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○プロローグ
遠くからセミの鳴き声が聞こえる。
歩けばその声は近くなり、でも姿は見えずにまた遠くなる。
春から夏に移りゆく姿もそんな感じ。
制服の短い袖は太陽から腕を守ることなく、差し出すように肌を見せている。
日に焼かれるそれは短いスカートよりも許しがたい。
「土手はもう流石に無理だな」
「そうだね」
恋人との逢い引きの場にも平等に夏が訪れた。
日陰があるといえど、温暖化に苛まれる昨今。それで暑さをしのげるわけがなく、撤退を余儀なくされた。
だから最近は教室で少しお喋りをして、それから一緒に帰るだけ。
でも少し違うのは、彼が家の近くまで送ってくれるようになったこと。
繋いだ手は汗ばんで、それでも構わないと握り合う。
でも実はほんの少し手を離して欲しい。
汗を掻いているからという理由と、あとは周りの視線。
別にジロジロ見られているわけではないし、手を繋いでいることを咎めるような目を向けられたわけでもない。
ただ、ほんの少し恥ずかしいのだ。
(前は全然気にならなかったのに)
春に付き合い始めて、それから夏の始まりに両想いになった。
二人の関係性は変わらない。でも気持ちが違う。
ただ付き合っているから、恋人同士だから手を繋いでいるわけじゃない。
彼のことが好きだから。だから手を繋いでいるのだと思うと、それが恥ずかしくてたまらなくなる。
だって、周りから見たら一目瞭然。
手を繋いでいる相手のことが好きなんだと分かってしまう。バレてしまう。宣言したことと同等の意味を持つ!
それがとても恥ずかしい!
「まだ恥ずい?」
それを彼が見抜かないわけがなく、にんまりと笑いながらこちらを覗き込んでくる。
だからどうしてそうやって聞いてくるの。聞かないでって前も言った。
ムッと唇を尖らせて顔を背ける。
「るーいか」
親指で手を撫でて甘やかし、それから耳元で囁くのだ。
「恥ずかしい?」
「っ――――」
吐息が多分に含まれた声は毒そのもの。
囁き声が身体の内側を焦がしていく。
意地が悪い。
意地が悪い、意地が悪い!
「知らないっ」
「ははっ、かーわい」
「それ以上笑ったら、この手を握り潰す」
「おー、怖い怖い」
わざとらしく揺れる繋いだ手。
少しだけ距離を取るように歩いても、すぐ引き寄せられて隣に戻る。
それを繰り返せば彼は「こら」と頭突き。そして二人で笑い合う。
恥ずかしいけど、彼が好き。
悔しいけど、君が好き。
意地悪だけど、大好き。
でもね。
「ねぇ戌介くん」
「ん?」
「…………」
「涙花?」
――――ミーンミーン。
響くセミの声。それは求愛の音色。
聞いて聞いて。ここにいる。ここにいるよ。
居場所を教えて、待っている。
番になる、相手のことを。
だから沢山鳴いて、待っている。
聞いて聞いて。ここにいる。ここにいるよ。
響くセミの声。それは求愛の音色。
――――ミーンミンミンミン。
「ううん」
求愛の声の先。
もっともっと深い場所。
産土に還る前に。
もっと、鳴いて。
「夏休み、一緒に遊ぼうね」
季節は夏。
張り付く熱は、湿り気を帯びて肌を焦がす。
そんなうだるような暑さのなか私は、
戌介響。
(いぬかい ひびき)
君を探した。
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