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先代領主の庇護のもと、彼の商売はこの上なく順調で、いつしかラース地方最大の商人へとのし上がっていた。それと反比例するかのごとく、港町の本店は、ラース地方に拠点を移転させた商売敵の策略によって衰退の一途をたどっていた。
しかし彼にはどうすることもできなかった。
資金援助は領主一族に禁止されており、店の帳簿まで管理されていたからだ。何とか工面しようにも、ごまかしがきかなかった。
そんな矢先、彼の妻が急逝した。ふさぎこんだ彼の心はずたずたになった。子供もなく、これから何を励みに仕事に打ち込めばいいのかわからなくなった。
一人っきりの寝室に飾った港町の風景画を眺めながら、彼は次第に望郷の念にとらわれるようになった。
帰りたい帰りたい帰りたい……しかしどうすればいいのか。
両親は他界して日が浅く、今は夫とともに本店を切り盛りしている姉に手紙を送るも、心配しなくていいとしか返事は来ない。店の規模を縮小し、茶葉専門店として何とか食いつないでいるようだった。
彼は商売の天才ではあったが、人生においては領主一族の傀儡も同然だった。
契約証書がある以上、生ある限りそうせざるを得ないのは理解しているのだが、それでも納得はしていない。そんな折に現領主から魔女の存在を聞いた。近くにいたのに知らなかったのは、あまりにも多忙で視野が狭くなっていたせいだ。
寿命が延びる薬。
彼はそんなものに興味を持たなかった。長生きしたところで、そこに何の意味がある、とさえ思った。死に至る病になってもその考えは変わらなかった。
そして数年後、今度は姉夫婦の訃報が飛び込んできた。茶葉買付のため現地に赴いていた船が座礁し、乗組員とともに水没したという。彼は、まだ若い姪とともに姉夫婦の墓を海の見える丘に立てた。海辺の魔女と会ったのはその時だ。死んだあとまで契約に縛られることはない、と魔女は耳打ちした。森の魔女が隠し持つ摩訶不思議な薬のことだけでなく、頑固で偏屈な森の魔女の人柄も。
何を企んでいるのかは不明だったが、そこで気が変わったのは確かだ。このまま朽ち果てるわけにはいかない。
まずは薬の入手……そして――
馬車に潜んで見せかけだけの棺桶とともに港町へ行き、姪を支えて本店を立て直すことがこれからの使命だと決めると、ふつふつと胸が沸騰するように熱くなった。
彼は執事に協力を仰ぎ、夜を徹して策を練り、使用人たちには給金を十分すぎるほど弾んで、以後の段取りに支障がないように計画した。
やがて決行する日が近づいてきた。
妻の墓だけが心残りだが、それは執事ら使用人たちに託すことにした。それに領主一族がいる。寂しい思いはしないものと信じて、森の魔女を訪ねた。
一か八かの大勝負に彼は賭けた。
そして――彼は賭けに勝った。
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