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「えっピアノを?」
「…お願いします」
ピアノ講師の峠蓮太郎は、息子耕が久しぶりに音楽の話題を、しかもピアノを教えて欲しいと言ってきたことに驚いた。しばらく頭をひねった末、ピアノ室に案内した。
バイエルを何曲か弾く。
父は「うーん…」とうなった後、息子を見た。
「耕、音楽は好きかい?」
頷くと、父はもう一度「うーん…」とうなった。
「そうだなぁ…耕はいい子だけど、音楽は昔から荒っぽいね。久しぶりに演奏を聞いたけど、変わってない」
予想外のことを言われ、耕は固まった。荒っぽい?
父はCを柔らかく弾いた。
「コレを」
同じ和音を、力強くたたく。
「こう弾く。全てが激しくなる。でも耕はソロの歌声も尖ってたから、これがきっと耕の音なんだろうね」
父は優しく話してくれたが、耕はショックで頭がぼうっとなった。歌声も、尖ってた…⁈
「どうしてピアノをやり直そうと思ったの?」
父の声に、耕は我に帰った。
「……合唱部に、伴奏を頼まれた、から」
父は「うーん…」とまた悩み、練習風景を録画してきてほしいと頼んだ。
耕は、自室でヘッドホンをつけた。
昔の合唱コンクール映像、邪馬台国を目指す船の歌。峠がソロで歌う場面がある。中国の古文書を参照した歌詞一文、たったそれだけのソロなのに。
『峠くん…怖いね』
部員にそう言われた。その時は、嫌なやつらだと思っただけだったが。
あの夢をみる理由が、わかった気がした。
「峠くんのお父さん、ピアニストなんだ!」
『ピアノ講師です』
「似たようなもんじゃん」
紫野に反論するのはやめた。怪獣のお守りやってるだけある。
「はいOKです。もう録画してます」
野守が先生から借りた機材をセットしてくれた。峠はスマホでちょっと撮るつもりだったが、部長が例によって話を大きくしてしまったのだ。
「でもどうして練習を見たいの?」
『伴奏のために何が必要か知りたいって』
「へー」
「なら、腹筋や発声練習は飛ばしてもよかったんじゃ…?」
「もう録画してるんだ、ついでに見てもらおう!」
パートごとの練習、合わせての練習、と一通りした後、部員に昔のソロ場面も見てもらった。
「えーっと…尖ってるというか…迫力がある?」
「うん、そんな感じ」
「本気で歌ってるだけでは?」
それぞれ言葉を選んで話す中、部長はひとり沈黙を続けていた。いつもの元気も影をひそめ、ピクリとも動かない。紫野が急かした。
「アンタもなんか言いなさいよ」
「オレがなぜ峠を勧誘したか、わかった気がする」
「は?」
その日の部長はそれきり、何も話さなかった。
「うーん…」
映像を見た父はしばらく頭をひねった。
「大丈夫そうかなあ」
耕は内心派手にずっこけた。なんだそれ。
父は「いい子たちだね」と笑い、通しの練習場面を再生した。
「うん。大丈夫。少し…吹奏楽部かな? 賑やかだね…だからか音が大きめではあるけど、歌声を邪魔するほどじゃない。息を合わせて弾けている」
父は息子をまっすぐ見た。
「伴奏してるところは初めて見たけど、耕は誰かと一緒なら、優しい音が出せるんだね。合唱もそうだ。だから、合唱の方がいいと思ってたけど…母さんの無理を、止め損ねてしまった。すまない」
父の謝罪を適当に許して、部屋に戻った。
それどころではなかった。自分の本性を、今の今まで知らなかった、なんて。
夜、また舞台に立つ夢を見た。舞台にひとり。ステージのピアノを弾くと、犬が吠えるような音がする。
また観客席にいた部長が、怪獣のように吠えた。
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