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やらかした。
涙花がひとり教室を出て行くのを見て慌てて追い掛けたけれど、止まることなく廊下を歩いて行く彼女を引き留めることは出来なかった。その背中は戌介を拒絶していたからだ。
(二学期早々やらかすなんて、本当にバカだな俺)
もうここでうずくまって泣いてしまいたい。けれどきっと泣きたいのは涙花の方だろう。怒って当たり前だし、一旦距離を置きたいのも分かる。それでも授業と授業の間に涙花の元に行っては謝って、頭を撫でたりなんかした。女々しいというか、なんていうか。ウザいと言われても仕方が無いと思う。
「ウザ」
「涙花に言われるのはいいけど、てめぇには言われたくねぇよニャン子」
いつの間にか後ろには澪がいて、冷たい声音で吐き捨てられる。これから言われるであろう台詞はもう予想出来ていて、今から耳を塞ぎたい。
「今回はアンタが悪い」
「分かってる」
「つか涙花に隠すようなことでもないでしょうが」
「俺は繊細なんだよ」
「それ、涙花の前で言える?」
「…………」
「ばーかばーか。ちゃんと涙花に謝って、全部ゲロりなさいよ」
バシっと背中を叩き、澪は廊下を歩いて行く。これから部活なのだろう。幼馴染みの背中を見送ることはせず、「あーくそ」と舌打ちをして教室へ戻る。
まだクラスメイトが残るなか、チラリと戌介に視線を向けてくる連中がいたけれど特段いじってくるような輩はいない。ただほんの少し同情のような色があって、ほっとけこの野郎と腹が立ったりもする。
「ワーンー君」
そんな中で朱莉が戌介に声を掛けた。自身のカバンを持っていることから、どうやら戌介が教室に戻ってくるのを待っていたらしい。
澪のように怒ったりするのかと思ったが、朱莉はそんなことはなく、グッジョブというように親指を立ててカラリと笑った。
「喧嘩するほど仲がいい!」
「…………は?」
「良かったね、ワン君!」
一体なにをどう見て、良かったねと言えるのか。だがこちらが突っ込む前に朱莉は「それじゃね!」とスキップをするような軽快さで教室をあとにした。相変わらず不思議な奴である。だが今はそんなことを考えている場合ではない。
(涙花にどう謝ろう)
前髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜ、大きく溜息をつく。
今から追い掛けてまた謝ろうか。そして全部話す? 俺がどんな人間か? しょうも無くかっこ悪いってことを?
(嫌われることはねぇと思うけど)
それでも不安はあるわけで。
戌介はカバンを取り、一人で教室から出て行く。また毎日涙花と会えると喜んでいたのに、本当に最悪だ。
そしてもっと最悪なことに――――
「あ」
「あ?」
玄関に続く廊下で、涙花の元後輩、多田と出会ってしまった。
久しぶりに見た顔が最初は驚いたような顔をして、それからまるで苦虫を噛み潰したように歪んでいく。だがそれから視線を移してパチパチと瞬きをした。
「涙花先輩は?」
戌介の隣、いつもならば涙花がいるところが空席であることに多田は首を捻る。その姿を見るだけで涙花を怒らせたという事実が突きつけられているようで心が痛い。でもそんなことこの後輩には絶対に知られたくない。
「てめぇには関係ねぇ」
「そこまで徹底しなくても……」
多田は呆れたような溜息をつく。そして気まずそうに続けた。
「これでも反省したんです。だから涙花先輩に近づいてないじゃないですか」
「反省しようがしなかろうが、二度と涙花に近づくな」
「相変わらずの独占欲」
溜息と同様に、呆れた様子の彼に戌介は「あ?」と眉を寄せる。これ以上イライラさせないでほしい。
「それがどうしたよ」
その苛立ちを隠しもせずに聞く。
「いや、涙花先輩も大変だなぁって」
「こんだけ束縛されたら不自由でしょ」と肩を揺らす相手を殴らなかったのは奇跡だったかもしれない。
いま隣に涙花はいない。怒らせてしまったから。それは涙花のことが好きで好きで仕方が無いが故なのだけれど、自分の彼女への気持ちが重すぎることは自覚している。だから今の言葉は意外と痛かった。
(分かってる)
愛が重い。でもどうしたらいい。これ以上ないくらい、彼女を想っているのだ。
焦りと不安が胸に溢れそうになるも、多田の続けた言葉に少しずつズレを感じた。
「涙花先輩は我慢してるんでしょうね。文句とか言えない人だし」
――――涙花涙花言うけどさ、何も教えてくれないじゃん。それとも澪ちゃんになら話せるの? 澪ちゃんは戌介くんのこと知ってるもんね?
「…………」
先ほどの涙花の台詞が再生される。
「嫌な気持ちになっても黙って飲み込むだけって可哀想じゃないですか」
――――私に何も話せないなら、もういい。
多田の言葉は正しくて、でもそれはもう過去のものだ。
「我が儘ひとつ言えないんですよ、先輩は」
――――澪ちゃんと付き合えば?
(あ、そうか)
――――喧嘩するほど仲がいい!
「うるせぇよ」
それは朱莉に言ったのか、それとも多田に言ったのか。いや、どちらでもいいか。戌介は鼻で笑い少し俯く。
自分が悪いことは変わらない。でも気付いてしまえば少し嬉しくて。
(俺たちいま、喧嘩してんだなぁ)
呆れるくらい涙花が愛おしくてたまらない。
「守る守る言いながら何も出来なかったてめぇに言われたくねぇよ」
それでも多田に礼を言うつもりはない。だから遠慮なく傷を抉ってから走り出す。何も言い返せず沈黙した彼に少し同情した。我ながら性格が悪いと思うけれど、涙花以外はどうでもいいから。
涙花はいまどこにいるのだろう。一人で泣いていないだろうか。いや、一人で泣いていて欲しい。その涙を受け取るのも拭うのも俺の役目だから。
(でもきっと俺は、守りたいわけじゃないんだよな)
その視界に誰も入れて欲しくない。俺だけ見ていて欲しい。過去すらも捨て去って、俺以外いらないと抱きついてきて欲しい。
それは彼女を守るためじゃない。それこそただの独占欲。束縛したいと叫んでいる。
あぁ好きだ。好きで好きでたまらない。あの日、中学生の彼女を見てから脳みそがバグったかのように、自分の中は涙花だらけだ。
愛したい。愛して愛して、甘やかしてドロドロにしてやりたい。
でもそれだけじゃダメだ。
(俺のことも、愛してくれるかな)
涙花に嫌われたくない。ずっと俺のことを見ていて欲しい。だから涙花に言いたくないことがあった。話せないことがあった。
以前のデートで行ったゲームセンター。涙花が男に絡まれた時があった。
『ちょっとやんちゃしていて、俺の名前が少し有名なだけ』
今もその理由を深く聞いてくることはない。それに甘えてそれ以上、こちらからも何も言っていない。それを涙花はどう思っているだろう。
(だっせぇな俺)
どちらかというと、俺は俺自身を守っていた。
嫌われそうな自分の部分は排除して、都合のいいところだけ涙花に見せて、彼氏面している。
でもそれは涙花を信用していないということじゃないだろうか。
俺が涙花を丸ごと愛しているように、涙花も俺のことを丸ごと愛そうとしてくれている。そう考えるだけで全身に痺れが走る。
全部話しても傍にいてくれるか不安で怖いけれど、それでも。
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