2.せめて君を想う気持ちは赦して

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2.せめて君を想う気持ちは赦して

「それで、フェリクスは家を出てしまったの? そのこと、シドは知っているの?」  これまでのことを話し終えると、ミハイルは驚いた様子で問いかけてくる。 「いや……知らないだろう。僕が家を出たのはシドが家を出た後だったから」  一足先に黒狼騎士団へ入団を決めたシドは、そのタイミングで家を出たのだ。 「あー……なるほどねぇ。何だか段々と分かって来たぞ」  顎に手を当てたミハイルは何やら考え事をしている。 「僕が抱いていた君への印象って、手下を使ってシドにあらゆる嫌がらせをする奴だったんだよね」  ミハイルの言葉の意味が分からなくて、僕は首を捻る。 「うん、その反応。君は知らなかったんだね……」  困ったように眉を下げるミハイルの口から語られた内容は、とても驚くべきものだった。  幼い頃は屋敷に仕える使用人達から、士官学校に入ってからは僕の取り巻きに、シドは数々の嫌がらせを受けていたらしい。  思い返してみれば、士官学校ではやたら話しかけてくる人達が多かったように思う。ただ、彼らの目当ては僕の家に取り入りたいという下心が明け透けだったので相手にすることもなく、ほとんど会話を交わしたことも無かった。それなのに僕の知らない水面下では様々なことが起こっていたのだ。 「お前みたいに汚らしい平民がフェリクス様に近付くな」「これはフェリクス様が望んでいること」と、時には暴力を伴ってシドは嫌がらせを受けていた。  シドがそのような目に遭っていたなんて、少しも知らなかった……。  シドは自身の身を守るためになるべく僕と距離を取ろうとしていたらしいけど、僕がそれを許さなかったから、ますます周りに目を付けられるという始末。 「そんな……そんなことがあったなんて」  僕の行動のせいでずっとシドが辛い目にあっていたと思うと、胸が苦しくなる。その間、僕は何も知らずに呑気に過ごしていたのだ。どうしてそのことに気付けなかったのだろう。  シドに憎まれ、嫌われていたって当然じゃないか。ショックからぶるぶると体が震える。 「君は……そうか。本当はシドのことが好きだったんだね」  好き。そう、シドに抱く思いは憧れだ。魔獣から助けてもらったあの日から。 「僕からシドに伝えようか? 周りが君達の仲を裂こうとやっていたことだって。フェリクスは何も知らなかったって」  ミハイルの言葉に、僕は目尻に涙を溜めたまま首を横に振った。  知らなければ罪にならない?  とてもそうは思えない。僕は、彼の置かれている状況を知ろうともしていなかったのだ。もっとシドだけでなく周りにも目を向けていれば状況はずっと変わっていただろうに。盲目にシドだけを見続けていて、それを怠っていたのだ。  そんな僕がシドを思う資格なんてあるだろうか。 「どうかシドには何も言わないで欲しい。これ以上彼を煩わせたくない」  シドはようやく僕からも、僕の家からも解放されて騎士団の中で居場所を見つけて自由を得たのだ。それなのにまた僕のことで彼を煩わせたくないと思った。 「そうか。君がそう望むのなら」  ミハイルは僕の気持ちを汲んでくれたようだ。 「フェリクスはこの先どうするの? 白鷲騎士団へ行くのかい?」 「…このまま黒狼騎士団へ残ろうと思う。僕が残ることはシドには歓迎されないだろうけど、一度決めた道だから」  身分に関係なく全ての民を守るため黒狼騎士団は結成された。  シドのことが大きなきっかけだったけれど、僕が黒狼騎士団へ入りたいと思ったのはその理念に惹かれた為でもある。  家の反対を押し切って、初めて自分自身で選んだ道だ。例えシドに嫌われていて居づらくても辞めたりはしない。 「そうか。僕は本当に君のことを誤解していたみたいだ。君の真心がいつかシドにも届くといいね……」  そんな日はきっと来ない。シドはもう僕の顔など見たくもないだろう。キュウッと胸が苦しくなる。  ミハイルの言葉に押し黙ったまま何も答えなかった。  シド。  僕の気持ちが君の重荷になっていたなんて知らなかったんだ。辛い思いをたくさんさせてこれまで本当にすまなかった。  ああ、僕が貴族でなかったら。違う立場で出会っていたら、ミハイルのように君と友達になれていたのだろうか。  本当はもうこんな気持ちを持っていてはいけないと分かっているけれど、僕にはこの気持ちを捨てられそうにない。  もう絶対に君に迷惑はかけないと誓うから、だからどうか、君を想うこの気持ちだけは赦して欲しい。  あれから僕はなるべくシドの視界に入らないように努力した。  新入団員としての訓練期間中、彼から距離を取った。  シドから僕に話しかけてくることはないから、僕が距離を置けばいともあっさりと切れる縁だったのだな、と少々寂しく思う。  しかしながら、そんな感傷に浸っている暇もないぐらい訓練は厳しいものだったので、それは有難かった。  体力があまりない、これは僕の弱点だった。  鎧を身に着けて走り回っているとそれだけで息が切れて、目の前がくらくらとしてくる。動きが制限されることもあって、僕は鎧ではなく胸だけを覆う形の胸当てに変更してもらった。全身を覆う鎧に比べたら軽さはあったけれど、それでもそれなりの重量があって、夕方ともなると肩で息をしながら地面にへたり込んでしまう。そうなると上官によって頭から思いっきり水を掛けられるのだ。 「おい、誰がへばっていいって言った!? ここは貴族の社交場じゃねえぞ。付いて来れないならさっさと辞めちまえ!」  怒号が飛び交う。  こんな風に怒鳴られた経験なんて人生で一度もない。それに、同期の者達からは距離を置かれている。僕が怒鳴られる様を遠巻きに見られているのだ。  自分自身の不甲斐なさや、怒鳴られる姿を他者に見られることによって自尊心は粉々になる。正直言って泣き出したい、逃げ出したい気持ちになるけれど、唇を噛みしめてぐっと堪える。  同期の者達に距離を置かれている理由はすぐに判明した。 「お前って金の力で入団したんだろう」  少々吊り目の可愛らしい顔立ちの男が、僕を睨みつけながらそんな話をしたからだ。 「だってそうだろ。お前みたいな実力で黒狼騎士団に入れるわけがないんだ。ここにいるのは皆剣の腕の立つ者ばかり。だったら理由は一つ。金に物を言わせて入団したんだ」 「違う。そんなことはしていない」  僕は貴族ではあるが、自身に財産があるわけではない。ましてや両親からは強く黒狼騎士団入りを反対されていたのだ。援助も一切打ち切られているし勘当された状態だ。物を言わせる金などあるはずもない。  だったらどうして黒狼騎士団に入れたのか……それは僕だって不思議だし、理由を知りたいぐらいだ。 「シドに嫌がらせする為にここまでするなんて最低だな」  しかしいくら違うと言ったところで、ラルという名の可愛い顔立ちの男には信じてもらえなかった。それどころか、ラルが僕に敵対する態度を取り始めたせいか団内の皆も同調するようになってきたのだ。  そこからの僕への風当たりはますます強くなる。  嫌がらせや暴言のような悪意をぶつけられることが多くなった。  偶然居合わせたミハイルに気付かれ、「僕が注意しよう」と言う彼を引き留める。 「いいんだ、ミハイル。これは僕が自分で何とかするべきことだから」  きっとこれは因果応報というやつなのだ。  シドが幼い頃から受けていた扱いが今度は僕に来たというだけの話だ。それに、他者から辛く当たられることで少しはシドの気持ちが分かった気がするんだ。シドもこんな風に長年悲しい思いをしていたのだと思うと、僕が泣き言を言えるわけもない。  だけど僕を一番打ちのめしたのは、遠くから見たシドの笑顔だった。  騎士団の仲間達に囲まれて楽しそうに笑うシドを見た時、胸を掻きむしられるほどの痛みを感じた。息が上手く吸えない。  だって、僕は知らない。  知らなかったんだ、君がそんな風に屈託なく笑う姿を。  目の奥がツンと痛む。ああ、僕は本当に君のことを分かっていなかったんだな。これまで抱いていたものが独り善がりな想いだったということに改めて気づく。それが何よりも辛かった。
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