③喧嘩

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(最悪だ)  涙花はいつもの帰り道とは違う道を歩きながら、大きな溜息をつく。  あれから戌介は涙花に話し掛けに来てくれたけれど、顔を背けて口をつぐんだ。我ながら子供じみていたと思う。それでも彼は何度も涙花の席に来ては、ごめんと頭を撫で、席に戻った。  澪と朱莉とは、いつも通りとは言えずとも普通に会話をし、昼食も一緒に食べた。戌介を無視していることに対して澪は怒らなかったし、朱莉も何も言わなかった。  結局涙花はホームルームが終わったと同時にひとりで教室を出て行き、いつもとは違う道をトボトボ歩いているというわけである。 「無視とかほんと、何してるの私」  今頃、戌介は澪に相談とかしているのだろうか。それはそれで腹立たしい。なら仲直りすれば? と思うけれど、それとこれとは話しが別である。でもこのまま一人で怒っていても仕方が無い。  何がどうであれ、戌介が過去に触れて欲しくないのならば、触れないのが一番だ。それをちゃんと理解して受け止めて、涙花には言えないという部分も含めて戌介を大切する。それが出来ないのであれば別れるしかない。 (別れるとか、絶対にイヤ)  無意識に首を横に振る。 別れるくらいなら、何も言わなくてもいい。知らなくてもいい。無視したことを怒ったのなら何度だって謝る。でも、それで私はいいのだろうか。  いつもと違う帰り道。見知らぬ景色だけれど何となく歩いている場所は分かる。この角を曲がって真っ直ぐ歩けばよく知る公園に出るだろう。  少し先から聞こえる子供の遊ぶ声を聞きながら溜息を吐き、角を曲がる。そしていつの間にか俯いていた顔を上げれば―― 「あ」 「あ?」  久しぶりのような、そうじゃないような。  互いに互いの存在を認知した瞬間、彼女は足を引き、涙花は足を踏み出す。ガシっと音が聞こえそうなほど強く彼女の腕にしがみついた。 「ちょっと! 逃げないでよ~!」 「別に逃げてるわけじゃないけど⁉」 「じゃあ私の話に付き合って~!」 「はぁ⁉ イヤだし!」 「そんなこと言わずにさ~!」  色々あったけれど、否、色々あったから話しやすいのかもしれない。 「相談に乗ってよ、菜々子~!」  彼女の長い黒髪がヒクリと引きつるように揺れた気がした。 ~ * ~  そこの公園は、前に菜々子と再会した時に話した公園だった。  その時と同じように公園を囲む鉄の柵に菜々子は腰を掛ける。その隣に涙花も腰を掛けた。もうビクつく自分はいない。 「アンタ、よく私に話し掛けられるね」 「私もそう思う」 「は?」  菜々子は苛立ったように眉を寄せて涙花を睨んだけれど、地面を見つめたままの涙花に菜々子はこれみよがしに溜息をついて「なによ」とその地面を蹴った。 「なにかあったの」 「まぁ、そんな感じ」 「あの怖い彼氏に泣きつけばいいじゃん」 「…………」 「あー、なるほどね。その彼氏と喧嘩したわけだ」 「……何で分かるの?」  顔を上げて聞く。 「簡単でしょ。あの彼氏が落ち込んだアンタのことを放っておくわけがないから」 「…………」 「ちょっと。アイツのこと褒めたわけでも何でも無いからね。むしろあんなクズは滅べと思ってるから」  口の悪さは健在な菜々子に、涙花は苦笑する。二人で何を話したのかは知らないけれど、戌介はかなり嫌われているらしい。 「で? 一体あの彼氏は何をやらかしたわけ?」 「やらかしたわけではないけど」 「でもアンタは気に食わないと思ったわけでしょ?」 「……私が戌介くんを怒らせたとは思わないの?」 「思わないわよ」  ハッと口角を上げる。悪役に似合う笑みだ。 「あの彼氏は涙花が何をしたって許すでしょ。ベタ惚れすぎて気持ち悪い」 「…………」 「ちょっと、アンタ少し喜んでるでしょ。アンタも気持ち悪いって言われたい?」 「ゴメンナサイ」  こちらも口角が上がってしまったのを自覚し、頬を軽く叩く。しかし菜々子はすぐ「で、アイツは何をしたの」と話しを戻してくれる。 「えっと、その」  こう改めて言葉にしようとすると、すごく些細なことに怒った気がし、少し恥ずかしくなる。 「戌介くんがね、戌介くん自身のことを私に知られたくないみたいなの」 「はぁ? どういうこと?」 「こう、お祭りで何が食べたいかとか、何の教科が好きかとか」 「……余計に意味分かんないんだけど」  また眉を寄せてしまった菜々子に、どう説明したらいいのか。うまい例えば話も出てこない。 「ねぇ、ちゃんと分かりやすく言いなさいよ」  なんだかんだ言いつつもしっかり聞こうとしてくれている菜々子に、涙花は頷く。これは変に誤魔化したり隠したりしないで相談するべきだ。 「あのね――」  涙花はお祭りのことから幼馴染みのことまで、順にひとつひとつ話していく。  話しながらまたへこんだり、腹が立ったりしたけれど、やはりどうしようもないことで喧嘩したなと自分が恥ずかしくなった。  勿論菜々子の答えも。 「しょーもな」 「仰る通りで……」  言葉一つでばっさり切られ、涙花はうなだれた。 「アンタが嫉妬して怒っただけじゃん」 「そうだよね、そうなるよね」 「でもいいんじゃない?」 「え?」  菜々子は鼻で笑い、でも涙花から顔を背けて言う。そんなことを思っていたとは思わなかったから、その言葉に涙花は目を見開いた。 「前のアンタなら彼氏が何を隠そうが全部まるっと飲み込んで、ウジウジ一人で悩んでたでしょ。んで途方に暮れて、聞きたいと思ってる自分も気に食わなくて、最終的に病んでただろうね」 「でも今は違う」と続ける。 「ちゃんと文句とか言ってんじゃん。全部私が悪いとか思わないでさ、腹立ててんじゃん。それがフツーだと私は思うよ」 「菜々子……」 「実際、ムカつく案件だしね」  再び地面を蹴る。砂が少し先に飛び、えぐれた。それは菜々子の苛立ちを表しているかのようで、そしてそれは涙花に共感してくれているということなわけで。  涙花は「だよね? ムカつくよね?」と前のめりになる。 「私のことを大事にしてくれてるのは分かるし、好きでいてくれるのは本当に嬉しいよ。でもさ、何を聞いても涙花涙花って返されたら腹立つよね? そう思っても間違いじゃないよね?」 「間違いってなにさ。アンタがどう思おうが思っていることは事実なんだから、別にいいでしょ」 「そうなんだけど、やっぱり不安で」  菜々子の言ったウジウジが始まりそうで、首を横に振る。 「知られたくないことがあるのは仕方が無いよね。そこは私も悪いと思うの。でも戌介くんを一番知っているのは私でありたい。誰よりも私が理解者でありたいの」 「うん」 「だって私が彼女だもん。戌介くんのことが好きなんだもん。でも秘密にしておきたいことを掘り返すのは良くないし、でも……でも……」  結局不のループに入ってしまう。やっぱり飲み込めない自分が悪いのだと思いつつも、それでも本当は教えて欲しいのにと子供みたいに駄々をこねてしまう。 「しかも私、前みたいに無意識に傷つけちゃったわけじゃなくて、意図的に酷いこと言った」  中学時代のこと。そんなつもりはなかったという言い訳をして無意識に人を傷つけるのは質が悪いと自分自身のことを思うけれど、正面から傷つけに行くのもどうなんだろう。 「沢山困らせて、無視までしちゃって、戌介くんが私に呆れたり怒ったりしても仕方が無いというか……嫌われてたらどうしよう。嫌われちゃったらどうしようっ」 「…………」  しばらく涙花を眺めていた菜々子は溜息をついて柵から立ち上がる。そして「ん」と手のひらを涙花に向けた。 「え、なに?」 「スマホ貸しな」 「どうしたの?」 「彼氏をここに呼び出す」 「へっ⁉」  突然のことに涙花も立ち上がって、「待って待って」とスマホが入っているカバンを抱きしめた。 「無理! 戌介くんと話すの、まだ無理!」 「無理じゃない。ちゃんと話し合えばいいだけの話しだわそれ。ここで私に愚痴を言ってたって解決しないっての」 「解決しないのは分かるけど、まだ冷静に話す自信がないの!」 「冷静に話さなくていいじゃん」  菜々子の黒い髪の毛が熱を帯びた風に吹かれてなびく。 「ムカつくって言えばいいでしょ。私に言えないことってなんだ! って怒鳴ればいいじゃん。それの何が悪いの? また良い子ちゃんぶって自滅するくらいなら当たってぶつかって死んでこい」 「死んでこいって……」 「もしそれで彼氏に嫌われたとしたら、そんだけの愛だっただけの話しだわ」 「怖いこと言わないで!」 「あーもう面倒くさい!」  ガリガリ頭を掻いて、菜々子は再度片手を伸ばした。 「アンタが怒ったところで、あの彼氏はアンタを嫌うような男なわけ⁉」 「それはっ……」  答える前に息が止まる。  そんなことないと自信を持って言えないわけじゃない。でも嫌われたくないなという気持ちがその自信を削っている。けれどそれは自分の都合なだけで、今までの彼が私を大切にしていたことを否定することだ。  涙花は唇を噛み締め、抱きしめていたカバンからスマホを取り出す。そして菜々子の手のひらにそれを乗せた。  ロック画面を解除し、いつも戌介とやり取りをしている画面を開けば、菜々子は何の躊躇いもなく通話ボタンを押す。それに涙花は心臓が跳ねたけれど、深呼吸をして自分を落ち着けさせた。  スピーカーモードでコール音が二回。それだけで戌介の『涙花⁉』と焦った声が聞こえた。 『涙花、今日はほんと――――』 「はいはいもしもし、アンタの彼女は私が預かった」 『……あ? 誰だよ。涙花は?』 『駅近くの公園に三十分以内に来ないと、涙花はアンタと別れるって』 『はぁ⁉ ちょ、つかお前あの女だろ! てめ――――』  菜々子は画面をタップし、ブツンと通話を切った。そして投げ捨てるように涙花にスマホを返す。 「はい、これでいいね。あとは喧嘩でも何でも勝手にやれば?」 「さ、三十分以内ってキツくない?」 「それくらいさせとけば、アンタも少しくらい気が晴れるでしょ」 「じゃ、そういうことで」と菜々子は髪を横に流し、歩き出す。どうやらここに残らず帰ってしまうようだ。  流石に一緒にいてとは言えない。ここまでしてくれただけで、もう十分過ぎるくらいだった。 「菜々子、ありがとう!」  すでに背中を見せている彼女に、遊んでいる子供たちに負けないくらいの声量で言えば、こちらを振り向くこと無く軽く手を上げて帰って行く。  もしかしたら今までの罪悪感から相談に乗ってくれたのかもしれない。でもまた無視される前のときのように話せたのは素直に嬉しかった。 (またいつか、遊んだり出来たらいいな)  小さな笑みを作りながら背中を見送れば、さてと、と涙花はスマホを強く握る。問題はここからだ。 「なんか、もう逃げたいんだけど……」  心臓がイヤな音を立てているような気がする。  駅の近くの公園としか言っていないけれど、戌介はここに来られるのだろうか。ここ以外にも何カ所か公園があった筈だ。あちこち探させたら申し訳ない。  もう菜々子はいないのだ。メッセージでも送って場所を教えることも出来る。でも。 (少し、気は晴れるかな)  菜々子に言われたことを思い出し、苦笑する。我ながらイヤな女だと思うけれど、許して欲しい。その間に私も君の全てを許せるように頑張るから。  涙花は再び柵に寄りかかり、まだ終わらない夏の色をしている空を見上げる。  どこか遠くからセミの声が弱々しく鳴いているのを聞きながら、戌介が来るのを待った。
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