロー」 「おい?!」 「ビッチみたいに騒ぐんじゃねえよ、ナチョ。余裕だぜ。タコス食って寝てな」 「永遠にって意味かよ?」 「はっはっはっ」 「目が笑ってねえ高笑いはやめろ!」  そんなことを話ながら車は加速していく。 「おい! クラッチ!」 「どしたん?」 「速度!! うわっ今なんか轢いた?!」 「どんどん行こうぜ、明日までさ」 「クラッチ!!」  街中で150を軽く越え、郊外に出てほかに走っている車がなくなるとその倍まで上がった。 「クラッチ!! 一回止まれ!!」  とっくのとうに最早追い付けないほど引き剥がしているのだが、それでも意地があるのか追跡はおわらない。クラッチはミラー越しに小さく見える黒塗りの車に舌をうつ。 「あいつら撃ってこねえのか、つまんねえな」 「つまんなくねえよ! 映画じゃねえんだぞ!」 「ナチョー……ちょっと脅かしてやろうか」 「は? うぎゃぁ!!」  そこで急にクラッチはぐるりと車の方向を百八十度変えて、逆走し始めた。  ナチョは「やだあ!」と泣きながら頭を抱えるが、ヤク漬けのやつを止める手段はない。どんどん追ってきていた車が近づいてくる。速度は三百を越えている。 「避けるなよ、ぐちゃぐちゃになろうぜ?」 「止めろ!!!!」  ――結局相手が脇に突っ込んで避けた。クラッチはつまらなそうに息をつくと「タコス食いにいくか」と車線をかえて、町に戻っていった。  ナチョはしばらく泣いていたが、タコスと一緒にビールを飲んだらすぐ笑った。
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