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4.森の中の演習
二週間ほどの新人訓練期間が過ぎて、いよいよ訓練も本格的となった。
ここから先は部隊を分けての演習が一ヵ月ほど続く。互いに協力しながら課題のクリアを目指していく。それをクリアしたら晴れて正式に騎士団に所属できるのだ。
黒狼騎士団に入団できたといっても、現状ではまだ仮入団の状態だ。つまるところ、ここで結果を残せなければ即退団という未来もあり得るのだ。部隊は適性を見ながら団長自身によって振り分けられると聞く。
僕の配属先は……シドとミハイル、ラル、それからいくらか見知った顔の者達と部隊が一緒だった。
基本そのメンバーで朝から晩まで行動を共にするのだ。いくらシドの視界から外れようとしても隊が一緒ではかなり難しい。
いくつも部隊はあるはずなのに、よりによって一緒だなんて……。ぎゅっと唇を噛みしめる。
配属し直してもらえないだろうかと団長のもとへ掛け合いに行く。
「はぁ? お前、この俺が考えた組み分けに不服があるってのか?」
熊。そんな言葉がピッタリの大柄なこの男が黒狼騎士団の団長だ。名はザルツと言う。太めの濃い眉を顰めて唸るように詰め寄られて、僕はたじろぐ。
入団の面接を受けに行った時もこの人が相手だった。その見た目に内心はたじろぎながらも入団したいと思った理由を訴えた。未だに僕が黒狼騎士団に合格できた理由を尋ねたことはないが、今回の配属替えも訴えればもしかしたら聞いてもらえるかもしれないと思ったのだ。ところが淡い期待に反してザルツ団長の反応は芳しくなかった。
「団内で一番実力不足のフェリクス。お前と一番の実力のあるシドを組ませるのは隊内のバランスを考えた上で当然のことだ。分かるか?」
僕は配属し直して欲しい理由を一切言ってなかった。それなのにシドと離れたいということを何故か団長にはピンポイントに把握されていて、その上での意見を返されたのだ。どうして分かったのだろう。
団長の言うことはもっともなことだった。だけど……。
「ですが……。私とシドは今…その、関係が良好とは言えないのです。この状態では皆の足を引っ張る結果となるかもしれません」
僕の言葉に団長は、はぁ? と顔を派手にしかめる。
「うん? 今ですら足を引っ張っちゃってるフェリクス君が、更に足を引っ張るって言うの?」
ぺちぺちと手の甲で頬を軽く叩かれる。
団長の物言いは全く歯に衣着せぬものだ。今は家を出たとはいえ貴族だった僕相手でも関係ないらしい。平民中心である黒狼騎士団が他の騎士団に引けを取ることもなく今の地位に上り詰めたのも、彼自身平民出身であるザルツ団長のこの物怖じしない性格のお陰なのだろう。だが、こうした物言いをされたことなどほとんど無かった僕は、反論もできず固まるしかなかった。
「いいか。俺は全てを見極めた上で最適だと思う組み合わせにしている。俺がそうと決めた以上、反論は聞かねえぞ。お前らの青臭い感情を団内に持ち込むな。以上だ!」
強引に纏められて団長室から早々に追い払われてしまった。
バタン、と音を立てて目の前で扉を閉められて途方に暮れる。この扉はもう何度叩こうが開くことは無いだろう。明日からの演習について考え、深いため息を吐いた。
部隊演習で与えられた最初の課題は魔獣の捕獲だった。街外れの森にいる魔獣を捕獲するというものだ。
黒狼騎士団内でいくつもの部隊が競い合って一匹の魔獣を捕獲する。これは競争だ。
肝心の魔獣についての情報は一切ない。ただ、額に黒狼騎士団の印が刻まれてあるので見れば分かるという。騎士団の印があるということは演習用に飼われている魔獣なのかもしれない。そんなことを考えていると
「演習用の魔獣だと思って舐めていたら食い殺されるぞ! せいぜい、見て、驚け」
カッカッとザルツ団長は腕を組んだまま豪快に笑う。それを副団長や他の上官達が苦笑しながら眺めている。
見て驚けということは、大きな魔獣なのかもしれない。果たしてそんなものを捕獲などできるのだろうか。僕は瞳に不安の色を灯した。
僕達の部隊の隊長は当然のようにシドに決まった。
シドを先頭に隊列を組んで森の中を進む。最後尾はミハイルだ。そして僕の位置はミハイルの前。いや、本当は真ん中の辺りだったのだ。森の中を長時間歩いていく内に段々と遅れ出して、後ろの者達に追い抜かされていき、気付けば後ろから二番目まで下がっていた。
木の根が地面のあちこちから突き出していて何度もつまづきそうになる。遅れ出した原因は体力すら奪っていくこの足場の悪さが一因だ。
「大丈夫、フェリクス?」
はぁはぁと肩で息をする僕を見かねてミハイルが声を掛けてくる。いつの間にか僕の前に人の姿は見えなくなってしまった。集団から離れてしまったのだ。このままではミハイルの足まで引っ張ってしまう。
「すまない……ミハイル、君も先に行って構わない」
もしもミハイルが魔獣の捕獲に参加できなかったら……。僕のせいで退団という結末を辿ってしまったらと思うと悔やんでも悔やみきれない。
「フェリクス。これはね、チームで協力することを目的としているんだ。本来なら隊列を乱すなんてあってはならないことなんだよ。まったく、あの子達は何を考えているんだか。後でキツく言っておかないと。シドもそのうち気付いて引き返して来ると思うけど、こちらも合流できるように頑張ろう。足元に気を付けて」
足を引っ張る不甲斐ない僕にですら、ミハイルは穏やかな声で励ましてくれる。本当にいい人だ。だからこそシドも彼のことが好きなのだろう。
僕が貴族で無くて、平民だったとしてもきっとシドとは友達になれなかったかもしれない。だって、みんなの足を引っ張ることしかできないこんな情けない奴と友達になろうとは思えないだろう。俯いて歩いている僕を心配したのか「辛い? 少しだけ休もうか?」とミハイルが声を掛けてくる。
ハッとする。
こんな時に何を考えていたのだろう。
決めたじゃないか、僕は自分にできる精一杯のことをやって民を守るのだと。黒狼騎士団でやっていくのだと。ともすればシドのことばかりになってしまう軟弱な考えを頭から追い払って、頬を叩く。
「すまない、すぐに彼らに追いつこう!」
顔を上げて、しっかりとした足取りで再び歩き出した。
森の中では目当ての魔獣以外のものも襲い掛かって来た。
ネズミに似た小型の魔獣だ。
当然ながらその額には黒狼騎士団の印はない。ここで時間を食えばさらに先頭の集団に追いつくことは難しかったが、小型とはいえ魔獣を放置していくわけにはいかない。
それにこの魔獣については以前本で読んだことがあるのだ。ネズミに似たこの魔獣は数を増やしやすく、極まれに集団になって人を襲うこともあるという。噛まれると感染症を引き起こすこともあるので、一匹でも見かけたら必ず退治するようにと。特徴からいってこの魔獣に間違いない。
だけど、滅多に現れることがないという魔獣がどうしてここんな場所にいるのだろう。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。ミハイルにそのことを伝え、その上で提案をする。
「ミハイル、退治しよう!」
「了解!」
剣を鞘からスラリと引き抜く。実のところ魔獣退治は初めてだ。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせて呼吸を整えた。
ミハイルの援護のお陰もあってそれほど時間もかからずにネズミの魔獣を仕留めることができた。幸いにもどちらも噛まれることもなく。
「なかなかやるね、フェリクス」
初めて魔獣を退治したことにより、気分が高揚する。
「君の援護のお陰だ」
褒めてもらえたことも嬉しくて、思わずという感じで頬が緩む。おや、とミハイルが形の良い眉を跳ね上げた。
「フェリクス、君、そういう表情もできるんだね」
そういう表情、とはどんな表情のことだろう? 首を捻る。
「嬉しそうだよ」
指摘されて、家の教えを思い出して慌てて口を引き結ぶ。
「おや、何で表情を引き締めたの」
「感情を表に出すのはみっともないことだと教えられているから」
常に冷静であれ。大げさに喜んだり、笑ったりすることは恥ずべきことだとこれまで教えられてきたのだ。感情を出せばそれだけ相手に付け入られる隙が生まれるのだと。
ミハイルは何故だか頭痛を堪えるように額に手を当てた。
「あぁ、そういう環境かぁ。君の鉄壁の表情の理由が分かった気がするよ。でもさ、君はもう家を出たんだろう? いつまでもその教えに縛られることはないと思うよ」
教えに縛られる必要がないと言われても、僕にはどうしたらいいのか分からない。心の内を読んだようにミハイルの言葉は続けられる。
「心のままに行動したらいい。嬉しい時には笑って、悲しい時には思いっきり泣いたらいいよ。それこそこの間みたいにね」
ミハイルの前で思い切り泣いてしまった時のことを持ち出されて、頬に血が昇る。
あの時はとんでもない失態だったと自分でも思う。あんなに泣いたのは人生で初めてだ。口元を拳で隠して視線をうろうろさ迷わせる。
「うんうん、その調子。感情を表に出すのはちっとも悪いことではないと僕は思う。貴族の社会ではそれが普通なのかもしれないけれど、何せここは平民の多い黒狼騎士団だしね。感情を出すことで相手に伝わることもある」
「そういうものなのか……」
確かに、黒狼騎士団の人々は表情が豊かだと思う。生気が感じられるというのか。口を大きく開けて笑う姿を思い出す。それはとても楽しそうに見えた。
僕がそんな風に笑えるかというと少し難しいし、想像もできないけれど。
それから急にシドの笑う顔も思い出してしまって、胸がツキンと痛くなった。自然と頭が下がってくる。
「あれ、何か落ち込んでる?」
「いや……大丈夫だ」
あの笑顔が僕に向けられなくても落ち込んでいる場合じゃない。シドが仲間たちと楽しく過ごせている、それだけで十分じゃないか!
ガサガサ、と遠くの方で茂みが揺れる音が聞こえた。
僕とミハイルは息をひそめて音のする方向を眺める。
遠くの方から何かが茂みを揺らしながらこちらに近づいてくるのだ。薄暗い森の中でも大きなシルエットが揺れているのが分かる。巨大な四足歩行の獣だ。それは間違いなく今回の獲物であることを確信する。
二人では分が悪いからシド達と合流してからにしようとミハイルがジェスチャーで伝えてくる。僕はこくりと頷き、ミハイルと共に木の陰に隠れた。この場をやり過ごそうとしたのだ。
葉と葉の隙間から木漏れ日が差し込んで、近くまでやって来た魔獣の姿を浮かび上がらせる。
それは、トカゲの様な姿をしていた。黒くて少しだけ緑色の混ざった鱗で全身覆われたその化け物は、大きな足で大地を踏みしめてのしのしと歩く。額には、魔法の力が働いているのか黒狼騎士団の印が薄青く光っている。
こいつ、こいつは……。
額からは冷たい汗が流れ出して、呼吸が乱れ始める。口の中はカラカラに乾いていた。
僕はこいつを知っていた。
幼い頃、シドと共に遠乗りに出かけた際に僕を襲ってきた魔獣だ。あの頃よりも遥かに成長して見上げるほどに大きくなっているが、胴の部分に剣の傷があるから、間違いない。シドによって仕留められたと思ったはずが、未だ生きていて騎士団で飼われている。
もう傷は治って跡だって残っていないはずなのに、痛むはずのない左肩が、何故だかとても痛いような気がしてきた。左肩を押さえてぶるぶると震えていたせいか、ミハイルが声を顰めて尋ねてくる。
「大丈夫かい」
平気だと頷こうとするのに、体は引きつったみたいに動かない。それどころかひゅっと大きく息を呑む。
通り過ぎたはずのトカゲが、首だけこちらに傾けてギロッと睨みつけてきたからだ。金の目にギラギラと剣呑な光を帯びて。
「ミ…ハイ……ル」
「気付かれたか……。フェリクスはその様子だと戦えるようには……見えないね。僕が引き付けるから君はここを離れるんだ」
「だ、駄目だ……!」
僕を背に庇いながら大トカゲに対峙しようとするミハイル。
「状況を考えて。今の君の状態では奴と戦えない。だったらシド達との合流を目指すんだ。いいかい、できるね?」
たった一人でこの大トカゲと対峙するのがどれほど無謀なことか分かる。ミハイルだって当然分かっている。分かっていて僕を行かせようとする。それは今の僕が足手まといだからだ。
同じだ、あの時と少しも変わってない。
幼い頃、馬に乗ったまま大トカゲと遭遇した。その頃の大トカゲは今よりも小さく馬と同じぐらいの体の大きさだった。だけど馬は怯えて僕を地面へと落として走り去る。恐怖で悲鳴を上げることもできず震える僕の左肩に大トカゲは噛みついた。何十本ものギザギザの歯が皮膚にめり込み激痛が走った。ああ、もう駄目だ、このままだと殺される。
そう思った時―――。
稲妻みたいな閃光が走った。もちろん実際にそんなことが起きた訳ではなく、そのように見えただけだ。白刃を閃かせて僕の前に現れた少年のシドは一瞬で大トカゲの胴を切り裂いた。怯える僕の目に映るシドは、まるで眩しい光を纏っているように見えたのだ。
そして今も。
僕の目の前に颯爽と駆け付けたシドは、大トカゲの胴を薙ぎ払うようにして斬った。彼の出で立ちは頭の先からつま先まで全身黒づくめなのに、どうしてなのか眩しく見える。
「足を拘束!」
自身は暴れる大トカゲの口に縄を巻きつけながらすぐさま仲間達に指示を飛ばす。シドの後から駆け付けた仲間達が足を拘束していく。僕はその様子を立ち尽くして見ていることしか出来なかった。
「怪我は?」
僕を背に庇うように立ち、こちらへと視線を向けて来たシドは唸るように低い声で問いかけてくる。力なく首を横に振る。心なしかシドがほっとしたような表情を浮かべた。だけどそんなことを気にしていられないぐらいに、心の中は自己嫌悪で塗りつぶされていく。
また何も出来なかった。
騎士になっても、子供だったあの頃と同じように震えていることしか出来なかったなんて。
どうして、どうして僕は……。
「おい、やっぱり怪我したんじゃないのか? 見せてみろ」
シドの視線は僕の左肩に注がれている。右手でぎゅっと掴んだままだったから勘違いさせてしまったようだ。嫌っている相手に対してもやさしいんだな。けれど心配してもらえて嬉しいというよりも情けないという気持ちが勝る。唇を噛みしめる。
「これは、違う」
伸ばされた手から逃れるように一歩引く。シドとの間に距離が空いて、シドの手は行き場を無くして宙をさ迷い「そうかよ」という固く尖った言葉と共に下ろされた。自然と背を向け合う形になる。
そうこうしている内に、森を巡回していた団長達が到着した。
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