②胸に育つ気持ち

4/5

50人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
 砂で出来た細い道から逸れ、茂みの中へ。ガサリと草が擦れた音がしたかと思えば、そのまま近くの木の前で戌介は涙花を抱きしめた。  トンと涙花の背中に木の幹が当たる。その間も花火の音は響いていた。 「戌介くん?」  暗がりの中だが、遠くには電灯があるし、何も見えないわけではない。  湿った草木の香りと生ぬるい風。でも髪の毛を揺らしたのは戌介の吐息。 「涙花、もっかい浴衣見せて」  戌介はゆっくりと離れて一歩だけ後ろに下がる。でも涙花と手を繋いで、まるで蝶の羽を広げるかのように両腕を広げた。  先ほども見せたし、暗くてあまり見えないだろう。それでも改めてじっと見つめてくる戌介に涙花は恥ずかしさを覚える。なんだか頭から足の先まで、浴衣の中の身体まで見られているような心地だ。  顔を背けてしまえば、頭に飾ってある花が木にぶつかり小さな音を立てる。 「うん。可愛い」  頷くその声はいつもより低くて、腹の奥から出たような、どこか欲の孕んだもの。それに気付いた涙花は身体を隠すように腕を前で交差しようとしたけれど、それを戌介の手が許さない。 「せっかく可愛いのに隠すなよ」 「だって、なんかっ」 「うん」  説明をせずとも分かっていると言うように彼は小さく笑って顔を傾ける。そのまま唇が触れ合い、離れたかと思えばまた触れて、ちゅっと音を立てて口付ける。  まるで口紅を塗るかのように涙花の唇を舐めて、そのまま唾液が零れるように首筋を這い、浴衣の襟首の部分、肌が見える部分にチリリと痛みを残した。  それがキスマークだなんて思う余裕なんてない。  痛いと身体が小さく竦めば、戌介の片手のひらが浴衣の上――胸へと移動されたからだ。 「っ――――!」  嫌悪感は全くない。でも驚きと恥ずかしさに身体が逃げ、戌介に背を向けてしまう。だが逃げ場はない。  振り向いても視界には木の幹があり、後ろから腹に腕を回され抱きしめられる。  片手は戌介の腕を掴んで、もう片手は木の幹へ。首を横に振れば、戌介の切羽詰まったような、否、先ほどのような腹の奥からの呻くような声で名前を呼ばれた。 「涙花、ちょっとだけ」 「…………っ」 「怖くねぇから」  まるで子供をあやすような台詞。  甘えるように涙花の肩口に戌介は額をこすりつける。 「最後まではしない。絶対しねぇよ」  でも。 「ちょっと、可愛がらせて」 「…………」  互いに呼吸が荒い。  きっとここでイヤだと言えば戌介はやめてくれるだろう。怖いと怯えれば手を離してくれる。でもそんなの言えるわけがない。  好きな人に可愛がらせてと言われて、拒絶出来るわけがないでしょう。 「……ん」  涙花は戌介の手から手を離し、両手を幹に置く。そして小さく頷けば、「ありがと」と短く返され、そのまま戌介は肩口にキスを落とした。 「深呼吸して、身体から力抜いて」  首筋を柔く甘噛みされる。そして耳の後ろに唇を当てながら囁き、手本のように彼が深く呼吸を繰り返す。それを涙花が真似れば、「いい子」とキスで褒められた。 「イヤだったら言っていいから」 「っ、ぁ……」  後ろから腹に回っていた手が胸に触れる。手のひらで包み込まれて一気に身体が沸騰するように熱くなり、全身に力が入る。するとまた戌介は先ほどと同じように「深呼吸」と囁いて、深い呼吸を促した。必死に涙花もそれに合わせる。  胸を包んでいた手が動き、そっと撫でてくる。  浴衣で帯を締めていて、普通の服のような山はない。けれど戌介の手は的確に涙花の胸の位置を撫で、それから少しだけ揉むように力が込められる。きっと制服よりも胸の形は分からないだろう。それでも戌介は小さく「涙花」と名前を呼んで胸を撫でる。 (だからそんな声で呼ばないで……っ)  前にキスした時にも思った。その呼ぶ声は卑怯だ。胸に触れる手と声に全身が痺れてくる。  激しく胸を揉まれているわけではない。直接触ろうと浴衣をはだけさせられているわけでもない。それでも、否、それだからこそ気持ち良くて死んでしまいそうになる。決して戌介が自分本位でただ触れているわけではないから、身体が甘く震えてしまうのだ。  呼吸が乱れて、口の中に唾液が溜まる。それなのに唇は乾いたような気がして、キスがしたいと心が啼く。  そろり、と。ぎこちなく、少しずつ顔を後ろに傾けるようにすると、戌介は気付いたのか顔を肩の向こうから近づけて唇に触れてくれる。  酸素を求めて息苦しいのに、酸素よりも彼とのキスを求めるなんて。でも交わす口付けに身体の力が抜けてくる。 「涙花からも」 「え?」 「キス」  こちらの顔を覗き込む戌介は少しだけ口を開けている。  涙花からキスをして、という意味だと気付いた瞬間、涙花は息が止まり全身が燃えた気がした。 「はずか、しいっ、むり!」 「出来るって」 「むりっ」  キスは嫌いじゃない。むしろ好き。手を繋ぐのも、抱きしめられるのも。  こうやって触れられるのも気持ちがよくて、温かくて、このままいつか溶けてしまうのではないかと思う。それらはきっと戌介に筒抜けだろう。 (でも私からとか、恥ずかしい!)  キスが好きだとバレていても、自分からするのは話が別だ。だってそれは沢山の意味を戌介に伝えることになる。  君のことが好き。キスも好き。君とならキスをしてもいい。唇を差し出せる。  涙花にとってストレートに愛を伝えるそれらが、恥ずかしくてたまらない。  不意に胸に触れていた手が、胸の尖りを探すように指が立った。瞬間「……んぁっ」と息が抜けるような声が喉から溢れ落ちる。  花火の音と真逆のような嬌声に、涙花は首を横に振った。 「も、だめ、もう、だめっ」 「声も、かわいーのに」 「もうっ、おし、まいっ!」  胸に触れる手に己の手を重ねれば、その手は抵抗することなく離れていく。そして涙花の手と繋いだ。 「ん、分かった」  そのまま二人はしばらく動くことなく呼吸を繰り返す。少しずつ落ち着いていくそれと合わせて、走っているように速かった鼓動も緩やかになっていった。  花火もそろそろフィナーレなのか、低い音が多く鳴り響く。 「……触らせてくれてありがとな」  そっと頬にキスが落とされる。どこまでも優しいそれに、涙花は少し唇を尖らせてしまった。 「可愛いって言えばいいわけじゃないもん」 「そうだな。ごめん」 「……ううん」  眉を下げて謝った戌介に、首を振る。  可愛いと言われてイヤだったわけではない。それに。 「戌介くんが適当に言ってるわけじゃないの、知ってる」 「……これ以上、可愛いこと言ったら襲うぞバカ」   オオカミのように「がお」と吠えられ、「ごめんなさい」と涙花は苦笑した。  わざと空気を和ませるようにしたことも、ちゃんと分かっている。  それからまた公園のイスに戻り、少しだけ話しをして――お互いに落ち着くため――それから手を繋いで家に帰った。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

50人が本棚に入れています
本棚に追加