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③喧嘩
チャイムの音を聞くのは久しぶりな筈なのに、耳に馴染むそれは懐かしさなんて覚えることもなく。
夏休みが終わって集まった生徒たちはまた始まる学校生活に苦情を訴えるけれど、友人との集いは悪くないものだと笑って見せるから教師たちからしたら呆れ顔である。
戌介と一緒に登校した涙花が久しぶりの席に座れば、早速とばかりに友人二人が傍に来た。
「やほやほ、涙ちゃん。おはー」
「おはよう朱莉ちゃん。澪ちゃんもおはよう」
「おはよう涙花。夏休みなんてあっという間だねー」
いつも飛んで遊ぶ澪の結ばれた髪の毛だが、今日はしおれるように下がっている。しかし朱莉が「お泊まり会、楽しかったよね」と話せば、すぐに元気に跳ねた。今日も絶好調だ。
「るーいか」
「わっ」
突然背中から抱きしめられ、涙花は驚きに前のめりになる。しかし顔を見なくても相手が誰だかすぐ分かる。
「ちょっと戌介くん、学校だよ」
「あ、悪い。夏休みのクセが出た」
「そんなクセついてないでしょ……」
抱きしめる手を叩くと、戌介の腕がするりと離れていく。だが傍に立って肩に手を置いた。
「ワン君もおはー」
「アンタは涙花に触れてないと死ぬ病気なんか?」
「おは。ニャン子は黙れ」
どこか適当に二人に言葉を返せば、「なぁ涙花」と彼は上から涙花を覗き込む。
「選択授業、一緒の選ぼうぜ」
「うん。いいよ」
「うっし」
一学期の選択授業は特に相談もしなかったため別々だった。誘ってくれたことが嬉しい。しかし朱莉は「相変わらずだねぇ」と大げさに肩を上げる。
「ワン君の涙ちゃん好き好きビームが眩しいぜ」
「あんま見ない方がいいよ朱りん。目が腐るから」
「勝手に腐ってろ」
「戌介くんは選択授業、何がいい?」
彼らのやり取りに慣れた涙花はスルーし、戌介に訊ねる。すると少し考えるような仕草をしてから、こちらの頭を撫でて笑った。
「涙花が選んだやつ」
「戌介くんは体育がいいんじゃないの?」
「涙花がいれば何でもいい」
「いつも私に合わせなくていいんだよ?」
そう言ってからふと、夏休みの祭りのときを思い出す。
『涙花が食べたいものにしようぜ』
『二人で分けるんだし、戌介くんの食べたいものでいいんだよ?』
『涙花が食べたいものが俺の食べたいもの』
そんなやり取りをしたあの時と、全く同じ状況だ。そして戌介は今回も答えた。
「涙花と同じ授業を受けられるなら何でもいい」
「…………」
これは喜べばいいのか、それとも困ればいいのか。どちらかと言えば正直困ってしまう。
助けを求めるように澪と朱莉の方を見れば、片方は「うわぁ」とドン引きし、もう片方は「うわぁ!」とお日様のような笑顔を咲かせていた。
「ワン君、やっぱ相変わらず! めちゃくちゃ涙ちゃんのこと好きじゃん!」
「朱りん、そこ笑うとこ? 粘着質すごくて気持ち悪くない?」
「そうかな? まぁ、そうかも? でもワン君って昔からこうなの?」
「……!」
朱莉の質問に涙花は澪を見る。
嫉妬はしてしまうけれど、戌介のことを知るチャンスでもある。自分からは聞けないから、こうやって朱莉が聞いてくれるのはありがたい。
澪は苦笑して腕を組んだ。
「いや、昔は――――」
「おいニャン子。余計なこと言うな」
先ほどよりも低く、ドスの利いた声で澪の言葉を遮る。それはふざけて言ったものではなく、本気で言って欲しくないことだと空気で読み取れた。だからこそ、涙花は心が軋んでしまう。
「私に聞かれたくないの?」
「えっ」
ストレートに聞いてしまったのは、澪だけ知っていることに嫉妬したからというのもあるのかもしれない。でも教えてくれない戌介に対して悲しみや苛立ちもあった。
涙花に聞かれた彼は驚いた様子を見せてから、ぎこちなく目を逸らして「うん」と頷いた。
「まぁあんま楽しいもんでもねぇし、聞かれたく、ねぇかな」
「……そっか」
聞かれたくないことが一つや二つあっても当たり前。
仕方が無い。そう、仕方が無い。でもさ。
(――――仕方が無いってなに?)
「じゃあ戌介くんが選択授業の中で一番好きなものにしよう?」
「俺に合わせなくていいって」
「戌介くんも私に合わせなくていいよ」
「俺は涙花がいればそれでいい」
「好きな科目を知りたいだけだよ?」
「俺は涙花が好き」
「…………」
なにそれ。
プチンと何かが切れた気がした。瞬間、いつもより遅く察した戌介が「あ、えっと、涙花」とどこか慌て始める。でももう遅い。口から出た言葉は消えないのだから。
「戌介くんの好きなものとか、したいことを知りたいだけなんだけど、それも私に知られたくないの?」
「そういうわけじゃ」
「じゃあ何なの?」
この中で戌介のことを一番知っているのは澪だ。その澪は黙ったままで、朱莉もこちらを見守っているだけ。止める様子はない。だから止まらない。止めて欲しいと思いつつも、苛立ったこの気持ちはもう誰にも止められない。
「涙花涙花言うけどさ、何も教えてくれないじゃん。それとも澪ちゃんになら話せるの? 澪ちゃんは戌介くんのこと知ってるもんね?」
「それは……」
ここで澪と話しを繋げるのは違うかもしれない。でもさ、幼馴染みなら何でも話せるけど、彼女には話せないってなに? って思うのは当たり前じゃない?
私は戌介くんのこと、全然知らない。好きなのに、彼女なのに、君のことを知らないの。
目の前にいるのに。手を繋いで、キスもして。好きだよって言い合うのに、そこに君はいない。
どこにいるの? 教えて。教えてよねぇ。
「私に何も話せないなら、もういい」
君は一体、どこにいるの?
「澪ちゃんと付き合えば?」
しん、と辺りが静かになる。
気がつけばクラスの生徒がこちらに注目していて、目立っている。でもそれがどうした。こちらはクラス替えの最初の日に公開告白されているのだ。喧嘩を見られたところで何を今更。
「涙花」
不安げな戌介の声が響き、手を伸ばされる。でもそれを拒絶するように反対を向けば、巻き込まれた澪がその手を払った。
「おいニャン子」
「朱りん、席戻ろ。もうすぐで近ちゃん来るよ」
「うん」
二人が席に戻り、それに習うかのように他のクラスメイトたちも席に戻っていく。
「なぁ涙花」
「近ちゃん先生、もう来るよ」
素っ気なく返す。今は冷静に話せる状態じゃないと自分でも分かっているから、これ以上話していたくない。
「ごめんな涙花」
戌介は再び手を伸ばし、けれど涙花に触れることなくその手を下ろした。
「あとでまた話そう」
そのまま、夏の前のように学校から抜け出て話し合うことだって出来ただろう。だが戌介はそのまま席に戻っていった。きっと冷静になりたい涙花に気付いているからだ。でもそれはそれでどこか寂しさを感じた、なんて。
(ばか、わたし)
ぎゅうと拳を握り、それから溜息をついて目を閉じる。このまま机に顔を伏せてしまいたい。けれどそうしたら負けなような気がして、涙花は背筋を伸ばして改めて息を吐いた。
少しでも早く落ち着いて冷静にならないと。きっとまた戌介に余計なことを言ってしまう。澪にも謝らなければ。
けれどモヤモヤは上手く消えてくれないし、しまいには自己嫌悪までし始めて。それでも謝ることも出来ず、結局涙花はその後戌介を無視し、話すこと無く二学期初日を終えた。
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