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「この町の民謡を知っていますか」
女はそう、僕に話しかけました。
綺麗な方だな、と思いました。表情は穏やかで、どこか魚の眼を思わせるその瞳の奥には涼しく爽やかな意志を思わせる何ががありました。
眉や鼻など、彼女の顔にのったそれらは自然に馴染み、どこかひとつだって作り物の気配のない、自然な顔でした。
そう、貴方の耳はその形によく似ています。終点のない曲線が肉体に宿す神秘的な効果が確かにあるように思います。きっと、いるんでしょう。彼女や、貴方のような神様の愛を受けた人々が……。
しかし、何より僕が美しいと思ったのは彼女の声です。
なんとお伝えすれば良いのでしょう。
顔と同じようにその声は、何もかもが自然で、言葉の奥に流れる意味という意味をなんの摩擦もなくこちらへと届けるような、そんな音でした。
粒立つこともなく、荒れることもなく、ただ流れるままに彼女の唇は言葉を発しました。
飲み物を買って戻るはずだった僕が、彼女の唐突な問いを真面目に聞く気になったのは、きっとその声のせいだったのだと今は思います。
彼女は僕に、民謡のことを話してくれました。持っていたペンとノートに歌詞を書きながら、その意味や伝説なんてものを語り、僕達はすぐに打ち解けることが出来ました。
不思議と、僕はその綺麗なロビーや彼女と一体になったような、世界に肯定されたような、そんな妙に壮大な気持ちになりました。そういった気持ちにさせる特別な能力が、彼女には備わっていたんです。
僕は宿泊していた短い期間、彼女とそうしてよく話をしていました。宿のロビーや、居酒屋、時には夜の海でも……。
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