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⑮改めましてタイトル
~*我慢した時期が長かったもので。*~
好きな子をいじめるのは、子供のやること。
でも大人になっても案外いじめてしまう時もある――なんて。そんなことこの年になってから知った。
でも本当に苦しませたいわけじゃない。泣かせたいわけじゃない。
ただその視線を、意識を、心を奪いたいだけ。辛い思いはさせたくはない。
自分を大切にしないことで泣いた彼女が繊細な心も持っていると分かっていたけれど、写真のひとつでも責任を感じてしまう部分があるということをいま知った。
(本当にいい子なんだよなぁ)
元気で明るい彼女は、すごく優しい子なのだ。
教師が生徒にプロポーズしたということがバレぬよう、学校では平然を装ってくれるくらい。
プロポーズしても何も変わらない彼女に、少しくらい困ってほしいと思った。悩んでほしいと思った。でも重く思ってほしくない。
「辛くない?」
「…………」
朱莉は目を見開き、それから視線を逸らす。そして掴んだままの手に己の手を重ね、そっと引き剥がした。その動作に心臓が嫌な音を立てる。
「辛くはない。辛くはないよ」
泳ぐ視線から、今度は姿勢を正してこちらを真っ直ぐ見つめた。でもいじけるように唇を尖らせ、睨み付けているそれだ。
こちらを責める瞳に「え……」と近元が身体を引いてしまう。
「ただ、悩んでマス」
低い声。
「悩ませて、ますか」
「そりゃそうだよ」
朱莉はムスッとしたまま続ける。
「アタシは二年間、保留にしたい」
「へ?」
どういうことかと首を捻った。
「に、ねんかん?」
「うん」
だってさ。
「近ちゃん、秘密を作ったり、嘘ついたりとか苦手じゃん? 教師と生徒が付き合ってるってバレたらヤバいのは近ちゃんなわけで、そんなのアタシ絶対ヤだし」
「うん?」
「でもだからといって、二年間待っててっていうのも不安じゃん。その間に心変わりしたって仕方なくない? 卒業したら結婚しようって言っても、待つって大変じゃん」
「ん?」
「だから二年間、心変わりしないでいてくれるにはどうしたらいいかなーって。引き留めるにはどうしたらいいもんか悩んでる。ほんっと困ってる」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
今度はこちらが立ち上がる。
「あのさ、いや、どうだろう。俺がプラスに捉えすぎ? 俺勘違いしてる?」
「どーしたの?」
「……あの、間違ってたらごめんなんだけど」
キョトンと見上げてくる朱莉に、近元はゴクンと喉を鳴らしてから聞いた。
「玖凪さん、俺と結婚して……いや、その前にその、俺のこと好き、なの?」
「へ?」
何を言っているんだ。
そんな表情をしてから、何かを思い出したようにまた一気に顔が真っ赤になる。そして朱莉も立ち上がって「なんで!」と怒った。
「言わなくていいよ! 恥ずかしいじゃん!」
「な、なにがっ⁉」
「すす、好きとか! 改めて言わないでよ! 近ちゃんのあほんだら!」
真っ赤な顔を隠すように手のひらで頬を押さえ、「バカバカ!」と首を振る。それに合わせてクルクルの髪の毛が揺れた。
「アタシが近ちゃんのこと好きなの、百も承知じゃん!」
「えぇ⁉」
それは初耳だと驚くと、朱莉は「なんでなんで!」と、今度こそ手のひらで顔を覆ってしまう。
「近ちゃんに惚れない理由なくね⁉ だって分かりやすいし!」
「そんなこと言うの玖凪さんくらいだけど……」
「生徒思いだし、教師であること大事にしてるし、変に強いし!」
「変に強い?」
「好きになんの、当たり前じゃんかー!」
泣き叫ぶような彼女は耳まで真っ赤で、可愛い以外のなにものでもない。
「~~~~っ!」
近元は机を避けて一歩前へ。そして朱莉のことを抱きしめた。
面談室のドアには『面談中』という札を下げてあるから、近づく人はいないだろう。多分。
「ごめん、知らなかった。全然」
抱きしめながらそう言うと、「なんですと~~い」と蚊が鳴くような声が返って来る。
「俺のこと好き?」
「好きだって言ってるじゃんかすっとこどっこい」
その言葉にキュウと胸が苦しくなる。それなのに肺は酸素に満たされたように開放感がある。矛盾しているけれど、そんなことはどうでもいい。
「俺も玖凪さんが好きだよ」
「学校じゃいおバカんたれ!」
朱莉は抱きしめられながらグリグリと額を近元に押しつける。
どうやら自分は怒られているらしい。その怒りながらも照れているその顔が見たい。でもこれ以上を求めるのは少し可哀想な気がしてやめた。
ぎゅっと抱きしめて「すみません」と一つも思っていない謝罪をした。
「でもさ、プロポーズした時は照れてなかったよね?」
「それは照れる前に、その、嬉しかったから」
「満面の笑みでの保留は俺が付き合っていることを隠せないと思ったから?」
「うん。バレたらヤバいと思って」
しっかりした子だ。それでも。
「プロポーズの返事は、オッケーってことで捉えていいかい?」
「だから学校だって言ってるじゃろがい……」
力なく朱莉は言うも、諦めたように溜息を吐く。そして腕をもぞもぞと動かし、近元の背中に回した。ぎゅっと抱きしめ返してくれる。
「近ちゃんと、結婚したいよ」
「将来農家かもしれないけど、いい?」
「全然おっけ。アタシ頑張って土について学ぶ」
「うん。ありがとう」
分かっているのか分からない返答だけれど、ふざけて返しているわけではないのは分かっている。彼女なりに精一杯考えてくれている。しかし「でも」と不安な声が返された。
「でもさ、近ちゃん待ってくれるの? 卒業まで、アタシのこと、すす、す、き、でいてくれるの?」
恥ずかしがりながらも聞いてくれるそれが嬉しい。
「待てるよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「隠せる?」
「…………」
正直どうだろうと悩んでしまう。
この下がり眉毛で騙されてしまう人は沢山いるけれど、嘘をつくのは苦手だ。
もし『玖凪さんと付き合っているのか』と聞かれたら上手く誤魔化せるだろうか。いや、誤魔化してみせるけれども。
だが教師だから彼女を手放さなければいけないなんて、そんなの絶対に嫌だ。
「朝会ったら、ニコっとはしちゃうかもしれないなぁ」
「それじゃ危ないデス」
バシっと背中を叩かれる。やっぱりしっかりしてるなぁと笑みが零れたところで、彼女が突然ガバッと顔を上げた。
「ひらめいた!」
「おわっ」
驚きによろけるが、その抱きしめる腕は緩めない。
朱莉は嬉しそうな顔で目を輝かせた。
「婚約者っていうのはど⁉」
「ん?」
突然のそれにまたどういうことだと近元が首を傾げると、「婚約者だよ近ちゃん!」と朱莉は続ける。
「付き合ってるのか聞かれても、いないよー! ってなるじゃん!」
「それはえーっと、彼氏彼女じゃないってこと? 婚約者だけど付き合わないってこと?」
「そうそう! それそれ!」
「なる、ほど?」
「アタシ天才!」
ナイスアイディア! と喜ぶ朱莉とは反対に、近元は苦笑した。
付き合っていないけれど婚約者。それはどういう感じなのだろう。もし関係を聞かれたとして、『彼女じゃないよ』と言いつつも本当の関係は『婚約者なんだ』となる?
付き合っていなくても婚約者なら、デートとかはアリなんだろうか――まぁ、大っぴらにデートなんて出来ないが。
(どっちでもいっか)
好きな女の子が自分を好いてくれていて、婚約者にもなってくれる。悩む必要なんてどこにもない。
「じゃあ改めまして」
コホンと咳払いをし、抱きしめる腕をとく。そして近元は朱莉を見つめた。
それに彼女は頭にクエスチョンマークを浮かべたけれど、こちらの真面目な顔にハッとし、それから視線を泳がせる。だが意を決したかのように見つめ返してくれた。
「玖凪さん、あなたが好きです。二年でも三年でも大学卒業後でも俺は待っています。だから俺の婚約者になってください」
まるでテンプレートのように手を差し出して頭を下げる。
好きだと言ってくれた後でも緊張してしまう自分は、小心者だろうか。いや、大事な時なんてきっとこんなものだ。
ドキドキする心臓を抱えながら、返事を待つ。
「……うん」
少しの沈黙のあと、頷く声と握り返される手。顔を上げれば視界には頬を染めて、でも嬉しそうにはにかむ朱莉の姿。
それからいつものように「ニシシ」と笑って。
「しくよろ! 近ちゃん!」
子供が好きで教師になった。小学校の教師でも良かったが、難しい思春期を一緒に悩みながらも青春を謳歌できるように楽しく一緒に過ごしたいと思い、高校を選んだ。
その高校で出会った生徒に恋をして、卒業まで待てずに告白プロポーズ。
クラス替えがあった始業式に教室で公開告白してしまった男子生徒と大して変わらないかもしれない。
でもそこはズルい大人ですからと言い訳をして、でも大人だからズルくいていいんだと開き直ってみる。
それから数年。
教師と生徒の恋愛はバレることなく(一部を除いて)結婚。
それに合わせて実家に戻れば、彼女は「山も川も海も丘も友達だ!」と結婚式で叫んだ通り、楽しそうに農作業を学んでくれている。
今では近元よりも彼女の方が長く畑にいるなんて予想外で、でも嬉しい。
「朱莉ー! お昼だよー! 朱莉ー?」
「あ、朔ちゃーん!」
畑の真ん中で手を振る朱莉に、近元も両手を振り返す。
土がついた手で頬を拭ったら汚れるよと何度も言っているのに、それは全然なおらない。
今日も今日とて土にまみれた顔で星(えがお)を弾けさせる。
「いま行くから世界の中心で待っててー!」
「世界の中心?」
相変わらずの朱莉節に今度は何だと笑ってしまう。
「世界の中心ってどこー! どこで待ってたらいいー?」
「そこでいいよー!」
走って来る彼女はまるで流れ星のよう。
言われた通りそこで立っていると、朱莉は両腕を広げて近元に抱きついた。
「到着!」
「ここが世界の中心なの?」
「そそ!」
近元も抱きしめ返せば「ニシシ」と泥のついた顔で笑う。
「アタシの世界の中心は朔ちゃんだから!」
「…………あ~~も~~っ!」
もう我慢する必要はない。どこに誰がいようと構うものか。
「ほんっと可愛い!」
そう叫んで、思い切りキスをかましてやった。
これ以上、俺に可愛いところを見せないで!(完)
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