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3.十路迷子-5
廊下を出て視線を感じた気がして振り返る。
誰もいない。
入院している子どもへのものか人形がテーブルに並べて飾ってあった。その中に置いてある片目の達磨がやけに鮮やかな赤で先ほど食べたリンゴに似ているなということをぼんやり思った。
太い眉の下の目がこちらを見つめているような気がした。
気のせいだろう。
背を向けて、エレベーターで下に降りる。
フルーツ籠を持って帰ろうとすると一階の廊下で腰の曲がった老婆に声をかけられた。
「立派なお品ねえ。今からお見舞いに行かれるの?」
「いえ、戻ってきて帰るところです」
そう、と老婆はフルーツ籠を見つめて首を傾げる。
たしかに帰るのに見舞いの品を持っているのは不自然だろう。
「入院している友人にもらったんです。正直、持て余しているんですが」
戸草がそう言うと老婆が言った。
「そのフルーツ籠、売ってくださらない?」
「え?」
「急にごめんなさいね」
恥いるように老婆は下を向く。
「私もお友だちの様子を見に来たんだけど突然だったから見舞いの品を買いに行く暇がなくて。ごめんなさい、ちょっと聞いてみただけなの」
「いえ。よかったらどうぞ」
戸草は惜しげもなくフルーツ籠を差し出す。
欲しがっている人のところにいった方がフルーツ籠も本望だろう。
「じゃあお代は……」
「大丈夫です。もらったものなので」
「そういうわけには」
もごもご言って視線をめぐらせた後、老婆は手提げ鞄からなにかを取り出した。
「じゃあせめてこれを持っていって」
渡されたのはスーパーで売っているような駄菓子のセットだった。
「売店にあったものだけど、こんなものをもらって喜ぶ歳でもないでしょうし。持ち帰ってから私がお茶といっしょに食べようと思っていたの」
「いいんですか?」
「ええ、ぜひ受け取って」
そういうことならばありがたくと戸草は受け取る。
今日はあいにく鞄を持ってきていなかったので、むき出しで駄菓子セットを持って歩く。
しばらく歩くとすれ違った子どもから言われた。
「いいなあ」
どうやら戸草の持っている駄菓子セットを見て言ったようだ。
「こら」
母親が怒って手を引く。
それでも子どもは名残惜しそうに見ている。戸草は近寄って子どもに駄菓子セットを差し出した。
「いる?」
母親と戸草を見比べた後、子どもはコクリと頷いた。
「すみません」
慌てて母親は子供の手を引こうとする。
「大丈夫です。あの、よかったらもらってください」
子どもは駄菓子セットを受け取ると胸の前で抱えた。
「ありがとう」
嬉しそうに目尻を下げる。
戸草も微笑ましい気持ちになった。
「これ、あげる」
そう言って子どもが何かをぶら下げてきたので受け取る。
キャラクターもののキーホルダーだった。
子どもはジッと戸草の反応を見ている。
どうするのが正解かはわからないが、この年代の子どもには大事なものなんだろう。
気持ちとして受け取っておくことにする。
「ありがとう」
母親にも一応確認しておく。
「もらってもいいですか?」
「ええ、何個も持ってるのでよかったらもらってやってください」
困ったような顔をするとペコペコと頭を下げながら行ってしまった。
バイバイ、と子どもが手を振るので戸草も手を振りかえした。
今度こそ帰ろうとすると、病院前のバス停に立っていた老人に声をかけられた。
「すみません。そのキーホルダーはどこで?」
はあ、と戸草は立ち止まる。
「そこで会った人にもらったんですが」
細かいことは言わないが嘘ではない。
老人はしげしげとそれを眺める。
「孫がそれを欲しいと言っていたんだが。そのキャラクター?とやらの名前はわかるか?」
キーホルダーについていたタグを見る。
名前を告げるとどうやら当たりのようだった。
「私にはどこに売っているかわからなくてね」
「お孫さんによかったらどうぞ」
戸草は今までの流れでなんとなくこうなる気がしていたので老人にキーホルダーを渡す。
「ありがとう。おわびにそうだな……」
老人が持っていた革の鞄から何かを取り出す。
「医者に言われて飲んでいるんだが、お前さん野菜は好きか?」
トマトスープの缶。それも三個セットだった。
持ち歩いているということはよっぽど好きなのか、だとしたら美味しいのだろうかと思った。
自分は別に好きでも嫌いでもないが。
「ええ」
わざわざトマト入りの酒を飲んでいるくらいだから、おそらくトマトは名護の好物だろう。
……なぜ名護がここに出てくるのかと思ったが、もともとフルーツ籠は名護に渡す予定だったしそれならこちらの方がいいのではないかと思った。
戸草はわらしべ長者という話がふと頭をよぎる。
若者が手にした藁がさまざまなものと交換されていき最終的にお金持ちになるとかそういう話だった気がする。
まあなんにせよ、最初のものから比べたらいいものが得られたのでいい話だなとは思う。
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