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朝から空を覆い尽くしていた灰色の雲は、夜になって大粒の雨を降らせた。伊吹は晴れのほうが好きだ。低く垂れこめる雲と一緒に、気持ちまで沈んでしまいそうだから。
ファッション雑誌のグラビア撮影が、夜遅くまで長引いてしまった。ヘトヘトになって帰宅すると、玄関には同居人のスニーカーが脱いだそのままの形を保って置かれていた。
いつもは三和土の隅に几帳面に並べられているのに。電気もついていないようだし、何かあったのだろうか。
なるべく足音を立てないようにリビングへ向かう。そっとドアを開けて室内を覗けば、レイはソファに横たわって眠っていた。ブランケットを肩まで掛けて、小さな寝息を立てている。
ドアを開けても起きなかったが、電気をつけた瞬間まぶたが震えた。不機嫌そうに眉を寄せ、微かに覗いた瞳が伊吹を責める。まぶしい。真っ先に動いた唇の形は、音にならずに消えた。
「…………おかえり、伊吹」
「ただいま帰りました……ありゃ、もしかして体調悪いですか?」
顔色が悪い。驚かせないように額へ手を伸ばす。伝わってくるのは伊吹よりも低い体温。熱はなさそうだった。
「……天気が」
「天気?」
「……たまに、頭いたくなんだよ。ごめん、風呂これから沸かすから、ちょっと待って」
「いやいや、体調が悪いなら休んでてください。お風呂当番くらい代わります」
「だいじょーぶ。このくらいは平気だから」
どこが平気なのだ。真っ白な顔をして。思わずこぼれた溜め息に、レイは居心地が悪そうに視線を落とした。
「いいから横になっててください。というか、ここじゃなくて部屋戻ったほうがよくないですか?」
「……や、リビングがいい」
「高そうなソファですけど、寝心地はさすがにベッドには勝てないと思いますよ」
「……違う」
「え?」
「……寝心地とかじゃなくて、人の気配が近くにあったほうが、落ち着くかもって思って、帰ってくんの待ってた」
「俺がですか?」
「お前以外に誰がいんの」
「いや、まあ、いないですけど」
あまりにも予想外の返答に面食らう。意外と寂しがりな人なのだろうか。
意地でも起き上がろうとするレイを制して風呂を沸かし、簡単な夕食を作る。野菜炒めと卵スープ。一緒にどうかと訊ねると、食欲がないと断られてしまったが、レイはソファからは動かなかった。
「料理の匂いは大丈夫そうですか」
「ん。ごめん」
「低気圧で頭が痛くなる人、結構いますもんね」
「でも、最近はここまでじゃなかったんだけど」
「デビューが決まってから、ほぼノンストップでここまできて、疲れもあると思いますよ」
「……だな。俺も、そう思う」
「難しいかもしれないですけど、あまり無理はしてほしくないです」
二人でRainyMoonだ。どちらかが欠けてしまったら意味がない。そう上手く伝える言葉が、見つからない。
「……でも、このくらい、だいじょーぶだから」
もっと頑張らねぇと。あふれ出た言葉の輪郭は、襲いくる睡魔で蕩けてしまいそうだった。
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