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7.後を付けてくる者達
シドが居なくなった後の静まり返った訓練所の掃除を行ってから、僕は黒狼騎士団の敷地から家へ向かって歩き出した。
すっかり遅くなってしまったということもあって、道行く人の姿はほとんど見かけない。時折ひゅうひゅうと冷たい風が頬を吹きつけて、少々の心細さを覚えながら家路へ急ぐ。
大通りはまだいい。酒場の窓から漏れる明りがあるから。人の賑わう気配もあるから安心する。
だけど問題はここからだ。大通りから一本道を外れると途端に街灯の明りも無くなって薄暗くなる。
コツコツとブーツの踵で石畳を叩く音が響く。
僕一人分だった足音がいつの間にか二人、三人と増えるにつれて僕の体に緊張感が走った。
まただ。
ここ最近付けられていると思うようなことが多くなった。
騎士団からの帰り、家へ至るまでの道を歩いていると二人組らしき男が僕の後ろを歩いてくるのだ。彼らの目的は何なのか分からない。ただ、静かに後を付けてくるのが不気味で、いつもは早足で振り切っている。
今日もまた振り切ってやろうと駆け出そうとして、ぎくりと歩みを止めた。
男のうちの一人が、いつの間にか右側の路地から飛び出してきて道を塞ぐように僕の目の前に立ったからだ。
酒にでも酔っているのだろうか、目の前の男は心なしか体を前後に揺らして、にやにやと何とも嫌な笑みを浮かべている。
背後からはもう一人が近づいてくる。こちらも目の前の男と雰囲気は似ている。およそ素面とは思えない。
囲まれてしまった。嫌な予感に心臓が波打つ。
「通してくれないだろうか」
警戒を滲ませた固い声で告げると、目の前の男は肩を竦めた。
「まあそう警戒しなさんな。少しばかり話でもしようぜ。良ければ酒でもご馳走してやるよ。酒が美味い酒場を知ってるから、どうだ?」
「申し訳ないが急いでいるんだ」
こちらには一切そのつもりがないことを知らせる。
「そうかい、それは残念だ」
すると男があっさりと道の端に寄ったので、僕一人分通れるほどの隙間が空く。通してくれるつもりなのだろうか。少々呆気にとられながらも、引いてくれたのなら良かったと思い急いで男の前を通り過ぎようとした。
しかし、すれ違った瞬間。
男の両手が壁を突いた。僕を腕の中に捕らえるような形で。
「なっ……」
驚き、空いた口が塞がらない。
「ふはっ、あんた素直すぎるだろ。もうちょっと警戒した方がいいんじゃないの」
腕に捕らわれたまま、楽しそうに笑っている男を睨みつけるように見上げる。
「まあそう怒るなよ。お綺麗な顔が台無しだぜ。あんた、この辺じゃ見ないような滑らかな肌だな」
ゴツゴツとした指が伸びてきて、頬を撫でられる。
「この辺りであんたを何度も見かけた。身なりも良さそうだし、男娼にはとても見えないがこんなところにいるってことはそうなのか? なあ、この近くに住んでるのか?」
男は機嫌良さそうに顔を近づけてくる。それまで僕が抵抗もせず静かにしていたから油断している。男の顔が間近に迫ったところで鼻っ柱に頭突きを食らわせてやった。
「ぎゃあ!」と濁った悲鳴を上げる男は、痛みに耐えきれず体を引いた。男の拘束から逃れた僕はもう一人の「逃げるな!」という叫びを背中に聞きながら後ろも振り返らず全速力で駆けだした。
途中から追いかけて来る気配は消えた。どうやら振り切ったらしい。
さらに狭い路地裏まで辿り着いたところで、震える手で鍵を取り出して家の入口の扉の鍵を開けた。
家の中に入った途端、安堵からずるずると床に座り込んだ。男に触れられた頬を袖口でごしごしと拭う。気持ち悪い。
古くて汚くて時折雨漏りすらするようなボロボロの家だが、今の僕にとってはこれ以上なく安全な場所に思えた。
騎士になった者達は自身の邸宅から通うか、騎士団の宿舎に入るかのどちらかだ。しかし騎士宿舎に入れるのは基本庶民だけなのだ。貴族はわざわざ狭い宿舎になど入るわけもない。そういう暗黙のルールがある。従って僕は宿舎に入れず、かといって家から勘当された身だったので屋敷からも通うことはできなかった。
一切の金銭的な援助をしてもらえなかったから治安の良い家を借りることもできなかった。治安の良くない場所に、壁を一枚挟んだ向こう側には誰が住んでいるのかも分からない古い共同住宅。それが僕の借りられる精一杯だったのだ。
騎士団の給金が出て生活が安定するまではここにいるしかない。
恐かった。
これまで彼らが後を付けてくる目的が分からなかったが、今日接触されたことによって初めて理解した。彼らは僕を男娼だと誤解しているみたいで、そのように扱いたいのだ。
騎士団の制服を着ていたら絡まれることも無かったのだろうけれど、帰宅する際には私服へと着替えてしまった。
何故こんな目に遭わないといけないのか。
理由は分かっている。意地など張らずに両親の決めた道を大人しく歩いていればこんなことにはなっていなかったのだ。そうしていれば今もまだぬるま湯の様な世界に身を置いていたはずだ。
ぬくぬくと辛さも知らず育っていた僕は、現実を知り始め、上手くいかないことの方が多くて自分の思いを貫くことへの難しさと向き合っている。
シドとの訓練の際に感じた高揚した気持ちがすっかりとしぼんで消えていくのを感じた。
恐怖と心細さから自然と目から涙が出てくる。もう拭う元気すら出なくて流れるままにする。
こんな思いをするぐらいなら逃げ帰ってしまいたい。だけど、シドを感じられる距離にいて、黒狼騎士団の仕事をこなす。それは大変だけど、これまでの日々とは違って今初めて生きていると感じられるものだった。
どんなに辛くても、やはり僕にはこの道を諦めることなんてできないんだ。
くう、とこんな時ですらお腹は減る。
しかし残念ながら食糧を保管する棚にはまともな食材は入っていない。生まれてからこれまで料理などしたことがない僕には食材を買ってもどう調理したらいいのか分からないのだ。だから買うのは大抵そのまま食べられる果物ばかり。
外に食事に行こうとしても、大抵酔った相手に絡まれる始末。どうやら僕の容姿は酒場において目立つらしいのだ。色素の薄い髪の色や肌が原因なのかもしれない。誰か友人と連れ立って行けばまた違うのかもしれないが、生憎僕には食事に行くような友達など一人もいない。
今は本当にお金がない状態だから、騎士団で支給される昼食だけが唯一の頼りだ。
仕方なくぐうぐうと鳴るお腹を押さえたまま部屋に備え付けられたベッドに横になる。もう一歩も動けそうにない。体がとても重く感じられた。
お腹が空いた時には寝てしまうに限る。こうすれば案外何とかなるもの。寝て起きて朝になれば不思議とお腹の空き具合を誤魔化せるのだ。この生活を始めてから知った知恵だった。
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