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⑩悲報
~*忘れていたわけじゃないけれど、考えていなかった*~
――――好きだよ。
――――玖凪さんが、好きです。
(あれって、告白だよな)
今日も今日とて学校で教師をしながら、ふと思う。
泣いた朱莉に『好き』だと伝えたのはもう数日前の話で、もしかしたらあれって夢だったのかなと思わせるほど。
「近ちゃん、バイバーイ!」
「さようなら。気をつけてね玖凪さん」
「イエッサー!」
(ちゃんと告白したよな?)
彼女は何も変わらなかった。
「いやいや、夢じゃない。俺、好きだって言った」
緑色の酒瓶を手に持ち、透明なグラスに注いでいく。そしてじいちゃんの前に置いた小さめなグラスにも注いだ。
まだ例のハッピーのお裾分けは供えられたまま。
近元はグイと酒を呷り、ぷはっと酒臭い息を吐き出して、少しだけ濡れた唇を手で拭った。
「言ったけど、告白だって分かってもらえなかったってことだよなぁ」
――――ここまで生徒を大切にしてくれるって、すごいと思う!
確かに生徒は大切だし、大事にしたい。守りたい存在だ。でもその中での特別枠なんです。
――――やっぱり近ちゃんって素敵な先生! ありがとさんさーんだね!
こちらこそ。素敵だと言ってくれて、ありがとう。でもそうじゃない。そうじゃないのだ。
「やっぱ強かったよ、じいちゃん」
満面の笑みのじいちゃんを見れば、どこか得意げに『そうじゃろ?』と言っている気がする。
あの子は一筋縄ではいかんのじゃ、と。いや、全部自分の妄想の声なのだけれど。
「どうしたらいいかなぁ。どう言ったらこっちの気持ちを理解してくれる?」
もう一度告白すればいいだろうか。だが同じように『好きだ』と言っても伝わらない気がする。ならばどう言えばいいのか。
こういうとき、また国語の教師であったら、なんて思ってしまう。
しかし。
「でもまぁ、告白より先にちょっと面談室に呼び出さないとかなぁ」
トプトプとおかわりの酒を注ぎながら苦笑する。
この間行われた中間試験の結果が散々だったのだ。一年生の頃から成績が大変なことになっていたのだが、二年生になってからもそれは引き継がれた。
赤点のパレードである。だがそれだけではない。補習を受けての追試も落ちてしまっている。
でも何となく彼女らしいと笑ってしまう自分は教師失格だろうか。
「追試の追試も通らなさそうだなぁ……」
もうプリント提出に切り替えてしまおう。でも進級出来るよう勉強をしてもらわなければ。
だが進級出来なければ出来ないで、普通に二年生の教室にいそうな彼女に、また近元は笑ってしまう。
やはり彼女の存在は心をくすぐったくさせてくれる。
「これも、そろそろ食べようかな」
それに気付くきっかけを与えてくれたハッピーのお裾分けを手に取り、少し撫でてから丁寧に袋を開ける。
昔ながらのお菓子はパッケージも近元が子供の頃から変わっていない。
勿体ないと思いながらもサクリと食べれば、これもまた相変わらずの味で懐かしい気持ちになって、それからあの笑顔も思い出されて心が満たされていく。
でも繊細な部分もあって、切ないのだと泣いてしまっても頬を撫でる手は優しくて、満たされた心が今度はぎゅっと、それこそ切なくなる。
(あぁ、好きだ)
大切にしてねと。
泣きながらも笑顔を見せた彼女が愛おしくてたまらない。
泣かないで欲しいと思いながらも、いつも元気で明るい彼女だから、頑張りすぎないよう、辛いときはしっかり泣いて欲しい。
それからまた立ち上がって、元気な彼女に戻ってまた笑顔を見せて欲しい。
もし立ち上がれないのならば、いくらでも手伝うから。
「じいちゃん」
名前を呼び、じいちゃん用の酒を近元が呷る。そして写真の前に置いて、酒を注いだ。
「俺、子供が好きだし、生徒たちはすっごく可愛いと思ってる」
手を焼くときもあるけれど、それもまるっと含めて可愛い。
「でもさ、子供も生徒も関係なく、わーっ! と好きになることってあるんだなぁ」
別にこれが初恋なわけではないけれど、大人として守る対象である彼、彼女らを、恋愛的な意味で好きになるなんて思わなかった。
人生、何が起こるか分からないものである。
『ピリリリ! ピリリリ!』
突然スマホが鳴り、ビクッと肩を揺らす。
一体何だと画面を見れば、そこには『母さん』の文字が。
こんな夜にどうしたのか。いつもならもう両親は寝ている時間だろう。
「もしもし? 母さん?」
「どうしたの?」と聞けば、いつもより覇気の無い声が近元を迎えた。
「――――」
内容は、父が手の骨を折ったということだった。
話を聞くに、農作業中にやらかしてしまったらしい。
「うん。うん。大丈夫。いや秘密にしてもらうより良かった。教えてくれてありがとう」
「じゃあ、おやすみ」と電話を切る。静かに、深く息を吐いた。
(そうか、そうだよな)
食べ終えたハッピーのお裾分けの袋を丁寧に手で伸ばし、じいちゃんの写真の隣に置く。
両親ももうそれなりの年だし、普通なら出来ていたことが、どんどん出来なくなっていくのは仕方が無い。仕方が無いのだが、そう簡単に割り切れない。
まだ教師として働きたいけれど、そろそろ実家の方のことも真剣に考えなければいけない。
継ぐのか、継がないのか。どちらでも構わないと言われているが、両親ともちゃんと話し合わなければ。
「あー……、そうだった」
ハッピーが溢れていた胸の中が、風船がしぼんでいくようにクシャクシャになってしまう。
彼女に『好きだ』と伝えた。
でもそこから先をちゃんと考えていなかった。
自分もまだ高校生とか、子供だったら『好きだ』の後には『付き合う』という流れなのだろうけれど、それなりに年を重ねれば『結婚』を視野にいれるわけで。
教師。生徒。年の差。実家。将来。農家。介護。その他諸々。
同い年くらいならば、互いに色々なことを意識して、注意して、見極めて交際するだろうけれど、相手は高校生だ。そこまで考えている子供は少ないと思う。
不審者の件の時。これからもその笑顔を見たい。ずっと隣にいて欲しいと、強く願った。それは結婚に繋がる気持ちだ。
その気持ちを彼女に渡すのは酷ではないか? 彼女の将来の選択肢を減らしてしまうわけで、好きだから一緒にいたいという根本的な気持ちだけでは傍にいられない。
笑顔を奪いたくない。自由を奪いたくない。沢山の可能性がある未来を、潰したくない。
ならば、どうしたらいい?
「ん~~……」
一体どうしたら?
「なんていうかさ」
写真のじいちゃんが近元を見る。
「大人って、面倒くさいなぁ」
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