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②胸に育つ気持ち
(まだ時間は平気、だよね)
薄暗い道を涙花はカラン、コロン、と下駄の音を響かせながらゆっくり歩いて行く。
屋台とかはまだこの道には無いけれど、そこへ導くかのように周りには提灯がぶら下がっていた。
手首に巻いている時計を確認すれば、約束の時間にはまだ余裕がある。
着付けにはもっと時間が掛かるかと思っていたけれど、流石プロ。手際よく着付けてくれた。
黒い色の浴衣に、ピンク色の蝶と花。髪の毛は少し左に流して、右耳に大きな一輪の花を差している。
可愛いと思ってそれを頼んだのだが、果たして自分に似合っているのか、不安なところだ。
(似合ってるって言ってもらえたら嬉しいなぁ)
浴衣姿を見たいと言ってくれたのだ。少しでも可愛い姿を見せたい。ちょっと恥ずかしいけれど、好きな人を喜ばせたいという気持ちはある。
同じようにお祭りへ行く人たちが歩く中で、手を繋いで歩く恋人の姿がある。その彼女も涙花と同じように浴衣を着ていて、笑顔で話すその姿は可愛い。以前なら素敵だなぁで終わっていたのだが、好きな人が出来たいま、その景色が少し不安になる。
可愛い人がいっぱいいて、私は似合ってないかもしれない、なんて。そんなマイナスなことばかり考えてしまうのだ。
昔はそこまで気にしたことは無かったのに、恋をするとそこまで変わってしまうなんて。
(弱気! だめだめ!)
小さく首を横に振り、両手で軽く頬を叩く。折角のお祭りだ。楽しまなくては損というもの。
待ち合わせの鳥居に近くなる。
本当は着付けをお願いした美容院までついて行くと言われたのだが、ちゃんと着付けてから見て欲しいと言うと、悩みながらも近くの鳥居で待ち合わせになった。相変わらずの心配性だ。
(ここら辺かな)
鳥居の周りにはチラホラ人がいる。そのまま祭りの道に入っていく人がほとんどだけれど、きっと自分たちと同じように待ち合わせをしているのだろう。
時間はまだ早いから、着いたと連絡するのはもう少し約束の時間に近くなってから。それまで人が少ない場所で待っていよう。
立っていても邪魔じゃない場所を探そうと、辺りを見渡せば。
「あの人、めっちゃイケメンじゃない?」
「うわ、顔面マジで整ってる」
ヒソヒソと話している声が聞こえた。
無意識にそちらに視線を向ければ、帯が後ろでリボン結びされている浴衣姿の女性が二人。髪の毛を上げて結び、涙花と違って後ろには生花が飾られている。
涙花から見てもとても可愛い女性だ。
「ねぇ、行ってみよ!」
二人は下駄の音を響かせながら歩いて行く。
何となくその先を見れば、「あ」と声が零れた。そこにいたのは、戌介だったからだ。
浴衣に合わせるようにか、白いTシャツの上に、大きめな半袖の甚平のような上着。黒色だが、端には白い和模様が入っていて格好良い。
戌介によく似合っていた。女性が騒ぐのも分かる。
「あの~、お一人ですかぁ?」
可愛い女の子二人が、戌介に声を掛ける。
お似合いのカップルかどうかは分からないけれど、きっと手を繋いで歩いたりしたら絵になるだろうなと思った。
(私より全然可愛い……)
黒いズボンに手を入れて待っていた戌介が、声を掛けた女性に視線を向ける。彼もきっと彼女たちを可愛いと思うだろう。もしかしたら自分なんかより彼女たちと遊びたいと思うかも知れない。
涙花はキュッと唇を噛みしめ、また先ほどのように首を振って頬を叩いた。
それならそれで仕方が無いけれど、約束を破って遊びに行くような人ではないことを知っている。
戌介くんはそんな不誠実な男じゃない!
「あの!」
小走りで彼らに近づくと、女性に向けた戌介の視線が涙花に向く。少し離れた場所から声を掛けたが、どうやら彼はこちらに気付いてくれたらしい。瞬間、「涙花!」と嬉しそうに表情を明るくした。そして女性二人の間を通って、涙花の元へ駆け寄ってくる。
「えっ」
そしてそのまま抱きしめられた。
「あの、えっと」
女性二人がこちらを見ていて、でも戌介は自分を抱きしめていて、これはどうすれば?
「浴衣、よく見せて」
「あ、え、あ、はい」
戌介は少し離れ、涙花を見る。浴衣姿が分かるように少しだけ腕を広げれば、頭からつま先までしっかり見て、「うん」と嬉しそうに彼は頷いた。
「めっちゃ可愛い。すっげぇ似合ってる」
「そ、うかな」
「来るまでにナンパとかされなかったか? 変に絡んできた奴とか」
「ううん。私は大丈夫だけど」
今、まさにいま君がナンパされていましたけれど? と思うが、涙花の答えに戌介がまたこちらを抱きしめて「良かった」と息を吐いた。
「すっげぇ心配だった」
「あり、がとう」
(さっきのことは無かったことにしたいのかな?)
戌介の背中をポンポンと優しく叩きながら、あの可愛い女性たちの方を見る。すると彼女たちは「もう行こう」とそのまま祭りの方へと歩いて行った。
それにホッと息を吐く。
「戌介くん、ちょっと恥ずかしい」
「こんな可愛い浴衣姿、周りに見せたくねぇ」
「バカなこと言わないで」
「へーい」
ゆっくりと離れた戌介は、また涙花の姿を見て「可愛い」と頷く。
恥ずかしいけれど、でもそう言ってもらえて嬉しい。似合ってないかもと不安になっていたから尚更。
「えっと、嬉しい」
「ありがとう」と小さく言うと、額に柔らかい感触が。それはよく知るもので、反射的に額を押さえた。
「こらっ」
「可愛いお前が悪い」
ベーと舌を出し、それから手を繋ぐ。
屋台の並ぶ方へ歩き出したそれは、いつもよりゆっくりで、こちらを気遣ってくれているのがよく分かる。そういうところも、やっぱり好きだなぁと勝手に口が弧を描いた。
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