1.僕の英雄を追いかけて

1/1
前へ
/16ページ
次へ

1.僕の英雄を追いかけて

 僕は同じ騎士団に所属しているシドという男に長い間憧れを抱いていた。  だが、残念ながら当の本人に嫌われていると知ったのはつい最近のことだ。  何故そんなことを知ったかと言うと、シドとその友人が話しているところを偶然立ち聞きしてしまったせいだ。 「なあ、何でフェリクス様はよりにもよってうちの騎士団なんかに入って来たんだ?」  フェリクス、と僕の名が騎士団の訓練所から聞こえてきたことで、廊下を歩いていた足を止める。訓練所は開放感があって扉もついていないから、少し耳を傾ければ話が筒抜けの状態となる。  貴族として生まれ、立ち聞きなんてみっともないことだと教えられてきたが、話の内容がどうしても気になってしまったのだ。息を潜めて廊下の壁に張り付くようにして立つ。  声の主は確か、ミハイルという名の男で、士官学校時代からのシドの友人だったはずだ。砕けた口調。そうなると会話の相手は必然的に絞られる。 「さあな。貴族の考えることなんて分かるものか」  相手は僕の予想通りシドだった。  シドの声を聞けたという嬉しさよりも先に背中に冷たい汗が伝う。シドがこんな風に話すのを初めて聞いたせいだ。僕の知るシドは無口だけど、僕に対しては丁寧さがあった。不機嫌極まりない、忌々しそうな口調などついぞ聞いたことがない。 「案外お前を追ってここまで来たとか?」  ミハイルの鋭い指摘に、今度は心臓がドキドキと早鐘を打つ。 そう、彼の言う通り僕はシドを追ってこの騎士団に入団した。だが次に口を開いたシドから零れ落ちた言葉は、僕を絶望の底にたたき落とすものだった。 「はっ。そうだとしたらまた取り巻きを使って俺に嫌がらせをするために来たんだろう。どこまでも嫌な奴だ」  嫌な奴。シドが僕に対して向ける感情。  初めて聞いたその思いに、鏡を見ずとも自分の顔が青ざめていくのが分かる。呆然と立ち尽くす。嫌がらせ、嫌な奴。これまでにシドに対して嫌がらせなどそんなことをした覚えは一切無い。無いのだが……彼にとってはこれまで僕の取っていた行動の一つ一つが気に入らないものだったらしい。  その後もシドとミハイルの間で何らかの会話が交わされていたようだったが、ショックで立ち尽くす僕の耳には届かなかった。だから、立ち去るタイミングすら失って、会話を終えた二人が廊下に出てきたところでかち合ってしまった。 「わっ」  ミハイルの驚いた声が上がる。しまったと思って顔を持ち上げると、同じくこちらを見ていたシドと視線がぶつかった。  やはり同様にしまった、という気まずそうな表情を一瞬浮かべたシドだったが、すぐにそれは冷ややかなものに切り替わる。 「聞いてたのか」  もはやこの状況で嘘を言っても仕方がない。僕はこくっと小さく頷く。はあっとため息をついてシドが言葉を続ける。 「聞いていたならはっきり言わせてもらう。俺はもうあんたに仕える下働きの男じゃない。屋敷もとっくに出たんだ。だからもうこれ以上俺に関わるな」  絶縁通告とも取れるその言葉に、とっさに何も言葉を返すことができず唇をわなわなと震わせることしかできなかった。  僕が何も答えなかったことに眉を顰めて訝しんだシドだったが、言いたいことを言い切って満足したらしく「じゃあな」と背を向けて去って行った。  僕が呼ぶといつもすぐに駆け付けてくれたシドが、こちらを一切振り返りもせずに。  去っていくシドの、僕を固く拒絶するその姿を見ていたらぶわっと涙が溢れ出てきた。感情を表に出すなという家の教えすら忘れ去って。  一体何でこんなことになってしまったのだろう。嫌われていた、嫌われていた、その事実が針のようにちくちくと胸に刺さって離れない。 「え、ちょっ……」  去っていくシドと立ち尽くす僕を困ったように交互に見ていたミハイルだったが、僕が突然泣き出したことによりおろおろと慌てだす。 「フェリクス様。こちらへ!」  ミハイルによって先程まで二人が話をしていた訓練所の中に連れて行かれて、片隅に置かれた椅子に座らされる。その間も僕の目からは次から次へと涙が落ちる。他人の前で泣くのはみっともないことだという教えは頭の中にあるのに、一度感情が溢れてしまったせいで止まらない。 「えっと、もし良ければ話を聞かせていただけませんか?」  丁寧な口調で、未だに僕のことを貴族として扱うミハイルに鼻をすすりながら「同僚としての口調で構わない」と伝えると「それじゃあ、遠慮なく」と口調を崩し始めた。隣の椅子に腰かけたミハイルが首を傾げながら問いかけてくる。 「僕が知っている話だと、フェリクスは子供の頃から今までシドに嫌がらせをしていたんだよね……?」  ミハイルの口から出てきた「嫌がらせ」の言葉。まただ。僕には一切そんなことをした覚えがない。だから首を横に振る。 「してない。するはずがない」  だって、シドは僕の憧れであり英雄だ。そんな彼に嫌がらせなどするはずがない。 「でも、シドのことを嫌っているんでしょう?」  思いも寄らぬミハイルの言葉に目を瞬かせる。どうして僕がシドを嫌いになどなるのだろう。そんな日は絶対に来ない。ぶんぶんと音を立てる勢いで首を横に振る。 僕は状況が飲み込めず不可解だという顔をしているミハイルに、幼い頃のことを話すことにした。  両親が孤児だったシドを屋敷の下働きとして引き取ったのは僕が十二歳の頃だった。引き取った理由は貴族としての義務である慈善事業の一環だったと思う。  初めて部屋で引き合わされた時、シドに対しては目つきの鋭い子供だと思ったのが第一印象だ。それに黒髪に黒目の組み合わせは珍しいとぼんやり思ったぐらいで、特にそれ以外の感情など持ち合わせなかった。そんな僕だったが、その印象が大きく変わったのは比較的すぐのことだった。  ある日のこと。馬で遠乗り出かけた時に僕は魔獣に襲われたのだ。  普段は魔獣など出ない平和な場所だったから、大人の供は連れていなかった。  魔獣に驚き、興奮した馬の背から転がり落ちて地面に叩きつけられて、逃げることもできずもう駄目だと思った。  その時だった。供としてついてきたシドが颯爽と僕の前に現れて鮮やかな剣さばきで魔獣を退治したのだ。それを見た時、僕の胸は苦しいぐらいに脈を打った。  代々騎士を輩出する名門であるルートベルク家に生まれながら、僕自身はと言うと剣の腕はさほど上達せず、魔獣に出会った瞬間恐怖で震えるしかなかった。そんな情けない僕とは裏腹にシドは一切怯えることもなく冷静に対処したのだ。 「英雄」そんな言葉が自然にすとんと胸に落ちてきた。そしてあの瞬間、僕はシドに強い憧れを抱いたのだ。  できることならば彼と友達になりたい。  僕には友達と呼べる存在は一人も居なかったけれど、シドとそんな間柄になってみたいと強く思った。  だけど、そうした僕の感情は両親や屋敷の者にとっては褒められたものではなかったらしい。貴族の僕が下働きの者と仲良くしてはいけないと何度も窘められた。  砕けた口調で話しかけるのも駄目、あれも駄目、これも駄目と制限をかけられてしまう。  段々と思い通りにならない現実に心は疲弊する。しかし様々な制限をかけられても僕はシドを側に置くことを諦めなかった。  それにシドだって絶対に僕のことを拒否しなかった。呼べばいつだって駆け付けてくれる。屋敷の人の目があるから会話なんてほとんど交わすことはできなかったけれど、シドが傍にいてくれる。それだけで満足だった。 「シド、ずっと僕の傍にいろ」 「はい」    ***  成長し、士官学校へ入る年齢になるとシドと一緒に入学した。両親に交渉したのだ。シドには剣の才能があると。いずれは僕などよりもずっと立派な騎士になれるに違いないと。少々頼りないところのある僕だったから、しっかり者のシドが付き添うことに対して両親は反対をしなかった。そしてシドもまた士官学校へ行くことになった。  そこから先のシドは才能を一気に開花させることになる。講義を学ぶにつれて剣の腕はさらに磨きがかかり、進級に伴って特進コースへと進んだシドと普通コースの僕はクラスが離れてしまった。  新しいクラスになったシドにはミハイルという名の友人ができた。そしてクラスが離れたことにより今までみたいにずっと僕の傍にいてくれるわけでも無くなった。置いていかれてしまったみたいで、これには少し寂しさを覚えた。  でもシドは昔から今も相変わらず僕が呼ぶと駆け付けるし、頼みを何でも聞いてくれるから、安心していたんだ。  僕が彼にとっての一番だと。  やがて将来の進路を決める時がやってきた。  オレイユ王国には現在四つの騎士団が存在していて、シドは平民が多く在籍する黒狼騎士団への入団を決めた。実力主義と言われている騎士団だ。活躍すればするほど上へと昇ることができる。きっとシドならば上へ行くことができるだろう。  僕のもとには白鷲騎士団からの勧誘があった。こちらは反対に貴族が多く在籍している。僕に対しては実力が認められたという訳ではなく家柄で声を掛けられた…そんな気がしている。  でも、僕は……。僕はどうしてもシドと離れたくなかった。  だから黒狼騎士団へ入団できるように、自らの足で掛け合いに行った。  僕の実力では黒狼騎士団へ到底入れるものではないと分かっていたけれど、諦めたくなかった。そこで入団のために面接を受けに行ったのだ。  結果は自分でも信じられないことだけど、合格だった。  だけど家からは猛烈な反対にあった。  平民が在籍する黒狼騎士団に入るなんて認められないと。ルートベルクの家系からはほとんどが白鷲騎士団へと行くのだ。祖父も、父も、兄達もみんなそうだった。  僕はそれでも黒狼騎士団へと入りたいと訴えると、今度は騎士団へは入らなくていいからどこかの令嬢と結婚して領地の管理を手伝えと言われる。どうしても僕をあの騎士団へ入らせたくないのだ。世間の評判を気にして、そんな風に感じる。  これまで僕はずっと家の方針に従ってきた。シドとだって本当は友達みたいに仲良くなりたかったし、気軽に話しかけたりもしたかったのに我慢してきた。貴族らしくあろうと努めてきた。だけどもうこれ以上は我慢できなかった。好きでもない会ったこともない相手と結婚もしたくない。  初めて反抗らしい反抗をしたのだ。  僕が家の方針に従わないことに両親は激怒した。あんなに恐い表情を初めて見た。そして家から勘当されて追い出されたのだ。気持ちを入れ替えて白鷲騎士団に入るか、結婚すれば許すと言い渡されて。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

41人が本棚に入れています
本棚に追加