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大富豪の訃報があばら家に届いてから数日後。魔女は揺り椅子にもたれて出窓の外をぼんやり眺めていた。その目は屋敷の庭園に向けられているが、意識は別のところにあった。ここ数日のことに集中しているのである。
一月前のあの日、大富豪は小瓶を確かに持って帰った。それなのに、執事に看取られながら眠るように死んだという。魔女には信じられなかった。妖精の粉をその身に浴びた人間は健康体になり寿命が延びることを、領主との一件で認識しているからだ。殺されでもしなければ、命を落とすことはない。
おかしいね。大富豪から半ば強引に継承させられた豪奢な寝室に籠もり、朝から晩まで思案するものの、未だ明確な答えは見つかっていない。屋敷の使用人をつかまえてそれとなく聞いてみても、皆、首を傾げるばかり。口を揃えて、「旦那様は港町の教会に運ばれた」という。重い病気を患っていたことを知ったのは、その時である。
そしてもう一つの事実。執事の手によって、彼は海の見える丘に埋葬されたのだそうだ。遺言とはいえ、それも妙な話である。早逝した彼の妻は領主の妹だ。イルア地方にある港町には、縁もゆかりも無い。
腑に落ちない点が次々と頭の中に浮かび上がり、寝心地がいいはずのベッドに横になっても、なかなか寝付けない日々を送っていた。何はともあれ執事が戻るのを待つしかない。
柔らかな日差しが足元を照らしていた。庭師の上手な口笛が風に流れてきて、ふと、微睡みかけていた魔女は、押し寄せる睡魔に抵抗していたが、いつしか眠りに落ち、寝息を立て始める。港町の風景画だけが際立つ、がらんとした寝室に魔女を起こす者はいなかった。
寝室の扉を叩いている音がして、まぶたを開いた。夢の国から引き戻された視線が、両扉の片方を開いたタキシード姿の男に向けられている。
「失礼します、魔女様」
男は執事だった。磁器製の茶器を乗せたワゴンを押しながら中に入り、微笑を浮かべている。年の頃は四十半ばの初老の男。魔女はほっこりした。
「今日の給仕はお前さんかい。早く会いたくて待ちくたびれたよ」
執事は目を細めて、優雅な手つきで茶を淹れる。
「挨拶が遅れ申し訳ありません。港町から先ほど戻ってまいりました」
魔女は大きく頷く。
「遠路はるばるご苦労さん。使用人たちから大まかなことは聞いてるよ」
希少価値のある茶葉だと、すぐ気付いた。港町の船着き場には外航船も横付けすると聞く。町の裏通りにある茶葉専門店に立ち寄ったのだろう、と推察した。
香り立つ茶を嗜みながら、笑みを絶やさない執事に尋ねる。
「ところで、お前さんにはいろいろと聞きたいことがあってね」
「ええ、そうでしょう。魔女様ならきっとそうおっしゃるだろうと思っておりました。ですから、こうして姿をお見せしたわけです」
「そうかい、なら話が早い。ではさっそく――と言いたいところだけど、お前さんも長旅で疲れているだろう。今日はゆっくりお休んで、また明日来ておくれ」
それから魔女は何も言わず、ただ静かに白磁の器を口に運ぶ。
傍らにいた執事は姿勢を正し、感謝の気持ちを言い置いて寝室を後にした。
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