大富豪と森の魔女と寿命が延びる薬

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 ラース地方の小さな森は静寂に満ちていた。背の高い木々が鬱蒼と茂っているその先に、突然視界が広がる場所がある。そこを訪れるのは、道に迷った者か、魔女に用件がある者だけだ。今日は後者のようである。 「今日参りましたのは、魔女様に折り入ってお願いがありまして」  大富豪は愛想笑いをして見せたが、揺り椅子に座っている魔女は興味を示さず沈黙していた。十本の指全てに指輪を嵌めた男は、一瞬、怪訝そうな表情をしたが、咳払いのあと、顔中が皺だらけの魔女に向かって身を乗り出した。 「寿命が延びる薬をいただきたい。報酬は魔女様が望むだけのものを用意いたしましょう」  しばらく沈黙が続いた。魔女は考え込むふりをしている。  あばら家の隙間から小鳥の囀る声が聞こえてきて、午睡をするにはちょうどいいと、魔女は思っていた。答えはすでに決めているから焦る必要は何もないのだ。 「寿命が延びる薬、と言ったね」  腰の曲がった魔女は繰り返した。身なりの良い大富豪が大きく頷いて返す。 「領主様からお聞きしました。若い頃、それで命を救われたと。実はあの方、わたくしの義兄でもありまして、何でも教えてくれるのですよ」 「あのはなたれ小僧、あいかわらずお喋りだねえ――」  魔女はぼやいた。 「あるにはある。ただし最後の一つさね。これをお前さんに渡してもいいが、そうするとわたしゃ明日にでもあの世行きかもしれないねえ」  しわがれた声で呟く魔女。大富豪はさぐりを入れるように問いかける。 「失礼ですが、魔女様は今おいくつで?」  魔女が薄気味悪い笑みを浮かべて答えると、大富豪は驚いた表情になり、大きく唸った。 「ということは、その薬の効能は確かということですな」  念を押すような問いかけに、魔女は大仰な態度を示した。 「妖精の粉には摩訶不思議な効果があるのさ。ほれ、これだよ」  小瓶をローブの袖口から取り出し、大富豪に見せつける。宝石とは異質の光を、仄暗い部屋の片隅にまで放っていた。 「すばらしい。ぜひともそれを手に入れたいものです」 「しかしお前さんよ。一代で財を成し、この地方では名士として知られ、その上長生きしたいとは、ちと欲張りすぎではないのかえ」  魔女は、小瓶をテーブルに置きながら問いかけた。  魔女の家は、大富豪の屋敷からさほど遠くない林の中にある。とはいえ、杖をついた男が、ここまで足を運ぶのは大変だったに違いない。  なんともはや。  彼の革靴は泥まみれのひどい有り様になっているではないか。  魔女は全身を眺め回し、満足がいく答えを見つけた。全てを手に入れた者が最後に欲しがるもの。それは長寿と相場が決まっている。
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