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「お、屋台が出てる。あ、ほら凛ちゃんみて、キッチンカーも出てる!」
「はいはい、ちゃんと前見て歩いてね」
毎年行われる、地元のお祭り。ひとつの通りを歩行者天国へと変え、その両脇には商店街からの出店ブースや飲み屋のテント、夏祭りに見かける様な屋台、それからおしゃれなメニューのキッチンカーなどが並んで、駅前から続く歩行者の波をサンドイッチしている。
久しぶりにこの浮かれた雰囲気に踏み入れたせいか、姉の風香は見るもの珍しいとばかりに足元を浮つかせ、被った帽子のつばをあっちこっちに向けていた。帰省している彼女の現住所にはこれらよりも目を引いてきらびやかなものがたくさんあるはずなのに、このはしゃぎっぷりはいったいなんなのか。
「だってえ、私のときには無かったものがあったりして、楽しくて」
お姉ちゃんはそう言って、けらけらと笑った。それから目に付いたキッチンカーのメニューがみたいと私の腕を引っ張って、ぐいぐいと歩みを進める。
昨日、久住くんから貰ったフライヤーと睨めっこしていたときに、手元を覗き込んできたのがお姉ちゃんだった。行くか行かないか。私にとってはとても大事なその選択を、何なら一週間ぐらいはずっと悩んでいたそれを、大好きなお姉ちゃんは「ね、私行きたい!一緒に行こう!」なんて簡単に一択にしてしまった。
「勿論、奢ってあげるから!」
決して、金銭的にも胃袋的にも魅力的な誘いに一本釣りされたわけじゃない。ないったら。
キッチンカーから美味しそうなハンバーガーを受け取って舌鼓を打ち、から揚げを買ってその大きさとジューシーさに唇をてかてかにする。いちごあめの屋台に視線を引っ張られつつ足を進めれば、やがてイベント会場となっている特設ステージの広場が見えてくる。
「お、吹部は間に合った感じかな?」
お姉ちゃんがちょっとだけ背伸びして、目の上に日よけを作るように掌をあてながらステージを見て言った。その言葉に私の足取りが少しだけ重くなる。ステージに近づけば近づくだけ、前方の景色がひらけていき、やがて見慣れた制服の群れが演奏の準備をしている姿がはっきりと見えてくる。
勿論、その集団のなかには久住くんも居た。後輩の女の子と、段取りの打ち合わせだろうか、真剣な顔で何かを話している。
私はそっとお姉ちゃんの背に隠れるように歩幅を狭めた。
久住くんに演奏を見に来てほしいと言われたことは、お姉ちゃんには言っていない。言ったら絶対に揶揄われると思ったし、そもそも誰かに相談するつもりもなかった。
部活終わりに一緒に甘いものを食べるだけの仲だった久住くん。クラスは一緒になったこともなくて、なんなら遊びに出掛けたことも無い。住んでいる場所も、出身校も知らないし、交友関係もわからない。彼に深入りするような話はしなかった。彼も、私に踏み入るような話をしなかった。
境界線のあちら側と向こう側で、ただ、食べ物に関しての他愛ない話だけをして、それだけがとても楽しくて、心地よかった。
彼とはそれだけでいいと、私は、思っていたのだ。
「あ、ほら、凛。始まるよ」
お姉ちゃんの背中に引っ込んでいた私を、姉がほらほらと引っ張り出す。最前列ではないけれど、吹奏楽部のみんなも、久住くんもちゃんと見れる場所。
周りでは彼ら彼女らの家族だろうか、ビデオカメラを回すひと、携帯で録画を始めるひと、小さな子供連れのお父さんお母さん、なんなら普段は話さないようなクラスメイトの姿もある。
それらを前に、吹奏楽部の部長の子が最前列に進み出た。
その挨拶を聞きながら、私は久住くんをじっと見つめていた。
私を探すでもなく、ただ緊張した顔持ちで、まっすぐ前を向いている久住くん。
そういえば、彼の演奏を聞くのはともかく、見るのは初めてだなと、私はふと気付いた。
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