⑬とにかく可愛い

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⑬とにかく可愛い

~*使い分けるって、すごくない?*~  いつもと変わらないチャイムの音。  届くそれをぼんやりと聞き、それから小さく溜息を吐いた。 「聞いてますか?」  続いて吹奏楽部の音。 「おーい、聞こえてますかー?」  今日もみんな頑張ってるなぁと思ってから。 「聞いてますか近元先生!」  ハッとする。  虚空を見つめていた近元は目の前にいる養護教論に視線を向け、「すみません」と頭をかきながら苦笑した。  放課後に養護教論にお呼ばれし、今は保健室だ。  ここでの朱莉とのやり取りは少し前のことになるが、薄れることなく心に刻まれている。  いつも元気な彼女が泣く姿が勝手に頭に浮かんで、『大丈夫だよ』と頭を撫でたくなって――――現状にまた溜息が出る。 「はいはーい、近元先生。また意識がどこかに行ってますよ」 「あっ、すみません」 「いーえ」 「それで、どうされたんですか?」  保健室に生徒はいない。丸いイスに座ってお互いに向かい合っている。  養護教論は「これこれ」と手に持っていた紙を広げて近元に渡した。  それはチョコレートのメニュー表で、いつくかが丸で囲まれている。例の高級チョコの件だ。 「何を買ったらいいか悩むかと思って」 「助かりま……す……」  目を通しながら尻すぼみしてしまう。なんて可愛くない値段だろう。世の中にはこんな高いチョコがあるのか。  それでも泣いていた朱莉を放っておかなくてすんだことを考えれば、やはり安い方だ。 「それで近元先生」 「はい」  カサカサと音を立ててチョコ用紙を畳んでいると、ふふふ、と彼女は楽しそうに近元の顔を下から覗き込んだ。 「あの生徒との進展は?」 「えっ」  グシャっと手の中で紙が潰れる。  そんな様子の近元をまた笑い、養護教論は「だってねぇ」と続ける。 「気になるじゃない? 教師と生徒の恋バナだなんて。漫画みたい」 「いや、恋バナとかでは……」 「違うの?」 「えーっと」  ダラダラと背中に見えない汗が流れる。  ここははぐらかした方がいいのか。だがもう相手は泣いた生徒とそれを追いかけた教師をその目で見ているわけで。ここで変に隠しても仕方が無いだろう。それに。 「進展は、ございません」 「えっ、そうなの?」  驚いた様子に、こちらはまた溜息が出た。  もういい。全部話してしまおう。 「俺の方から告白しました」 「なんだ。進展あったじゃない」 「最初は教師として言っただけだと勘違いして、告白だと思ってくれなくて」 「あら鈍感ちゃん」 「そのあともう一度告白したら満面の笑みで保留になりまして」 「フラれたわけじゃないのね」 「ならいいじゃない」と続ける養護教論に「まぁそうなんですけど」と拗ねたような声で返してしまう。 「告白したあとって、普通気まずかったり、変に意識しちゃったりしません?」 「まぁ保留ってことは教師からの告白にドン引きしたわけでもないだろうし、意識はするわよね」 「ですよね?」  同意してくれたことに感謝。それでも肩が落ちる。 「でも全然なにもいつもと変わらないんですよ、あの子」 『近ちゃん、バイバーイ!』 『え……えっと、玖凪さんは今日もバイト?』 『うん! 元気にレジ打ちだよ! ピッピピッピ頑張りまっする!』  筋肉を作る動作をして笑い、それから『近ちゃんも気をつけて帰ってね!』と走り出す。 『ほんじゃねー!』 『廊下は走らずにね。さようなら』 「結婚前提の告白ですよ? もう告白飛び越えてプロポーズですよ教師から。それなのに全然いつもと変わらずに笑顔でバイバイしてくるんですよ? 普通無視とかしちゃいません? 俺が意識しすぎ?」 「それはぁ……ちょっと……悲しいわね」 「あんなに普通にされたら進展したって言えるのか……いや、もうプロポーズしたのは自分の妄想なんじゃないかと」 「妄想だったら私の友人を紹介してあげるわ。いい病院なのよ」 「リアルな話はやめてください」 「ふふふ、ごめんなさいね」  小さく笑ってから「でも」と続けた。 「拒絶されてるわけじゃないなら、いいんじゃない? 気持ち悪いって言われるより救いがあるわよ」 「まぁそうですけど」 「保留って言われたんだから、少しくらい待ってあげなさいよ。大人の男でしょう? 相手はまだまだ子供」 「…………」  確かにそうだ。こちらが拗ねたり焦ってどうする。 「俺の方が子供っぽいですね」 「あら。この世の中に立派な大人なんてどこにもいないわよ」  歌うように言う彼女はまさに保健室の先生だった。 「大人っていうのは、仮面を被るのが少し上手くなって、ズルくなっただけの子供よ」 ~ * ~ 『ズルいから出来ることって、あると思う。怒られたりバレたりしないよう気をつけとけばさ、したいこと出来るじゃん! ならさ、大人のうちにやりたいことやっとくのが、ベリーグッド!』  キャラメルと、恋心。  彼女のことを諦めないことにしたきっかけの台詞。 (俺もそのズルい子供兼大人なわけでして)  近元はビールを数本、いつものスーパーのカゴに入れていく。  一応今晩の晩ご飯用の食材も入っているけれど、おつまみの方が多く感じるのは気のせいだ。  保健室の先生に諭されたように、相手は子供。ここは大人の余裕ってやつを見せてやるべきなのかもしれないけれど、そんな余裕があれば高校を卒業して、教師と生徒という肩書きが無くなってからプロポーズしている。  好きで好きで、余裕なんてどこにもないからほら。 「いらっしゃいま――――って、近ちゃん⁉」 「お疲れ様、玖凪さん」  我慢も出来ず、会いに行ってしまう。  プロポーズで悩ませていたら、困らせていたら可哀想だと思わないこともない。いや、ちょっとは思っている。でも嘘かも。あんまり思っていない。  だって、少しくらい困って欲しい。 ――――近ちゃんにプロポーズされた! ――――どうしよう、どんな顔して学校行けばいい? ――――アタシのことが好きとか、えぇ、困っちゃうな。  なーんて意識して、困って、悩んで、その頭と心の中が近本朔太郎でいっぱいになればいい。  守ってあげたい、幸せしたいという気持ちは決して揺るがないけれど、そんなことを思う自分はやっぱり子供だ。 (じいちゃんに言ったら喜びそう)  むしろもっと攻めろと怒られそうだ。そして自分はその血を引いてるわけでして。 「バイト、疲れてない?」  髪の毛を一本で結んでいる姿はまだ新鮮だ。やはりこの髪型も似合っていると笑顔になっていると、「へぁ⁉」と変な声が聞こえた。 「な、な、なんで来るのさ!」  勿論、正体は朱莉だ。  どこか焦ったように、そして頬を赤く染めている彼女に近元はポカンと口を開けてしまう。  笑顔で保留だと答えた同一人物とは思えない。 「ダメだよ、ダメ。だってさほら、アタシ生徒だし、近ちゃん教師だし、あっ、でも近ちゃんの御用達スーパーなら仕方ないけど、でもでもっ、普通来ないよ近ちゃん!」  ブツブツ呟き、それから目尻を上げて近元を睨む。  その間も器用に商品をスキャンし、しっかり働いている。だがいつもの楽しそうな様子はどこにもない。 「レジいっぱいある! アタシのとこ来ない! ダメダメ!」 「すごい片言だけど」 「もー! そこ突っ込むところじゃないよ! 何で来ちゃうの近ちゃん!」 「出禁にするよ! 出禁出禁!」と言う彼女はやはり誤魔化せないほど頬が赤い。 「あの、玖凪さん。もしかして照れたり、とか?」 「えあっ⁉ だ、だだって!」 「学校じゃあんなに普通なのに?」 「当たり前じゃん! 学校でも照れてたら周りにバレちゃうじゃん! 意識しちゃうのはプライベートのみ!」 「そんな……照れるのを使い分けてるってこと?」 「すごくない?」と続ければ「だってだって」と朱莉は視線を逸らす。 「学校でバレたら近ちゃんが困っちゃうじゃん。だから頑張ってるんですー!」 「……そっか」  拗ねるように唇を突き出す彼女は年相応で、逆に自分がいかに子供かが分かる。  教師が生徒にプロポーズをしたことがバレたら、朱莉が言う通り問題になるだろう。そうならない為にも平然を装っていたなんて、本当にいい子で可愛すぎる。 「ありがとう、玖凪さん」  無意識に手を伸ばし、彼女の頭をポンポンと軽く叩く。瞬間、「わぁあ!」と小さな悲鳴を上げて近元の手を取って、なぜかスキャンを当てた。 「と、とんでもございません! ただアタシが勝手に頑張ってるだけだから!」  それに、それに! 「フツーにしてないと、アタシが恥ずかしいんじゃいてぃやんでい!」 「…………」  保健室で嘆いていた俺よ、プロポーズは妄想なんかじゃなかった。  数時間後に、こんなに可愛い姿を見られるなんて。 (あー、抱きしめたい)  そんなこと出来ないことは分かっているけれど、抱きしめたい。そしたらもっと可愛い反応をしてくれるかも。 (いやいや、ダメだダメだ)  彼女が学校にバレないよう頑張ってくれているのだ。それを自分が台無しにしてどうする。  我慢だ、我慢。 「はい! レジ打ち終わり! もってけドロボー!」 「いや、お金はちゃんと払うよ⁉」  プロポーズの返事は保留。  それでも幸せを感じたひととき――だったけれど。 「なんで泣いた? 動画だけ? ちげぇな。他に何かあったろ涙花」  例のカップルには問題が起きたようです。
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