オルゴール桜とヴァイオリン

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「オルゴール桜の種もらってきた!」 友だちのマコちゃんは植木屋さんの子だった。 匂い消しゴムをあげたお返しにと、マコちゃんは木の種を私にプレゼントしてくれたのだ。 「ねえ、うちの庭に埋めてもいい?」 「………。」 父は、寡黙な人だった。 じっと黙って何かを考えるようにした後、父は静かに頷いた。 いいよ、植えてごらん、と。 私はスコップを持って、庭に種を埋めに行った。 じょうろで水をやったら、ジュウッと黒く濡れた土の色を、今でもよく覚えている。 『オルゴール桜』は、音楽を奏でる桜だ。 大きく成長すれば、まるでオルゴールを鳴らしているかのような綺麗な音がチロチロと鳴る。 けれど、なかなか成長しない。大きくならない。 「この桜、ぜんぜん背がのびてくれないよ。」 私が言うと、父は答えた。 オルゴール桜は、音楽を聴くと成長する。 きみが、うまくこれを育ててごらん。……と。 私はヴァイオリン教室に通っていた。 初めはキイキイ弦が鳴ったり、全然音が合わなかったりした。けれど練習するうち、だんだん上手に弾けるようになってきた。 私は庭に出て、毎日毎日ヴァイオリンを奏でた。 (早くオルゴール桜の音が聞きたいな。)と思いながら。 けれど、オルゴール桜は全然伸びてくれなかった。 代わりに私の身長ばかり、どんどん、どんどん、伸びていった。 私が音楽大学に通うようになっても。 プロのヴァイオリニストになっても。 コンサートの収入でお金を稼ぎ、観客からの歓声と拍手に人生の幸福を感じるようになっても。 父は先日亡くなった。 ……結局、あれはオルゴール桜ではなかったのだ。 うちの小さな庭で、大木を育てる余裕はなかった。 でも、娘をがっかりさせ、傷つけることも、父にはできなかった。 だからこそ、私に内緒で種をすり替えておいたのだろう。 父のアドバイスに従っても、あの小さな木は伸びてくれなかった。 けれど、代わりに。 私の才能は飛躍的に伸びた。 音楽の才能を開花させ、ヴァイオリンを相棒に世界中を駆け回り。 父のおかげで、私は自分の羽を生やし、輝かしく巣立ち、自分の人生を歩み始めることができた。 だから私は、あの時のちょっとした父の嘘を、快く許してあげようと思うのだ。
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