⑫海

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⑫海

~*波の音、貝殻、ついでに俺の気持ちも本物です*~ 『近くにいい海あるから!』  いつものスーパーで待ち合わせね! と走って消えた朱莉を近元は追いかけることが出来なかった。  海に行こうという言葉を咀嚼して飲み込むまでに時間が掛かってしまい、かと思えば今度は近くにいい海があるからという台詞。 (近くにいい海とは?)  待ち合わせのスーパーから海に行くとなると最寄り駅から何個か電車を乗り継がなければならない。それとも他に別の行き方があるのだろうか? いやそういう問題ではないか。  教師と生徒で海に行くってまずくないか? もし他の生徒に見られたら? どう言い訳しよう。 (断るのが一番だよなぁ)  スーパーに向かいながら息を吐き出す。海には行けない。行けるわけがない。  折角こちらの気を遣って提案してくれたのに申し訳ないと、再び長く息を吐いた。 (でも海、行きたかった)  そんなことを心の隅で思う。きっとあの子と一緒に行ったら楽しかっただろうな、なんて。しかし一緒に海に行こうと言ってくれただけで十分である。  一緒に行けないことと、お礼をしっかり伝えよう。落ち込んでいる自分を追いかけてきてくれて嬉しかったと。 「よし」  目の前にスーパーが見えてきて、ひとつ頷く。  さて彼女はどこにとキョロキョロすると、ベンチのある裏の方から朱莉が走ってくるのが見えた。その手にはエコバッグがある。 「あ、玖凪さ……」 「しーっ」  手を振ろうとすると彼女に止められる。唇に人差し指のジェスチャーに近元も自身の口元を手で覆った。  もしかして学校の生徒でもいたのだろうか。 「近ちゃん、静かにアタシについてきて」  トーンを落とした声にコクコクと頷いて、歩き出した朱莉の後ろを近元がついていく。  住宅街のこの辺りに他の生徒遊びに来ることはほとんどない。しかし近元が知らないだけで、近くに住んでいる生徒がいるかもしれない。  同じ最寄り駅と近所にあるスーパー。たまたま出会ったのだと言い訳は出来るけれど、気をつけるに越したことはない。 (ん?)  と、そこまで考えてふと気がつく。  一緒にいるところを見られてヤバいのならば、こうやって一緒に歩いていたらダメなのでは? 「あの、玖凪さん」  先を歩く朱莉に小声で呼ぶ。しかし彼女はまた「しっ」と唇と人差し指ジェスチャー。 「近ちゃん静かに」 「でも」 「あと少しだよ」  あと少し?  周囲を見渡すが、ここはいつもと同じスーパーからの帰り道。何があと少しなのだろうか。駅に向かっているわけでもなさそうで、彼女の意図がさっぱり読めない。 (まぁいいか)  取り敢えず言い訳は通る範囲内だろうから。  そのまま一言も話さず朱莉について行くと、朱莉の家が見えてきた。  不審者の件で家まで送った日、あの可愛い姿を見られたため、ちゃんと覚えている。  すると朱莉は辺りを見渡してから近元の手を取った。そして近元が何かを言う前に走り出し、そのままその家のドアを開ける。  白い大理石の玄関と、バタンと分厚いドアが閉まる音。 「おっしゃ!」 「……えっ、ちょ、ちょっ⁉」 「グランマ、ただいまー!」  元気よく朱莉が言えば、奥の方から「ハーイ」と返事が返って来る。 「わっ、ちょ、俺っ」  これはまずい。どう考えても、スーパーで一緒にいる姿を見られるよりヤバい。  一旦外に出ようとドアに手を伸ばそうとしたけれど、朱莉が玄関の鍵を掛けてしまう。そして「どーぞ!」と腕を広げ家に上がれと促した。 「誰にも見られてないから大丈夫!」 「そういう問題じゃ……」 「ハイハーイ、おかえりネ」 「あっ、すみません、こんばんは!」  気付けば年配の外国人が向こうからやって来ていた。  銀色のような白髪に、青色の瞳。父方の母、朱莉の祖母だろう。 「担任の近元朔太郎ですっ、勝手に上がってしまって、申し訳ありませんっ」 「いつもお世話になってますネ」 「こちらこそっ」  何度も頭を下げる。 「すみません、今すぐ出て行きます!」 「ダイジョーブ、アカリから話は聞いてるヨ」 「えっ!」  どういうこと⁉ と朱莉を見ると、じいちゃん似の「ニシシ」という表情。 「ママは難しそ?」 「また今度がいいって言ってたヨ」 「おけおけ。んじゃ、ちょっと海堪能してくる!」 「トロピカルは買えたノ?」 「リンゴとパイナップル!」 「よかったネ」 「うん!」  また朱莉が近元の手を取る。 「行こ、近ちゃん」 「ゆっくりネ~」 「え、えぇ……?」  祖母に手を振りながら見送られながら、引かれるままついて行く。  何が何だか全然分からない。だが正直、じいちゃんもこんな感じだったから耐性があって、もう何でもいっか、と思っている部分がある。  今度菓子折を持って改めて謝罪しよう。 「じゃじゃーん!」  行き着いた先は、リビングの先にあった一階の部屋。  壁にはコルクボードがあり、そこには山の景色や、どこかの店の写真が貼られている。その奥にはブルーシート。  もしかしてこれはベッドにブルーシートを被せているのだろうか。  手前の中央には丸テーブルがあり、様々な貝殻が置かれている。だがそれらは決して綺麗なものだけではなく、ツブ貝やアワビか? と思えるものまで。 「あとはこれ!」  朱莉は自身のスマホを手にし、タップする。するとそこから波の音が流れ出す。 「リアルの海は立場的にマズいから、こんな感じで!」 「…………」  近元は室内を見渡した。 「……これがその、近くにある、いい海?」 「そうだよ!」  なるほど。ブルーシートが海で、丸テーブルが砂浜貝殻。そして波の音。 「ハワイアン的なのもいいかなぁって思って、飲み物も買った!」 「トロピカル?」 「トロピカルジュースってのは見当たらんかったから、リンゴとパイナップル! どっちがいい?」 「じゃあ、パイナップルで」 「おけまる!」  エコバッグから出て来たのは、よく知るパックのパイナップルジュース。同じパックのリンゴは朱莉が持つ。 「まぁまぁ、適当に座って海を堪能しようじゃありませんか」  朱莉はブルーシートの正面に、丸テーブルの近くに座る。そしてポンポンと隣を叩いて近元を誘った。それに従って座る近元。 「…………」 「…………」  ザザーンと海の音。  隣の彼女はパックを開けてリンゴジュースをすする。  なるほど、これが海。近くにあるって言った海――――もう限界だった。 「あっははははははははは!」  バシバシと自分の膝を叩く。 「待って、待った待った、海って、海って! 海を作る⁉ 発想がすごいっ、でも玖凪さんらしいっ!」 「気に入った?」 「気に入った、気に入ったよ」 「元気でそ?」 「うん、元気出た。ありがとう」  笑って滲んだ涙を指で拭う。そんな近元に朱莉は「よかった!」と満面の笑みを浮かべる。 (あー、やっぱ俺、この子と生きたい)  自分勝手かな。でも人間、譲れないものがあったっていいじゃないか。  どんな道だろうと人生だろうと、絶対に俺が幸せにしてみせる。 「玖凪さん」 「ん?」 「玖凪さんはさ、農家とかどう思う?」 「農家さん? まぁた突然だね近ちゃん」  ザザンと波の音が二人の間を流れていく。  朱莉は「うーん」と唇を尖らせ、考えるように視線を上に向ける。そして一口ジュースを飲んで、海を眺めた。 「ありがたいかな! いっつも美味しい野菜あんがとー! って感じ!」 「玖凪さんが農家をやるってなったらどう?」 「アタシ? アタシがやるの? そうだなー」  これは答えるのにのに少し時間が必要だろうか。  近元もパイナップルジュースを飲もうとストローを親指で押して取り出すと、飲み始める前に「んーとね」と朱莉は自身のクルクル巻き毛を持って、指先で弄って笑った。 「格好良いと思う! 機械とか使ってさ、トマトとか育てて、ご家庭に笑顔をお届け! みたいなの、すっごくいいと思う!」 「アタシさ」と続ける朱莉の顔は穏やかだ。 「勉強とか全然出来ないし、将来OLにもなれんだろうなーって思っててさ。あのバイト先のスーパーとかで就職かなって。それはそれで楽しいと思う」 「うん」 「でも農家もいいよね。アタシ、山とか好きでよく行くし。でも確か農家さんもたっくさん勉強して、大変な職業だよね? アタシなんかがやって行けるかなーって心配にもなる」 「農家やるのは不安?」 「うーん。まぁね」  でもさ。 「アタシ、楽しいこと好きだし、みんなの笑顔も大好き! 頑張って育てた野菜を見送って、その先に笑顔が待ってたら嬉しいよね」 「はは、玖凪さんらしい」 「アタシっぽい? 笑顔はみんなのハッピーなのですよ!」  ニシシっと笑って、ジュゴーと音を立ててジュースをすする。元気の良い音に近元も笑う。  響く波の音も笑った気がした。 「そうだね」 「でもなした? アタシの追試ヤバすぎて、やっぱ就職先に難あり?」 「そうじゃないよ」  そう返してから、近元はブルーシート、否、海から朱莉の方へ身体を向ける。そして正座をして、正面から朱莉を見た。  朱莉はキョトンとこちらを見ている。 「俺の実家、農家なんです」 「へー! そうなん⁉ カッケーね!」 「継ぐかどうか悩んでるんだけど、将来もしかしたら教師をやめて実家に戻るかもしれない」 「わっ、寂しくなる!」 「それらを前提に考えて欲しいんだけど」  ひとつ、深呼吸。 「俺は玖凪さんが好きです」  前のように勘違いされないよう、間を開けずに続けた。 「生徒としてじゃなくて、ひとりの女の子として好きです。恋愛です。玖凪さんが高校卒業しても一緒にいたい。一緒に生きていきたいと思っています」 「……近ちゃんの好きな子、アタシ?」 「そうです」 「…………あらぁ」  しっかり理解してくれて安堵する。 「将来教師をやめて農家を継ぐかもしれない。田舎に戻って一緒に農家やってもいいって思ってくれたら……そんな俺でもよかったら――――」  手を差し出す。 「俺と結婚前提に付き合ってください!」  彼女が作った海でプロポーズ。  朱莉は目を見開いて、でもだんだん、ジワジワと笑みを作っていく。そしてゆっくり自身の手を持ち上げて、両手で近元の手を包んだ。  弾けたお星様。満面の笑みは近元の胸をときめかして。 「保留!」
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