ルームシェア

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 突然始まったルームシェアから、三日が経過した。  既にファンの間では、伊吹たちがひとつ屋根の下で暮らしているという情報が広まっているらしい。SNSを覗いてみれば、歓喜の声が多く見られたが、自分とレイが一緒に暮らしていて、どうして喜ばれるのだろう。三日三晩考えても、答えは出せなかった。  そう簡単にお互いを知ることが出来るかと問われれば、答えは否だ。初日に紅茶を振舞ってくれた時の饒舌さは夢だったのかと疑いたくなるほど、レイは口数の少ない男だった。  ギターが弾けて、練習生時代からずば抜けた歌唱力を持っていて、ダンスの振り入れも早くて正確。だからといってアーティスト色ばかりが強いわけではなく、練習生時代から連ドラの重要な役どころを任されるくらい演技も上手い。ユニットを組む前から分かっていたそれらの情報に三日間の共同生活で上乗せされたのは、紅茶を淹れるのが上手いってことくらい。  特に声をかけてくるわけでもなく、こちらが話しかけても会話が続かない。昨日ゲストとして出演したバラエティ番組では、絡みの「か」の字すら叶わなかった。  上手くやっていけるだろうか。浴室で一人、溜め息を吐く。穏やかで真面目で、十九という歳の割には落ち着いていて包容力がある。顔も知らない誰かがそんな評価をしてくれているらしいが、そんな出来た人間じゃない。  風呂からあがってリビングへ向かうと、レイがアコースティックギターを爪弾きながら、やわらかな歌声を響かせていた。知らない曲だが、きっといい歌なのだろう。  このまま自室に戻ってしまうのが、酷くもったいなく感じられた。邪魔をしないよう、ソファではなく近くの白いスツールに座って耳を傾ける。  ギターの優しい音色と中~高音域を得意とするレイの声は相性がよく、聞き心地がいい。半乾きの頭をゆらゆらと揺らしながら聞き入っていると、不意に温度の低い瞳がちらりと伊吹を一瞥した。 (あ、この曲――)  曲調が変わった。ふっと口の端に笑みを湛えたレイが、透き通った高音でメロディを紡ぐ。が、すぐに手を止め、きゅっと眉根を寄せた。 「……ハモれよ」 「あっ、す、すみません」 「別に、謝ってほしいわけじゃねぇけど」  一瞬だけぶつかった視線は、すぐに逸らされてしまった。ああ、もったいない。せっかくRainyMoonのデビュー曲「雨空に月は見えるか」を歌ってくれたのに。  もう一度チャンスがほしくて、今度は伊吹から歌い出した。穏やかで甘やかな低音にギターが乗っかり、レイの澄んだ歌声が重なる。主に下のパートを担当する伊吹と、上のパートであるメロディラインを担当するレイ。社長の気まぐれなんかじゃなく、最初から引き寄せられることが決まっていたかのように、二人の声は美しく響いた。リビングが、二人だけのライブ会場に変わる。  瞬きのたびに揺れる長いまつ毛の向こうをじっと見つめれば、レイも夜の色をした虹彩を伊吹に向けた。歌っている時は、強固な心の壁が少しだけ薄くなる。目を見ても逸らされない。そこにいることを許されている気がして、嬉しい。  一曲すべて歌い終えると、一日の疲れがスッと消えていくような気がした。優しいアコースティックギターの音色が、まだ耳の奥に残っている。幸せな余韻に浸りながら、伊吹はふにゃりと相好を崩した。いい夢が見られそうだ。 「俺、レイさんの歌声、好きです」 「そりゃどーも」  歌い終わってしまったので、レイはぷいっとそっぽを向いてしまった。お手本のようなEライン。横顔も美しいから、がっかりはしなかった。 「ひとりじめできるなんて、俺、贅沢ですよね」 「……物好きなヤツ」 「そうですか? レイさんと一緒にいられるの、嬉しいですけど」  何言ってんだコイツ。そんな声が聞こえてきそうな、怪訝そうな視線が突き刺さって、伊吹は思わず苦笑した。さらに警戒されてしまうだろうか。 「…………まあ、俺も伊吹とハモんのは嫌いじゃない」  ぽつりとこぼされた言葉は、二人きりのリビングによく響いた。
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