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――――ピリリリ。
不意にスマホが鳴り、反射的にポケットに手を突っ込んで画面を見る。
涙花という名前に急いでタップした。
「涙花⁉」
焦りのままの声が我ながら情けない。
「涙花、今日はほんと――――」
『はいはいもしもし、アンタの彼女は私が預かった』
「……あ?」
返ってきた声は涙花ではない。
「誰だよ。涙花は?」
だがその声は聞き覚えがある。
『駅近くの公園に三十分以内に来ないと、涙花はアンタと別れるって』
そうだ、こいつは涙花の中学時代の!
「はぁ⁉ ちょ、つかお前あの女だろ! てめ――――」
涙花に何してやがる! と続く前にスマホが切られた。
「もしもし! もしもし⁉ くそ!」
スマホを握ったまま走る足を速くする。駅近くの公園に三十分以内。
「どの公園だよ⁉」
涙花は傷つけられていないだろうか。いや、こうなったのはこちらが悪いのだけれど、それでもトラウマの根源とも言える彼女と一緒にいるとはどういうことだ。
今まで部活に入ったこともない身だ。足が速いとはお世辞にも言えない。でもそんなこと言っている場合ではない。
セミの鳴き声。車の音や電車の音。それらが全て遠くに感じる。
こんなことなら隠さずに全部話せばよかった。変に格好つけたりせず、晒してしまえばよかった。でも後悔したって後の祭りだ。
「涙花いっ、ねぇし! 次どこだよ!」
もう全部見せるから。
全部全部、話すから。
だから、だから。
「涙花!」
(なぁ、涙花)
公園を囲む鉄の柵に腰を掛けた涙花を見つけ、名前を叫ぶ。
ハッとしたように振り返り、彼女もこちらを見つけて走ってきた。そして両腕を二人で広げる。
(俺のこと、愛して)
「戌介くん!」
腕が首に回り、戌介も彼女を強く抱きしめる。一度ぎゅうと抱いてから「ごめん涙花」と顔を上げれば、そのまま唇が塞がれた。
押しつけるようなそれは一瞬なにか分からず混乱し、涙花からキスされたのだと理解した瞬間、思考回路が停止した。
今までねだってもしてくれなかった、彼女からのキス。それがいま、人がいる公園で与えられる。
そっと離れたとき、驚きで自分の息が止まっていたことにようやく気付いた。
「酷いこと言って、ごめんなさい」
「るい、か」
「いっぱい……いっぱいムカついたよ? でも、戌介くんにだって話したくないことがあるって分かってる」
「分かってる、分かってるけど」と続ける涙花の声は震えている。
「でも私は戌介くんの一番でありたいの! 澪ちゃんは知ってるのに私が知らないなんて悔しい。悔しいの」
幼馴染みの名前が出て来て、付き合い始めた日のことを思い出す。
嫉妬はしないと言っていた。そう言った彼女がいま、こんなにも必死に言葉を重ねてくれている。
「我が儘なのは分かってるよ。でも戌介くんの彼女は私だもん! 私が一番戌介くんのこと好きだもん!」
「涙花……」
「だから、恥ずかしいとか言ってる場合じゃなくて、戌介くんのことが好きって伝えて、好きでいてもらえるようにしたくて……あれ、何かよく分かんなくなってきちゃったな」
「とにかく!」と涙花一呼吸してから叫ぶように言った。
「私の全部を戌介くんにあげるから、戌介くんの全部を私にください!」
「…………」
プロポーズかと思った。
じわじわと、ではなく一気に身体に熱が回って、全身が熱くなる。体内で山が噴火したかのようだ。
「涙花」
気持ちが溢れるまま唇を重ねる。
公園にいる子供たちからの視線を感じる暇なんてない。全身で涙花を感じたい。
恥ずかしいからやめてと背中を叩く手はない。ただただこちらの制服を掴んで、ぎゅっと抱きしめ返してくれる。
それが嬉しくて、愛しくて、息よりも胸が苦しくて死んでしまいそうだ。
唇をゆっくり剥がし、頬にも口付ける。わざとらしく音を立ててすれば、彼女の目がどんどん潤んできて慌てた。冷静だったらどうして泣き始めたのかすぐ分かったのに。
「う、うううう~~」
「あ、いや、ごめっ、調子に乗ったっ」
「違う、違うのっ」
こんなところでと謝ろうとしたが、涙花は違うのだと首を横に振る。その間も大粒の涙が口付けた頬を濡らしていく。
「我が儘言ってごめん。ごめんね。私のことイヤになってない? 嫌いになってない?」
「……はは。ばーか、なるわけねぇだろ」
相変わらずの彼女を笑って、もう一度強く抱きしめ直した。くっついて汗ばむ身体が気持ちいい。
「前にさ、喧嘩して仲直りしようって言ったじゃん俺」
それは涙花が好きだと言ってくれた時のこと。今もあの時のことは宝物で、鮮明に覚えている。
『きっと俺だって無神経なこと言って、涙花のこと怒らせるよ。つーか、俺が余計なことやらかす率の方が高いぜきっと。んで、喧嘩になる』
『……喧嘩?』
『そう、喧嘩』
ひっくと喉を鳴らす涙花に戌介は微笑む。
『お互い気に食わないことがあったら、喧嘩しようぜ。我慢しないで言い合ってさ、んで仲直りしよ』
「涙花の気持ちをぶつけてくれて、すっげぇ嬉しい」
「でも……」
「いいんだ。全然。我が儘なんかじゃねぇし、俺が悪いしな」
「不安にさせてごめん」と頭に頬ずりすれば、涙花も「ううん」と額を肩口に擦ってくれる。甘えてくれる仕草がすごく可愛くて、そしてなんだかすごく安心した。戌介は小さく笑う。
「俺の話、全部聞いてくれる?」
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