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港町を見下ろす高台に、堅牢な城壁がある。その奥には港町の守護神たる海神を祀る神殿とイルア地方を治める領主の屋敷が並んでいた。
民衆は若く聡明な領主の手腕に期待する一方で、町の経済発展に不安を抱いていた。だがそれは商人ギルドが弱腰であり、海外貿易で仕入れた商品の販路が、ことごとくラース地方のギルドに牛耳られていることに起因する。
町の住民は救世主の登場を待ち望んでいた。商売に長けた者が、どこかにいないかと領主に直訴する者もいた。
そんな風潮の中、豪奢極まりない屋敷の一室で、スーツ男と町娘が向かい合っていた。
スーツ男の傍では使用人がテーブルの上に紅茶や皿を並べてたりと忙しそうに動いている。
町娘は、ソファに深々と腰をあずける魔女に気づくと、おもむろに頭を下げた。
「この度は叔父のために尽力していただき、ありがとうございました」
魔女は澄まし顔で答える。
「あらあ、何のことかしら? 裏で手を回していたのは、そこのお坊ちゃんじゃなくて?」
「でも……」
食い下がる町娘を、スーツ男が嗜める。
「よいではないですか。全ては海神様のお導きによるもの。あなたの叔父上がラース地方の呪縛から解放されたことに祈りを捧げましょう」
眼鏡の奥にある聡明な目を見て、町娘が頷く。
「わかりました、御領主様」両手を組み、祈りを捧げる。「海神様に」
同じく、スーツ男と魔女が順に祈りを捧げる。
「イルアの発展に」
「海の精霊に」
使用人はしばし手を休めて、三人の祈りを静かに見守っていた。
イルア地方の領主と海辺の魔女、そしてもう一人は茶葉専門店の娘。
この三人が、この部屋で度々密談をしていたことは知っている。
だがそれだけだった。内容までは知る由もない。
それこそ風の精霊でもない限り――
【了】
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