9.襲われるフェリクス

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9.襲われるフェリクス

 足早に去っていくフェリクスの背中を視線で追いかけて、その背中が路地裏へ消えて行った時に違和感を覚えた。 「屋敷はあっちの方向じゃないぞ」  普段馬車から降りて歩くことなんて慣れていないはずだから屋敷へ帰る道を間違えたのかと思ったが…。  それにしてはフェリクスの足取りは迷いのないものだった。この辺りを歩くことに慣れている感じの。  二番通りに行くことになったのは偶然の出来事だ。それなのに今日に限って馬車の迎えを頼んでいないなんてそんなことあり得るのだろうか?  あいつは一体どこへ行こうとしているのか。 「あっちはスラム街だ。治安があんまり良くないところだよね。もしかしてフェリクス…向こうに住んでるのかな……」 「どういうことだ!?」  何か事情を知っているらしいミハイルに詰め寄る。  そこでミハイルから語られた内容は驚くべきものだった。  黒狼騎士団入りを反対したルートベルク夫妻によってフェリクスは家から勘当されているということ。フェリクスが家から出ていることをミハイルは知っていたが、まさかスラム街に住んでいるとは思い至らなかったと。  ミハイルがそう思い込んでいたのも当然かもしれない。一切の援助もせず貴族の息子を放り出す親がいるなんてまさか思わなかったのだろう。  だが、ルートベルク夫妻の非情な性格を知っている俺はあいつらならやりかねないと考えている。自分達の思い通りにさせるためならどんな手段でも使ってくる奴らなのだ。  フェリクスは何も持たない状態で屋敷から放り出されたのだ。  何でだ。  どうしてそこまでしてフェリクスは黒狼騎士団に入ろうとしたのだろう。  温室育ちのくせに。白鷲騎士団に入っていれば、こんな辛くてキツイ仕事とは無縁の世界でいられたのに。  上官たちに毎日扱かれて、同僚達からだって冷たい態度を取られている。それに俺だってそうだった。あいつと訓練に入る前は顔を合わせたくないと思っていた。誰からも厳しい態度を取られてもあいつはそのことに一切不平不満も言わず、一生懸命励んでいた。  会話を交わしたことなんてほとんど無いからあいつが何を考えているかなんて未だにさっぱり分からない。だけど、中途半端な気持ちで入団したのではないことは俺にだって分かる。フェリクスは間違いなく強い信念を持ってここへやって来たのだ。  フェリクスを想うとぎゅっと胸を引き絞られるような痛みに襲われる。これまで抱いていたような苛立ちではない。応援したい、守ってやりたいと思う気持ちだ。  俺は居てもたってもいられず全速力でフェリクスの消えた路地に向かって駆け出した。  路地裏を走っていると、奥から争うような声が聞こえて来る。  離せ、というフェリクスの声。それから揉み合う音。「今日こそ逃がさない」と男二人掛かりでフェリクスが建物の壁に押さえつけられている姿が視界に飛び込んできた。フェリクスは必死で顔の前で両腕を十字に構えて抵抗している。  怒りで目の前が赤く染まる。 「そいつを離せ!」  駆け出した勢いのままフェリクスに覆いかぶさるように立つ男の一人の頬を殴りつける。男の体が吹っ飛び、傍に置かれてあったゴミ箱へと突っ込む。俺が現れたことで驚愕したもう一人の男には鳩尾に蹴りを入れて壁へと押し付ける。  こいつらがフェリクスを襲おうとしていたのは明らかで、到底許せるものじゃない。  解放されたフェリクスがへなへなと力なく地面へ座り込むのを横目で見ながら、男の腹に乗せている足にぐっと力を込めた。 「うぅ……止めてくれ」 「あぁ? よくもそんなことが言えるな」  俺が来なければ今頃フェリクスがどんな目に遭っていたことか。さてどうしてくれよう。苛立ち、再度鳩尾を蹴りつける。「うぎゃあ」と汚い悲鳴が上がるのを冷めた目で見下ろす。 「シド、もういい……」  掠れたフェリクスの声が聞こえて、俺はピタッと動きを止める。フェリクスの指が行動を押し止めるように俺の外套の裾を掴んでいた。小さくカタカタと震えているのを見て、やはり到底男達を許せそうにないが、これ以上こいつの前で暴れる訳にもいかない。渋々と足を引く。 「こいつら知り合いか?」  男の一人が「今日こそ逃がさない」と言っていた。つまり、以前から接触があったのだろう。 「少し前から…後を付けられていて…前にも一度……」 「前にも!?」  やっぱり殺そう。この手の奴らは何度だって同じことを繰り返すに違いない。正当防衛というやつで騎士団には処理してもらおう、頭の中で算段して再度足を振り上げる。 「ち、がう……! ただ、道を塞がれただけだ。何もされてないから……!」  こんな今にも倒れそうな状態の時ですらこいつらを庇おうとするフェリクスに呆れつつ、ため息を吐いた。殺す代わりに男達を縄で縛りあげた上で路上に転がした。 「後で騎士団の連中に連絡してこいつらを回収してもらうか。せいぜい野良犬に喰われる前に回収してもらえることを祈っておきな」  男達が顔を引きつらせるのを胸のすく思いで眺める。  それから座り込んだまま顔を青ざめさせているフェリクスの前に膝を付き、その肩に自分の外套を掛けてやる。 「本当に何もされてないか?」  声も出せず頷くのを見て、少しだけ安堵する。俺はどうやら最悪の状態に辿り着く前にフェリクスを助け出すことができたのだ。恐怖から未だ立てないフェリクスの膝裏と背中を掬い上げて抱える。 「……あっ、シド……!?」  目を驚きに見開き、身じろぎしようとするフェリクス。 「家まで送る。しっかり掴まっていろ」  俺の言葉に困ったように眉を下げていたフェリクスだったが、やはり恐怖の方が勝っていたのかおずおずと遠慮がちにしがみ付いてきた。こちらの胸に預けてきた頬が微かに震えている。今手を離したら消えてしまいそうで、ぎゅっと抱え込むように抱き直す。どんな恐怖からも守ってやりたいと強く思う。  フェリクスの案内に従って辿り着いたのは、石造りの壁が所々剥がれ落ちている見るからに古い家だった。廃墟の手前という感じだ。こんなボロボロの家にフェリクスがたった一人で暮らしていたと思うと、言葉を失う。  家の中に入ったところでフェリクスを下ろしてやる。中も案の定ボロボロだった。そのみすぼらしい部屋の中で俺の外套を纏ったフェリクスはいつもよりも小さく、頼りなく見えて哀れさをいっそう誘う。  フェリクスの両肩を掴み、顔を覗き込む。 「なあ、もういい加減白鷲騎士団へ行ってくれ。これ以上お前に黒狼騎士団に留まって欲しくない」  それはフェリクスを嫌って追い出そうとして出た言葉ではない。  こいつはこんな場所で暮らすような奴じゃないと思ったからだ。美しくて華やかな場所が何よりも似合う奴だ。  俺はもうこれ以上フェリクスが誰かから傷つけられたり、辛い目に遭うのを見たくないのだ。安全な場所で生きていて欲しい。白鷲騎士団へ入りルートベルクの屋敷に帰りさえすれば全てが叶うのだ。  ところがフェリクスは、俺の言葉にこれ以上ないほど傷ついた顔をした。  目尻に涙を浮かべて首を横に振った。フェリクスが涙を浮かべる姿など初めて見たから息を呑む。すぐに顔を俯かせてしまったフェリクスは 「送ってくれたことは感謝しているが……もう帰ってくれ」  と俺の胸を押した。そしてすぐさま顔を逸らしてしまう。固く拒絶する姿に今日はもうこれ以上の話し合いは無理だろう、そう判断した俺はフェリクスの家を後にした。  外に出たところで、フェリクスの家の扉の前に座り込む。  先程の男二人組がここに来る可能性はもう無いが、フェリクスを狙う不埒な輩がいつまた現れるか分からない。あいつがこんな場所に住んでいることが判明した以上このまま帰るわけにはいかない。  寒さに身を縮めながら眠気と戦いつつ、時折路地裏を通りかかる人物を睨みつけ、空が白み始めて家の中のフェリクスが起き出してくる気配がするまでは扉を守り続けた。
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