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大富豪は港町で生まれ、そこで育った。彼には姉がいて、姉弟は実家の商売を手伝い、朝から晩まで働いていた。店は次第に繁盛し、港町だけでなく、このラース地方にまで商売の手を伸ばしていた。
青年と呼ばれる年齢に達した彼は、父親からラース地方の行商を任されるようになった。港町で扱っている商品は、農村地帯で見かけない物が多く、重宝されて売上は上々だった。
そんなある日、たまたま売り込みに立ち寄った領主の屋敷で、若い娘と出会うことになった。彼女は領主の娘と名乗り、使用人とともに荷馬車に積まれた商品に目を輝かせていたという。お得意様になりそうな気がした彼は、彼女らが喜びそうな商品を熱心に説明し、おだてあげて、その気にさせた。
それから彼は領主の屋敷に足繁く通い、店の売上に貢献した。特に領主の娘に対しては丁重な態度で接し、彼女の機嫌をとるため時間をかけることを常とした。気立てのいい子で、港町の出来事など、取るに足らない話でも熱心に聞き入っていた。
二年後。店が大きくなり、支店を出す話が浮かび上がってきた。イルア地方の商人ギルドに相談した彼の父親は、彼に白羽の矢を立てた。ラース地方の商人ギルドと話をつけて支店を立ち上げるよう、彼は命ぜられた。
まだ自分に自信がなかった彼は、年の近い領主の娘に相談した。そんなことをしたところで何の解決にもならないのだが、とにかく打ち明けることで心の重荷を軽くしたかったわけだ。その日は商売する気にならず、近くの宿に泊まり、翌日帰ることを彼女に伝えた。その夜、寝酒を嗜んでいた彼の寝室に、彼女と彼女の父親――先代領主がお忍びでやってきた。
「この私に全てを任せたまえ。悪いようにはせん。ただし、これからはこのラース地方の住民として生きていくことを約束するという条件付きだが」
傍らにいた彼女の照れくさそうな態度が気になったが、そのときの彼はその話に飛びついた。詳細はまたあとで聞けばいいと軽く考えていた。ランプの灯りの下で、彼は提示された契約証書に即刻署名した。
後日、その文面の確認を怠った彼は大いに後悔したが、もう手遅れだった。商人にとって契約とは命の次に守るべきものである。彼は彼女を娶り、店を構えて、ラース地方の発展に貢献しなければならなくなった。
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