怪獣よ、ピアノで歌え

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「茜田ー!」 「中野ぉ!」  中学時代の喧嘩友達は、走り寄るとクロスカウンターを寸止めした。続くパンチとキックもそれぞれかわし合う。群衆から拍手が上がった。  慌てる峠を紫野が止めた。 「安心して、去年もやったから」 「お前まだ合唱部クビになってねえのか!」 「ああ! しかも今は部長だ!」 「マジか! 葉一は勝負捨てたな!」 「捨ててない! 大江になど負けん!」 「んだとコラ」  雲行きが怪しくなったので、四人がかりで部長を引き離そうとしたが、びくともしない。 「だが中野、お前には感謝している!」 「あ?」 「おかげで世界一美しい夢を見れた!」  茜田部長は、四人を引きずって中野と別れた。 「峠…?」  昔の合唱部員たちとすれ違ったが、峠は適当に手を振り、これ幸いとそのまま部長に引きずられて去った。  ステージ袖で。  峠は、震える指を握り、四人を見た。さすがのみんなも、緊張した顔をしている。  歌えない、という棘は今も、胸に深く刺さったままだ。なのに、合唱に参加できる喜びも感じている。嘘みたいだ。 『世界一美しい夢』  先程、部長が放ったセリフを思い出す。夢ですら立てなかった場所に今、自分は立つ。  四人は中央の段に、峠はピアノの前に。  これが今のぼくの声。鍵盤を触り、四人を見、指揮者を見る。  ぼくらはここから、大人の僕たちへ手紙を送る。 ※※※ 「今年より、審査中はステージを解放します」  司会の言葉に、なにより葉一高合唱部が騒然となった。  呆然とする部長の肩を、紫野が小突いた。 「行くんでしょ?」  部長は少し躊躇い、一番通路側にいた峠に言った。 「司会がハケたら走れ!」  峠は素早かった。余裕でステージに一番乗りする。  振り向くと、他の高校も動き出して、通路が混雑していた。出遅れた茜田部長の大声が響く。 「なんでも弾け! なんでも歌ってやる!」  二階客席にいた峠の父は、いち早くステージに上がった息子が、最高の笑顔でピアノに向かう姿を見た。  ハレルヤ!  ステージに、高校生が歌いながら集まり並ぶ。中野が指揮台から、大人数になった各パートの立ち位置を指示する姿を見て、茜田にも笑顔が戻った。  峠は他校からもリクエストを聞き、次々弾いた。中学の頃イヤイヤ伴奏をした経験に、初めて感謝した。こんな楽しいこと、弾けないなんて理由で止めたくない!  中野…結局そのまま指揮をしていた…のリクエストで筑後川の終点を歌ってる途中で、司会者達が戻ってきたのが見えた。  でもシレッと最後まで弾いたし、皆も歌いきった。 ※※※  審査員長が、コンクールの曲も先ほどのように歌ってくれたら…と話すのを、峠は夢見心地で聞いていた。楽しかった。もう順位なんてどうでもいい、とすら思った。  だが、茜田部長の真剣な青ざめた顔で、現実に引き戻された。これは「コンクール」なのだ。 「銅賞、葉一高校合唱部」  五人は立ち上がって歓声を上げた。峠も喉を気にせず叫んだ。だが一番大声だったのは、やはり部長だった。 「……ったああああああ‼︎」  怪獣は雄叫びを上げると、そのまま倒れた。
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