⑭バカなんです

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⑭バカなんです

~*好きなんだから、仕方が無い。*~ 「ふぁ……」  近元は欠伸で開いた口を片手で隠し、これ以上大きく開かぬよう頬に力を込めて閉じる。  周りには遅刻ギリギリの生徒が走っていて、近元を抜かしていく。  教師が歩いていても気にせず廊下を走っていく彼らを叱るつもりはない。いや、遅刻ギリギリなのは注意しなければいけないけれど、いま遅刻から逃れるために必死に走っているのだ。それを邪魔してまで怒る必要はないだろう。  まぁそう思っているのは近元だけかもしれないけれど。 (そういえば玖凪さんって遅刻したこと全然ないなぁ)  のんびり歩きながら思う。  髪の毛のセットのため早起きしてるから遅れることがないのだろうか。寝坊とかしそうなのに。でも案外しっかりしているのだ彼女は。勉強は出来ないけれど。 (今日はどんな顔してるだろう)  学校では平静を保つよう頑張ってくれているのを知ったから、逆に学校でボロを出させたくなる。我ながら性格が悪い。自分はこんなにも意地が悪かっただろうか。  しかしここは学校で、沢山の可愛い生徒がいる。彼女だけを特別視してはいけない。贔屓してはいけない。 (俺も玖凪さんを見習って教師をやるぞ)  心の声と共にひとつ頷く。すると教室の近くの廊下に例のカップルがいるのが見えた。  手を繋いで二人で遅刻ギリギリか。良きかな青春。  公開告白の噂はもう風に流されたように静かになった。彼らを悪意持っていじるような生徒がいなかったようで、心底安心したのだが。 「涙花、お前――」 「いいの、大丈夫」  どこか険悪な空気をまとっており、あれ? と歩く速度を遅くして二人の会話を聞く。 「何もないから。お願い」 「ごめんね、戌介くん」と言う女子生徒の目元は赤く、泣いたことがすぐ分かった。 「……ごめんねじゃねぇよ」  苦しげな声音で男子生徒の足が止まる。それに合わせて女子生徒の足も止まったけれど、彼を振り返りはしない。 「言えよ」 「大丈夫」 「何が大丈夫なんだよ」  会話すべてを聞いたわけではないけれど、どうやら女子生徒が泣いた理由を男子生徒が聞きだそうとしているのだが、それを答えてもらえないようだ。  確かにあの女子生徒はひとりで悩みを抱えるタイプだ。それを知っているから噂が流れたときは本当に心配だった――――それを朱莉は見抜き、安心させてくれたことを頭の片隅で思い出す。 「…………大丈夫なの」 「だから! どこが!」  ついに叫ぶ男子生徒。  気持ちは分かる。どこか大丈夫なのか。そんな泣きはらした目で、心配するなという方が無理だろう。だがこのまま話していても埒が明かない。  近元は歩幅を広くして二人に近寄り、男子生徒の肩に手を置いた。 「はーい、朝礼の時間だよ」  高ぶった感情を落ち着かせるようにトントンと叩くけれど、これだけでどうにかなるとは分かっている。  それでもこのまま感情的な言い合いをしていたって何も解決しない。 「教室に行こっか」 「俺らサボるわ」 「こらこら」  生徒が教師に言った台詞に小さく笑った。若くて結構。でも冷静にならないといけない。 「浅野さんはサボりたいの?」 「……サボりたくない」  女子生徒は男子生徒と話したくない様子で、ならば尚更だ。 「なら戌介くんだけサボりなさい」  近元は強めに言う。 「手を離してあげて」 「イヤだ」 「なら一緒に教室へ」 「でも」  気持ちは分かる。痛いほど分かる。だからズルいことを教師である自分は言う。 「君だけ面談室に入りますか?」  その言葉に彼はグッと全身に力を込めたけれど、それ以上なにも言うことなく脱力し、ゆっくりと女子生徒の手を離した。  それを褒めるように、先ほどよりも優しく肩を叩く。 「少し落ち着いてから話しが出来るといいね」  そう言って歩き出せば、二人は黙ってついてきた。いい子たちだ。  男子生徒は勿論だが、女子生徒も落ち着く必要がある。  泣いた理由を話したくないのは分かる。言いたくないことがあるのだろう。だがそんな頑なな様子では心配しないなんて無理だ。こちらとの間に生まれた壁を少し崩してもらわなければ。 (昼休みに面談室かなぁ)  それまでに二人が少しでも冷静になってくれれば――――と、思っていたのだが。 「涙花とワン子は帰りましたー」 「えぇっ」  昼食が済んだだろう時間に教室に行けば、迎えてくれたのは朱莉と友達の女子生徒。あの二人はいない。 「涙花が近ちゃんにごめんってさ」 「謝っといてって言ってたよ」と苦笑する友人に、近元は隠すことなく大きな溜息をついた。  サボってもいい。いやダメだけど。でもこの学校という小さな世界にいたくない時だってあるだろう。でも後日理由は聞かせてもらい、もうサボらなくてもいいようにしなければ。  しかしあの二人はいま、少し違う意味でサボっている。 「大丈夫かなー……」  落ち着いて冷静に話せるだろうか。第三者がいなくて大丈夫か。  喧嘩はしていい。言い合いだって必要だ。でもただただお互いを傷つけるだけのことはしてほしくない。 「近ちゃーん。アタシが悪いことしちったー……」 「え?」  朱莉がうなだれながら言う。そんな姿は珍しい。  どうしたの? と聞こうとした口を一度閉じ、そして別の言葉を選ぶ。 「浅野さんと戌介くんがどうしたのか、知ってるの?」 「そこはビミョーだけど、二人が行っちゃった理由はアタシが原因なのです」 「そっか」  選んだ言葉は大人が仮面を被ったズルい子供。 「話聞きたいから、面談室来てもらってもいい?」 ~ * ~  教室よりも狭い面談室。  向かい合って座って改めて朱莉を見ると、落ち込むように少し俯いて視線を落としている。  近元は机に両腕を置いて、「玖凪さん」と覗き込むようにして聞いた。 「どうしたの?」 「涙ちゃんがね、昨日公園で――――」 「浅野さんの話は後ででいいよ」 「へ?」  どういうこと? と顔を上げた彼女に近元は微笑む。 「玖凪さんはどうしてそんなに落ち込んでるの?」 「アタシ?」 「うん」  下がり眉毛で頷く自分はいま、彼女の目にはどう見えているのだろう。  ズルい子供? それとも優しい大人? 「二人のことは勿論心配だよ。話を聞きたい。でもいま聞いても、もうどうすることも出来ないんだ。学校にはいないし、どこ行ったか分からないから追いかけることも出来ない」  だから。 「いま目の前で落ち込んでいる玖凪さんを優先したい」 「近ちゃん……」 「話せる?」 「……うん」  いつもよりも元気がないけれど、柔らかい笑みを浮かべて朱莉は「へへ」と笑った。 「ありがと、近ちゃん」 「いえいえ」 「あのね――」  そして聞いた彼女の話はあの二人についての話と繋がっていて、どうして学校から出て行ってしまったのかも知ることが出来た。 「涙ちゃんに消してって言われたから写真はもう無いんだけど」 「そっか、教えてくれてありがとう」  そう言いながらも、その公園にいた旧友の高校に連絡を入れた方がいいだろうかと考える。  このまま男子生徒が高校に乗り込んだとしたら大変なことになる。けれどもし、女子生徒がそれを止めることが出来たら? ならば逆に連絡をしない方がいい。 (問題になる前になんとかしたいけど……)  だが男子生徒だってバカじゃない。もし本気で高校に乗り込むつもりならば、それ相応の覚悟が出来ているということだ。 「涙ちゃんとワン君、大丈夫かな」  朱莉が不安げな声で言う。  スカートの上で握りこぶしを作るその姿は可哀想だった。でも変な励ましはしたくない。嘘はつきたくない。 「まぁ別の高校に乗り込んで、本気でシメたら大問題だけど」  だから教師としてではなく、ただの近本朔太郎として返す。 「本人だって分かってるんだから、問題を起こすなら起こせばいいんじゃないかな」 「つ! 冷たい近ちゃん!」  ガタンと立ち上がる。 「アタシが写真なんか撮って見せたから、ワン君が問題を起こすかも――」 「写真を見て、それからどうするか決めたのは戌介君だよ」 「でもっ」 「もし問題になったらなったとき。問題になってもいいって思ったのは戌介君」 「まぁ玖凪さんが反省するとしたら」と近元は朱莉を見上げながら続ける。 「その写真を見せていいか、先に浅野さんに聞くべきだったってところかな」 「……うん、それは反省」 「でもその写真がなかったら浅野さんは誰にも言わずに、一人できっと苦しんでたよ。だから結果オーライだと俺は思う」  もしね。 「もし戌介君が問題を起こしたなら俺がしっかり謝るよ。教師として責任を取る。戌介君もちゃんと責任を取らせる」 「退学になったりする? 近ちゃんも先生辞めさせられちゃったりもするの?」 「どうかなぁ。状況によりけり。でも落ち込まないで玖凪さん」  近元は腕を伸ばし、朱莉の腕を取る。そして少し引っ張るようにし「座って」と促した。  渋々というように座り、近元の言葉の先を待つ彼女の目は真っ直ぐで、綺麗だった。 「男はね、好きな女の為に無茶するしバカをする。そういう生き物なんだよ」 「それはよくない」  ムッと唇を尖らせる。可愛い姿に「許して」と笑った。 「男は基本バカなんです」  よくじいちゃんが言っていた。基本男はバカなのだと。幼い頃はその度に彼女のように唇を尖らせたけれど今なら分かる。 「ほら、俺だってバカでしょ?」 「なして?」 「教師なのに生徒にプロポーズした」 「~~~~っ!」  一瞬にして朱莉は顔を真っ赤にし、また立ち上がろうとする。しかしそれを掴んだままの手で押さえ、クツクツと笑った。 「卒業を待てなかったんだよ」 「学校でその話をするんでない! おバカたれ!」 「うん、バカなんです」 「もうっ」と怒りながらも視線を彷徨わせる彼女は可愛い。 (話、上手くずらせたかな)  あのカップルの為に出来ることは無い。自分はこの後に教師としてしなければいけないことはあるけれど、彼女にはもう残っていない。  でも責任を感じてるし、マイナスなことを考え始めたら止まらないことも分かっている。だからもう考えないようにするしかない。  なるようにしかならない、という言葉を使うのは大人が多いかもしれないな、なんて思った。  しかし今回の件で、少し不安になる。 「ねぇ玖凪さん」  あのカップルのことではなく、この子のことで。 「俺のプロポーズ、重かったりする? 困ってたりする?」  どこまでも優しい、この子のことが。
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