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彼女は歌う。眼の焦点が合っていないようにさえ見える氷のような表情で、歌い続けている。ぼくは手拍子もせず、身体を揺らす事もなく、彼女の行動を見つめている。肩落としの着こなしも、彼女がやるとだらしなく見えない。それは贔屓目だろうか。 思えばぼくは、彼女とは込み入った話をした事がなかった。彼女がいれば楽しいし、その時間を無粋な真面目くさった話で水をさすのは嫌だった。けれどそんな刹那的な態度が、若い彼女には不満だったのかもしれない。
けれどぼくは、彼女が「愛してる」と耳元で囁くのを何度も聞いている。愛の鮮度はそんなに容易く、劣化してしまうものなのか。愛とはそんなに脆いものなのか。
ぼくは今まで、彼女とカラオケなんかに来た事はなかった。そもそも世代が違うのもあったし、もっと一緒にしたい事は幾らでもあった。彼女もぼくに同意してくれていた。けれど、漸く取り付けた約束の日、彼女は、
「カラオケ行こう」
とクールな口調で言った。わざわざ、彼女の最寄駅まで出向いて、これだった。暗澹たる思いでいたぼくに追い打ちをかけた事実があった。
彼女は音痴だった。それもかなりパーフェクトな。彼女の歌には音程というものが無かった。抑揚が無かった。本当に伴奏を聴いているのかと疑うほどに、その歌は一本調子だった。
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