甘えないでね

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 まるで、トンボで均したばかりのグラウンドに、足を踏み入れられたような気持ちだった。  思わず両手で受け取ってしまった紙に、成瀬凛は視線を落とす。両面がつるつるのフライヤーは、目を引く色と文字でデザインがされていて、思考が止まったままの私でもメインで伝えたいことを受け取るのは容易かった。  記載されているイベントの名前と日付。見覚えがあるのは、同じものが確か教室のなかの壁にも、廊下の掲示板にも、なんなら近所のコンビニやスーパーにだって張り出されていたからだ。それだけ貼ってあっても凛の興味を引くには至らなかったそれが、いま、私の手の中に納まっている。 「そのイベント。俺、ソロで吹くことになったんだ」  一曲だけだけどね。そう言って口元を綻ばせた久住くんこそが、私にこのフライヤーを渡してきた張本人だった。  私も困っていたけれど、久住くんもなんだか私以上に困ったような顔をして、相対する私を見下ろしている。もうとっくに部活動も引退して身軽になった私と違って、未だに重たそうな荷物を持つ彼は、ふいに窓の外から聞こえてきた金管楽器の音に振り返って、それから再び私の方を見た。  久住くんが口を開いて、けれど言葉がこぼれることはなく一度閉じられて。  それでも、一呼吸あとにはひとつの覚悟を決めたように唇を引き結んでから、まっすぐに私のことをみて、久住くんはスパイクのない靴で、もう一歩を踏み出した。 「……良かったら、成瀬に、みにきてほしい」  土なんてひとつもない、掃除もホームルームも終わったばかりの廊下で。  力を込めた私の親指の下で、うちの吹奏楽部の出演情報に小さな皺が寄った。
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