1/1
前へ
/5ページ
次へ

あの女が会社の屋上から飛び降りた事を知ったのは、駅構内で女を罵ってから数日後に、たまたまログインしたSNSでだった。拡散されたその映像を私は繰り返し眺めながら、昼間からストロングゼロをあおった。お酒がこんなに美味しいと思ったのは、これが初めてだった。 スマホ操作に疎い私は色々と悩みながら何とかその動画を保存した後、久しぶりに彼をストーキングしようと考えた。女の飛び降りの映像があれほど拡散されたのだから、彼が女の死を知らない訳がない。本当なら直ぐにでも顔を見たかったが、なんだかんだで業務に追われてしまい、休みの今日まで引き伸ばしてしまった。 その間、私は朝起きたら顔を洗い歯を磨き、トイレで用を足す、人間の本能のように、あの女を思い浮かべては強く殺意を持ち続けていた。 だからだろう。女が飛び降りた事は凄く嬉しかった。が、ただそれをリアルタイムで見れなかった事とその結果を直ぐに知れなかったのが、唯一悔やまれる事だった。 それでも女が死んだ事に関しては満点以上の結果をもたらしてくれた。何故ならあの映像はデジタルタトゥーとして生涯残るだろうから。 私は取るものも取り敢えず、着替えと目深なキャップを被り彼の住むマンションへと向かった。 マンションには厚手のカーテンが引かれたままだった。土曜日の午後という事もあり、まだ寝ている可能性も考えられた。その事が私を苛立たせる。又、新たな馬鹿女を連れ込んでいるかも知れないと思ったからだ。もしそうならその女も殺さなければならない。しばらく監視しようかどうか迷っている間に、黒髪ロングで白のワンピースを着た若い女が私の側を通り過ぎた。日焼けなんて恐れていないと言いたげなきめ細かい色白の肌は陽の光を浴びてキラキラと輝いている。私にだってそういう時代もあったんだよと、女に言ってやりたかった。けどさ、直ぐだよ、直ぐ、あっという間に肌荒れは酷くなり晒していた肌には多くのシミが出来て来るの。例外なくね。 スマホを弄っているフリをしながら、再び彼の部屋を見上げた。いきなり部屋のカーテンが開くと、彼が現れた。上半身肌とボクサーパンツ一枚の姿は、私の鼓動を激しくさせた。固唾を飲んで彼の姿を眺めていると、彼は窓を開け、ベランダまで出て来ると、こちらに向かって手を振り始めた。あー。私の知らない所で。彼は私の事を認知していたのだ。彼に応えようと腕を上げた瞬間、先程、私の側を通り過ぎたワンピースを着た女が彼に向かって手を振った。 「寝てなきゃダメじゃない」 「もう良くなったから平気だよ」 「もう」 「鍵開けるから早く上がって来なよ」 彼はいい、部屋の中へと引っ込んだ。 ワンピースの女はマンションのエントランスへと向かい、彼の部屋番号押した。ロックが解除され自動ドアが開いた。女が入ったのを認めると、私はそちらへ向かって走り出していた。 自動ドアが閉まる間一髪の所で、私はマンション内へと身体を滑り込ませた。間に合った私は女が待つエレベーターの側に立った。エレベーターが降りて来て扉が開くと女は先に乗り込んだ。階数ボタンの前を陣取ると 「何階ですか?」 と尋ねて来た。 「すみません、9階をお願いします」 女は私の指示により、9階のボタンを押した後、 4階を押し閉ボタンに触れた。分かりきってはいたが、もうすぐ彼とご対面というわけか。 私は奥歯を噛み締めながら、女の後頭部を睨め付けた。 動き出したエレベーターは直ぐに4階に到着すると、女は私に軽く会釈をして 「お先に失礼します」 と言った。その所作の上品さに睨みつけていた私は思わず作り笑みを見せた。その行為そのものが私の敗北を物語っていた。完全に打ちのめされたと言っていい。世の中にはどう足掻いた所で人間として勝てない人がいる事は、わかっていた。 だがよりにもよってその相手が彼の彼女だったとは。いや。まだ完全に彼女とは決まっていない。ただのヤリモクかも知れないじゃない。 所詮、彼は盛りのついた猿同様なのだから。 それでも私の頭の中ではこの女が、実は彼の本命だったのかも知れないと囁き初めていた。 彼の心の内はわからないが、そんな気がした。 つまり、私が殺したあの女は、彼からしたら歳上のOLというブランドを手に入れたかっただけの、それだけの女だったのかも知れなかった。 もしそうならあの女も不憫だ。彼に目をつけられたせいで、私に殺される羽目になったのだから。 私はエレベーターの扉が締まりかけた所に、無理矢理手を差し込んだ。再び、扉が開くと、私は飛び出し、女に向かって走り出していた。 やめて!と私が私に言う。赤いサメに願えばいいだけじゃない!わかっている。わかっているけど、圧倒的な敗北感を受けた私にとって、待つという事がどうしても出来なかった。私は彼の部屋の近くまで来ていた女に全力で体当たりをした。短い悲鳴の後、女は前のめりに倒れた。私は女の履いていたヒールを抜き取り、女の顔目掛け、ヒールの踵を振り下ろした。息が切れるまで振り下ろすと、私は我に返り、自分がした事に怯えた。女の額から血が流れ出し、目元や口に小さな裂傷が出来ていた。涙が滲みでて、鼻を伝う。 「助けて…」 女の震えた小声が私の耳をつんざいた。 私は直ぐ様。起き上がると非常階段の方を目掛けて走った。こちらには防犯カメラがない事はわかっていた。逃げろと言い聞かせながら、いつしか私はマンションから逃げだしていた。 やってしまった事は仕方がない。けれど余りにも浅はかだった。自宅に戻り、肌に張り付いた衣服や下着を剥ぎ取り、ハサミで、細切れにした。ゴミ袋に入れ、シャワーを浴びた。 湯船の中で膝を抱え、落ちてくる水を浴び続けた。バレるだろうか。誰かに見られてはいなかっただろうか。私の心配を他所に時間は無常にも過ぎて行く。開き直るしかない、私はそう思った。 例え、私の犯行だと知れても、傷害罪程度で済むはずだ。けれど、やっぱり捕まるのは嫌だった。 女が死ねば、大丈夫かも知れない。彼のマンションの防犯カメラだって、帽子のお陰で、顔まで判別出来ないかも知れないじゃない。似顔絵を作成される前、いや、あの女が私の顔を覚えている訳はない。倒れされて直ぐに私に顔を殴られたのだ。見ている筈がない。 そう考えると僅かだが気持ちが軽くなって行った。だからと言ってやはり、あの女を生かして置くわけには行かない。私は女の容姿を思い出し、赤いサメに願った。2匹のサメは一定の距離をとって停止している。殺せと願うが一向にサメが、動く気配はなかった。仰向けになってよ!私は湯船を蹴りながら怒鳴った。 「あの女には今日中に死んで欲しいのよ!お願い!私の望みを、叶えて!」 それでも赤いサメは動かなかった。 「どうして…よ」 今までは私の為に泳いでくれたじゃない… 私は膝を抱えたまま、泣き崩れた。 「捕まりたくない。捕まりたくない。絶対に捕まりたくないの!」
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加