④戌介響

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④戌介響

 二人で手を繋いで歩く。  その道はあまり通ったことのない道で、でも涙花の住んでいる辺りと変わり映えしない住宅街だ。  手と手の温度は同じくらいで、境目が分からなくなりそうで心地よかった。 「…………」 「…………」  互いに何も話さないけれど、その沈黙は柔らかい空気でくすぐったい。人前でキスしたことに今更照れている。  二人きりの時のキスはもう数え切れないほどしているというのに。  チラリと涙花は戌介を見て、でも相手に気付かれる前にすぐに視線を戻す。  今は戌介の家へと向かっている。どこにあるのか、どんな家なのか、全然聞いたことがない。  改めて彼女なのに彼のプライベートの部分を全然知らなかったのだと思い知る。そして幼馴染みなら知っているということがまた少し胸が痛む。  でも彼の気持ちは真っ直ぐ自分に向いていることは分かっているから、先ほどよりももう動揺しない。  けれど。 (やらかしたよね、私)  二人の沈黙は心地よいけれど内心、穴があれば入りたい。  公園で戌介が来るのを待ちながら考えた。何をどう伝えようか。どんな言葉を使えば、この気持ちを表せるだろうか。  嫉妬してしまったこと。無視したりしてごめんなさい。でも私も君のことを知りたい。  だって好きだから。好きなのに何も知らないのは悲しい。我が儘なのは分かってる。  全部じゃなくてもいい。少しずつ、少しでもいいから教えて欲しい。 (周りに人もいたのに、いきなりキスしちゃうとか……バカ私)  色々考えていたのに、顔を見たら全て吹き飛んでしまった。  ただ彼のことが好きで、手放したくないと。彼の愛に甘えるだけじゃダメだと思った。  恥ずかしくても、私も君が好き。もっと一緒にいて欲しい。全部ぜんぶ、欲しい。 「涙花」  不意に名前を呼ばれ、少しだけ手を引かれる。  戌介を見ると苦笑して指さした。その先にあるのは古いアパート。 「俺が住んでるとこ」 「そうなんだ」  周囲にある一軒家やマンションと比べたら年期を感じる見た目だが、特に思うことはない。 「じゃあ澪ちゃんもこの辺りに住んでるんだね」  そう言うと、戌介はどこかキョトンとして「イヤじゃねぇの?」と聞いてくる。その意図が分からず涙花は首を傾げた。 「なにが?」 「その、かなり古いアパートだけど」 「うん?」 「それがどうかした?」と聞き返せば、数回瞬きをしてから彼は小さく笑って、軽く手を引く。そしてそのまま軽く抱きしめられた。突然のそれに少し驚くもその腕を受け入れる。 「ありがとな」  そう言うとそのアパートへとまた導かれる。  脇についている階段は錆びていて、歩くとギッギと音がする。どのくらいの人が住んでいるのかは分からないが、部屋の前に洗濯機を置いている人もいた。 「イヤじゃねぇ?」  繋いでいた手が離れ、戌介はカバンからカギを取り出す。それをドアノブに差し込むのを見ながらまた涙花は首を傾げる。 「何がイヤなの?」 「古いじゃん」  どこか作り笑顔で、でもそれもぎこちない。  その表情を見ても彼のように考えていることを見透かすことは出来ないけれど、何となく先ほどから言いたいことが分かり、涙花は笑ってしまった。 「どうして気にするの?」 「まぁ周りと比べたら古いかもしれないけど」と言って続ける。 「戌介くんの家でしょ? 私は連れてきてくれて嬉しいよ」 「こんなボロいのに?」 「だからそんなこと気にしないでよ」  それよりも。 「その、なんていうか、戌介くん家にお邪魔するのが、ドキドキする、かな」  夏休みに涙花の家に来たときのことを思い出す。  勉強して、それからキスをした。それ以上のことはしなかったけれど、甘くなったあの空気を思い出すと胸の奥がぎゅっとする。  別に今日も、“そういう意味”で連れてきてくれたわけではないと分かっている。今まで彼が話せなかったことを教えてくれるだけ。それが分かっていてもドキドキしてしまう自分ははしたないだろうか。 「……引かれちゃう?」  顎を引いて彼を見れば、「ばか」と額を小突かれる。そしてその額にキスを落としてから開けたドアを開いた。 「どうぞ」 「お、じゃまします」  そういえばご両親はいるんだろうか。いるならどこかでお菓子とか買っておけばよかっただろうか。  今更そんなことを考えたけれど、入った玄関には一つも靴がなく、その先の部屋――ダイニングキッチンにも誰もいない。 「父さん仕事でいないから」 「お母さんは?」 「母さんは死んでていない」 「えっ」 「俺が幼稚園だった頃に病気でさ」 「そうだったんだ」 「部屋、そっち」  ダイニングキッチンの向こうに二つの部屋。その片方を指さされ、涙花はまた「お邪魔します」と頭を小さく下げて入る。  中は洋室でベッドが一つ。そしてよく始業式とかで見る小学生とかが買う勉強机が向かいに置いてある。  小さな本棚もあるけれど、数冊の本がおいてあるだけでスカスカだ。 「前は兄貴と分けての部屋だったんだけど、もう社会人で一人暮らし」 「お兄さんがいたんだね」 「うん」と頷いて、戌介は勉強机のイスを引く。 「涙花がベッドだと流石にキツいから、こっちでいい?」 「あっ、はい、大丈夫です」  言われている意味が分かり、顔が真っ赤になる。それを少しでも隠せるように頬を両手のひらで押さえながらイスに座った。 「お茶でいい?」 「おかまいなくっ」 「ちょっと待ってな」  彼は部屋のドアを開けたまま出て行き、すぐにコップに麦茶を注いで戻ってくる。その二つを勉強机に置いて、涙花と向かい合うような形でベッドに座った。 「…………」 「…………」  見つめ合って、沈黙。  だが「あー、えっと」と彼は視線を逸らして頭をかいた。 「どこから何を話そうか……あー、そうだな」  また真っ直ぐ涙花を見る。だがいつもの見透かすような瞳ではなく、どこかぎこちないものだ。 「見ての通り、うちって貧乏でさ。母さんもいねぇから男所帯。兄貴も学生の頃バイトとかしてて、ご飯とかも含めてニャン子の家に昔っからお世話になってた」  初めて聞く話に、涙花は邪魔せぬよう無言で頷く。 「今は兄貴も会社勤めで、こっちにお金送ってくれてるからフツーに暮らせてる感じ。俺もバイトとかしたいんだけど、父さんと兄貴は反対しててさ」 「どうして?」 「俺には好きなことして生きてて欲しいんだって」 「金ばっか気にすんなってさ」と続ける顔はどこか切ない。 「でも金がねぇから好きに遊ぶってことも出来ねえし、買い物ひとつ気にしちまう」 「…………」  その言葉に、今までのことを思い出す。  いつもデートは土手。 『こんな所でごめんな』 『え? なんで?』 『なんかもっと良い場所あんだろ』 『良い場所?』 『カラオケとか、あとなんか、楽しい場所とか』  そういえばお祭りの時も、くじや射的もやっていなかったと言っていた。 『少し憧れてただけ』 『お祭りに?』 『そう。でもそれは昔の話で、今は別に何とも思ってねぇし。だから大丈夫』 (そっか)  散っていたピースが集まり、形になっていく。  そこにパズルの枠があったとは思わなかった。いや、付き合い始めはそういうことも全然気にしなかった。  決して興味がなかったわけではないのだけれど、きっとその頃よりも彼のことが好きだから、ひとつひとつのピースを見つけられるようになったのだろう。  初めてのデートのランチもそのひとつだ。そして、あのゲームセンターでの出来事も。 「昔、ちょっとやんちゃしてたって」 「あー……」  戌介はソウデス、と片言で返しながら頬をかいた。視線は涙花から逃げている。 「好きなことやれって言われても何も出来ねぇじゃねぇかって、中学の時に荒れてさ。まぁ、代わりにね、喧嘩とかしてマシタ」 「だから喧嘩強かったんだね」  なるほどと頷きつつ、これも聞き出したいと思い「あと」と出来るだけ笑顔で聞いた。 「澪ちゃんが、戌介くんは手を出すのは早いって」 「は⁉」
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