④戌介響

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「――――」  返事はなかった。  唇が唇を塞ぐようにくっつき、言葉を発する状態じゃなかったからだ。  そのままベッドに押し倒されてしまうのではないかというほど、戌介の身体が涙花の身体に覆い被さる。  キスというより、噛みつかれている。食べられているという感覚で、唇すら音を立てて吸われ、それから舌が涙花の口の中を蹂躙していく。 「んっんっ」  息苦しい。酸素を求めて首を引くけれど、それも許さないというように戌介は角度を変えて口付ける。  舌と舌が絡み合い、呼吸すらも奪われて、涙花は彼の舌に小さく歯を立てた。  ピクっと肩が揺らした戌介は、ゆっくりと顔を離して、少しだけ舌を覗かせたままこちらを見つめる。 「コホッ」と涙花は咳をしつつも、同じように彼を見つめた。唇が唾液でひんやりして、顎まで流れ落ちている。  生理的な涙は視界をぼんやりと曇らせるけれど、相手のことを見失うことはない。むしろもっとちゃんと見たいと思い、瞬きを何度もさせる。そして目尻から零れたそれは顎に伝う唾液に混じった。 「涙花」 「ん」  余裕の無い声が身体に響いて、化学変化でも起きたかのように心の中で小さな爆発が起きる。  それに名前を付けるのならば、きっと欲望とか欲情で、どうすることも出来ない溢れんばかりの好きで満ち満ちていく。  もっと。もっと欲しい。  涙花から手を伸ばして戌介の頬に触れる。 「戌介くん」  あぁ、乱れた息が気持ちいい。  余裕のない表情が愛おしい。  恥ずかしいと顔を背けていたなんて、どれほど勿体ないことをしていたのかと呆れてしまう。  手のひらで頬を撫で、同じように唾液で濡れている唇を親指でなぞると、彼の舌が涙花の親指に触れる。  爪の間を舐められ、剥がされるわけではないと分かっているのに本能的に怖いと思ってしまう。だがそのまま戌介は涙花の手首を掴んで親指を口に含んだ。  固い爪を舐めて、それから柔らかい腹を舌で撫でる。少しくすぐったい。歯を立てられれば、もっと噛んでもいいよだなんて思っては、心臓が強く脈打った。  あいている方の手で戌介の前髪を持ち上げる。  じんわりと汗が滲む額。柔らかい髪の毛。そのまま頭を撫でると、親指から手のひらを舐められる。 「……っ」  手のひらを円を描くように舐める舌は器用に細くして、またくすぐったい。でもくすぐったいだけではなくて、ぞくぞくと腰に痺れが走る。 「んっ」  イヤじゃない。イヤじゃないけれど、蓄積する柔らかい快感はどこかじれったい。それでも甘く走る痺れを上手く逃がす方法なんて分からなくて、「戌介くんっ」と助けを求めるように名前を呼ぶ。 「はぁ……」と息を吐いたのはどちらだろう。  手が解放され、どちらかともなく唇が寄せられる。また始まったキス。それに終わりは見えず、何度も角度を変えて、唇を噛んで、舌を絡ませて、唾液を交換する。  顎裏をくすぐられれば身体は跳ねて、それを可愛いというように何度も、何度も。  意地悪しないでとまた舌を噛んでもキスは止まらない。吐息で笑って、飽きずに唇と舌を重ね合う。  その間に戌介は涙花を抱きしめ直し、押し倒すのではなくベッドに座り直させる。  唇が離れそうになってもそれを許さず、顎を持ち上げてキスを続ける。そしてその手は涙花の首を撫でて、鎖骨に触れて、それから制服の襟の内側へ手を差し入れる。 「ふっ……」  衣服は盾みたいなもの。相手に見せぬ肌。制服は学生であることを見せる正しい姿。その中に手を入れられただけで、身体全てを暴かれるのだと全身に緊張が走る。でもそれなのに、彼に暴かれるということに興奮して、キスされている口の中で唾液がじわりと湧いた気がした。 「っ……ん……」  鎖骨の下。谷間の上。たまに弾力を確かめるかのように指を立てられる。  意識がそこにいき、キスの感覚が遠くなる。ただ触れ合うだけになったことに気がつかずにいれば、次に触れられたそこに一瞬にして涙花の身体はピクリと身体を丸めた。  ぺたんと座っていた膝に、スカート越しに手が置かれる。そしてそのスカートを持ち上げられ、手を離す。重力に逆らうことをしらないそれは空気を含み、涙花の脚を冷やしていく。  何度かそれを繰り返され、涙花はキスを解いて首に抱きついた。  互いに顔が見えない。でも荒い呼吸は分かる。緊張して、興奮している。そんな表情を見たいのに、抱きつく腕は緩んでくれないし、戌介の手も止まらない。  ついにスカートが少しだけ捲り上げられ、膝に直接手が触れる。手のひらで包むように、温めるように。それからゆっくりと太ももへと上がっていく。 「はっ……ぅ……」  小さく震える身体は拒絶なんて知らなくて、その奥の快感をもっととねだるように肩口に涙花は頬ずりした。そして彼の首筋にキスを落とす。 「――――っ」  それだけで反応する彼が愛しくて、少しだけ舌を押し当てる。  イヤじゃないかな? なんて考える余裕なんてない。ただそうしたいから。ただ、触れたいから。 「ぁっ」  太ももの内側を触れるか触れないかのタッチで撫でられて声が上がる。  ぞわぞわ、ざわざわ。でも形容しがたい快感に、また生理的な涙が浮かんでくる。その間も戌介の手は涙花の太ももを撫で、そしてやり返すかのように今度は戌介が涙花の髪の毛が掛かったままの耳に息を吹きかけて言った。 「きもちいい?」  一気に身体が真っ赤に染まったような気がする。  恥ずかしいという気持ちはそんな簡単に消えることはなくて、逃げ出したくなった。そんなことないと否定して、その手と唇から逃れたい。  でもそうじゃない。逃げてしまいたいけれど、逃げたいわけじゃない。  恥ずかしくて死にそうだけれど、ちがう。この複雑な気持ちをなんて表現したらいいか、自分も分からない。  ただ分かるのは―――― 「きも、ちぃ……」  ――――自分の身体に触れる彼のことが好きだということだ。 「きもち、いいの」  その手が愛おしい。好きな人の手が、気持ちいい。肌に張り付くような、それでもひとつになることはない、その少し寂しい境界線。でも、だからこそ触れ合うのが気持ちいいのだ。 「きもちいい、戌介くん」 「涙花っ」 「ぁっ」  耳に直接、余裕のない名前を注ぎ込まれる。  太ももに触れる手が肌を押し込むように強くなり、もう片方の手が制服の上から胸を包む。そして髪の毛の間を縫って、舌が涙花の耳を舐めた。 「ぁ、ぁっ」  息が含まれて消えそうな、それでもしっかり形を持って喉から溢れ出る喘ぎ声。  ダメ、ダメ。もっと、もっと。  両極端な矛盾。  身体の中心が熱を持ち、このままその熱に溶かされてしまいたい。  長く息を吐こうとしても、こぼれ落ちる声に呼吸すらもままならなくて、息が苦しい。それなのに彼の唇が欲しくなってしまって顔を上げる。 「いぬ、かい、くん」 「ん」  そしてすぐ与えられる口付け。  そのまま胸に触れる手が着ている涙花の制服を持ち上げようとしてハッとした。 「ぁ、ま、って、待って」  今更ハッとして恥ずかしい。  涙花はキスをとき、ベッドに座った身体を戌介から少し距離を取る。  触れていた手が離れて宙を彷徨う。それに寂しさを覚えつつも、涙花は自分の身体を抱きしめた。 「涙花?」 「あの、えっと」 「イヤだったか?」 「ちがう! ちがうのっ」  心配そうにこちらを見る戌介の息はまだ荒い。自分だってそうだ。  行き場を失ったその手を引っ張って、触れて欲しいところに手を誘導したい。  彼の結んだ髪の毛を解いて、首筋に甘噛みしたい。  触って欲しい。触りたい。でも気付いてしまったらもうダメだ。 「した、ぎ、なんだけど」 「した?」 「下着!」  要領を得ない戌介に涙花は叫んだ。  八つ当たりのような言い方になってしまうのも許して欲しい。 「ブラとパンツ、そろってないし、可愛くないし」  あと。 「シャワーも、浴びて、ないし……」  視線を逸らす。  呆れられるだろうか。今更そんなことをと溜息をつかれるかもしれない。否、つくだろう普通。  さわりたい、さわってほしい。そう言っておいてこれはない。 「…………」  じわじわと蝕む快感が理性を壊そうとしているけれど、どうしても譲れないと女の自分が許さない。 (面倒くさいよね、私)  生理的なものではない涙が目に集まってくる。  きっと今まで出会ってきた女性はそんなことを言わず、いやもしかしたらそういう準備とか全部済ませてから、こういう雰囲気を作って、やることをやっていたのだろう。きっと。 (面倒くさい上に格好悪いし、可愛くない)  唇まで噛みしめてしまうと、戌介は宙を彷徨っていた手で拳を作り、自分の膝の上に置いた。 「涙花、聞いてもいいか?」  真っ直ぐこちらを向いて戌介は聞いた。 「はじめて?」 「…………ん」  全て言われなくても分かる。  涙花がひとつ頷くと「そっか」と言い、それから小さく笑った。でもそれはバカにしたような笑いではなくて、優しい微笑みだった。 「よかった」  なにが? とは聞き返さない。 「よくない」 「なんでだよ」 「俺は嬉しい」と続けた戌介に愛しさを覚える。でも頬にはポロリと涙が伝った。 「呆れるでしょ」 「呆れねぇよ」  うん。分かってる。本当は、ちゃんと分かっている。  こんなことになっても彼は溜息をつかない。呆れたり、怒ったり、面倒くさいだなんて思わない。 「むしろ、そういうとこも可愛い」 「襲えばいいのに」 「はは、そうだな」  この人は、すごく私のことを愛してくれているから。 「好きだよ、涙花」 「……うん」  自分で涙を拭い、戌介に真っ直ぐ言う。 「私も、戌介くんが好き」 「おう」  嬉しそうに頷いてから手を伸ばす。そして自分で拭った頬を彼も優しく拭ってくれる。もう涙はないのに。  それが優しくて、嬉しくて――もっと触れてほしくて。 「何も言うんじゃねぇぞ涙花」  でもその前に戌介は涙花の頬を軽く摘まんで言った。 「次はねぇから、覚悟しとけ」  唸るようなそれはどれだけ我慢しているのかを教えてくれて、申し訳なく思いつつも、そういう彼だから私は好きなのだと実感する。 「うん」  だから私も、精一杯、めいいっぱい、彼を愛したいと思った。
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