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大荷物の理由
『本日のお相手は、RainyMoonの雨宮伊吹でした』
エンディングのジングルが流れ終わると、サインランプが消灯する。ラジオブースの外にいるスタッフたちがホッと表情をゆるめたのを確認して、雨宮伊吹はその場でぐぐっと伸びをした。
「伊吹くん、お疲れさま」
「お疲れさまでした。来週もよろしくお願いします」
満面の笑みでブースへ入ってきたディレクターに、慌てて立ち上がって深々と腰を折る。そんなにかしこまらないで、と苦笑する気配を感じて顔を上げる。直立すると、自然と背の高い伊吹が見下ろす形になった。
「デビュー後、初めての放送だったけど、どうだった?」
「あ、いや、スタッフの皆さんがいつものメンバーだったので、あまり何か変わったって実感はないですね……」
「ああ、そっか。そうだよね。でも、お便りの数がとんでもなく増えたんだよ」
「どれくらいですか?」
「えっと、たしか十倍くらい」
「ええ……そんなにですか」
「君の声は落ち着いていて聞きやすいって評判だからね。長く続けてほしいんだ」
「嬉しいです。俺もラジオの仕事、好きです」
人好きのする笑みに、ディレクターの目尻のしわが深くなる。
「それはよかった。さらに忙しくなるとは思うけれど、身体には気をつけて頑張って。大丈夫、伊吹くんなら出来るから」
「はい。ありがとうございます!」
「じゃあ、来週もよろしくね」
二人組アイドルユニット「RainyMoon」としてメジャーデビューして一週間。伊吹を取り巻く環境は大きく変わった。例えば、ラジオの仕事は事務所の練習生だった頃から携わっているが、それまで多少余裕のあったスケジュールが分刻みに変わった。百戦錬磨のディレクターには、「デビュー直後でこの忙しさか」とこれからの活動に抱いていた一抹の不安を見抜かれていたのだろう。
ようやく、今日入っていた仕事がすべて終わった。ブースと外のフロアを仕切るガラスに映った癖のない顔は、自分でもほんの少し、疲れているように見えた。
楽屋へ戻り、荷物をまとめて部屋を出る。いつもは財布とハンカチとスマートフォンくらいしか入っていない小型のボディバッグだけ、という身軽な格好だが、今日は大きなボストンバッグを携えての大移動。夜も遅いため、ぽつぽつとしか人とすれ違わないが、皆一様に荷物の多さに目を丸くした。こんな形で視線を浴びるのは初めてで、なんだか気恥しい。下を向いて、歩くスピードを上げた。
仕方ないじゃないか。昨日急遽、必要な荷物をまとめておけと指示されたのだから。理由を聞く間もなく次のスケジュールへ向けて移動しなければならなかったので、伊吹は大荷物の理由を分かっていなかった。
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