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「それで魔女様の答えは?」
大富豪は魔女の言葉には応じず、真顔で結論を求めてきた。目には執着心の固まりとでも受け取れる強い意思が感じられ、もし断れば非常に危険な事態になりかねないことがひしひしと伝わってくる。
きた、と思い、魔女は身体を固くして、それを気取らせないよう、黄ばんだ歯をいやらしく見せつけて、大富豪に通告する。
「そうさね。薬はお前さんに譲ってやろう。その代わり――」
魔女がそこで一旦言葉を区切ると、大富豪は固唾をのんで微動だにしなくなった。
「お前さんが持つ全財産と交換、というのはどうだろうねえ」
キキキと不気味に笑う魔女。当然断るだろうと予想していたが、大富豪がほっと溜息をつくのを見て、逆に力が抜けた。肩透かしもいいところである。
「なるほど。わかりました」
大富豪は、懐から丸めた紙束を取り出し、魔女に提示した。それは財産証書だった。彼は詳細を魔女に説明すると、契約成立の握手を求めてくる。魔女は自分から言い出した手前、応じるしかなかった。
「商売人を侮ってはいけません。相手の考えを先読みして先手を打つ――商売とはそんなものです」
大富豪の講釈には耳を傾けず、騙されているのでは、と勘ぐったが、証書は本物であり、この地方最大の商人ギルドのサインもなされている。
おまけに大富豪は指輪を一つずつ外し、光り輝くそれらを、対照的にくすんだ色のテーブルに惜しげもなく並べると、こう言った。
「これだけでも相当の価値があるものですぞ」
自信に満ち溢れた声を聞き、魔女は呆れ返った。
「男物の指輪なんか欲しくないね。ポケットにでも押し込んで、さっさと屋敷にお帰り」
「はあ……」
大富豪は、くすんだ銀の指輪を手に取り、左薬指に戻した。
「それではこれだけにいたします」
「まったく……大事なものを簡単に手放しちゃいけないよ」
そうだ、と思い出したように言った。薬の使い方を教示する、と提案する魔女。
頭の先から身体中に振りかけるだけの作業であり、誤飲しても人体に害はないのだが、ちょっとした老婆心のつもりだった。
「大丈夫です。領主様に聞いておりますので」
魔女が手を伸ばしかけたとき、大富豪は小瓶を大事そうに懐にしまい、何度も頭を下げて、あばら家からそそくさと立ち去ろうとしていた。
「別に取りゃしないよ」
魔女の声は、すんでのところで大富豪に届かなかった。すでにつぎはぎだらけの扉が閉じられた後だったからである。
魔女は嘆息し、指輪に目を落とす。九つの輝きが持つ価値は庶民にとって人生を変えるほどのものかもしれないが、それでも魔女の心を揺り動かすことはなかった。
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