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⑥それは犯罪級
~*勘弁してください。*~
スーパーの裏のベンチに座る、近元と朱莉。
近元は背もたれに寄りかかり、空を仰ぎ見る。やはり灯りで星は見えないけれど、それを寂しく思うことはない。
「落ち着いた?」
隣で朱莉が伺うように少しだけこちらを向く。いつもより静かめな声なのは、近元を気遣ってなのだろう。
お腹が痛いわけじゃないと言ったけれど、何があったかは説明していない。君が心配で走って来ましたなんて。ただの教師にそんなこと言われたら気持ち悪いだろう。きっと。
でも玖凪さんなら笑ってくれるような気がするのは、彼女への甘えだろうか。
「うん。落ち着いた」
「……嘘じゃなさそうだけんども」
今度こそ首を傾げて近元を覗き込む。そして顔を見て、うんうんと頷いた。嘘ではないと顔を見て確認したのだろう。
彼女いわく、近元は分かりやすいようなので。
「でもビクったよー。近ちゃん、めちゃくちゃ慌ててるというか、辛そうだったから」
「心配してくれて、ありがとう」
「全然! なんもないならオッケぇオッケぇ」
朱莉は跳ぶようにして立ち上がり、ヒョイと買い物用のマイバッグを肩に掛けた。
服装もいつもと違い、大きめなダボついた白いスウェットに、ジーンズ姿だ。制服ではない。
「バイト、休みだったんだ」
「うい! 本日はお休みお休み。でも買い物に来て良かったー。あんな近ちゃんを一人にしとくわけにはいかんぞい」
「ほんと、心配掛けさせちゃってごめんね」
「ぜーんぜん」
誰かしら、この下がり眉毛を見れば『そんなに謝らないで』と逆に恐縮させてしまうのに、朱莉は胸を反らし、満面の笑みで言った。
「心配はね、沢山したっていいんです。何かあってからじゃ遅いからね。何もないならそれでラブアンドピース!」
「そうだね」
「でしょ?」
つられるように近元も笑う。そして、よいしょと立ち上がった。
「玖凪さん、今日は家まで送ります」
並んで立てば、朱莉はポカンとしてから「問題ナッシング!」とデジャブのようにまたサムズアップ。
「朱莉ちゃん、ここらの道は歩き慣れてるんで」
「学校の近くで不審者が出てさ」
「えぇ! おやおや大変!」
「ちょっと心配だから」
いや本当はすごく心配なんですけれど。
「送らせて」
家は担任の教師として一応把握している。行ったことはないけれど、住所を見れば近所だったからなんとなく覚えているのだ。正確な場所までは分からないが。
「…………」
朱莉はどこかキョトンとした顔をし、それからニシシと小さく笑う。
「近ちゃん、心配しすぎ。それじゃ生徒全員の送り迎えしちゃうよ」
「でも」と続けた。
「心配は勝手に消えないもんだから、いつでもカモーン! お願いいたしやすぜ!」
柔道でも始めるのかという腕を引く姿に、近元も「うす」と真似した。
あれだけ不安で焦っていたのが溶けて、ほわほわと温かく、ぬるま湯に浸かっているような心地になる。
「じゃ、行こっか」
「ほーい!」
幸せって、多分こういう気持ちのことも言えるのかもしれない。
「春の夜ってきもちーね!」
暗い住宅街をゆっくり歩く。
スキップやら跳ぶような歩き方をいつも見ているから、静かに歩く朱莉はどこか新鮮だ。
彼女の言うように、風がふわりと吹く。今日も巻かれた髪の毛は風に揺れている。
「玖凪さんの髪色って、たしか地毛だよね?」
「そうだよん」
「そのクルクルも天然だったりするの?」
お嬢様みたいだと職員室で話題になったそれを聞いてみると、朱莉は片手で髪の毛を束ね、振り回すように回した。
「これは毎朝ヘアアイロン使って巻いてるー!」
「へぇ、そうなんだ。大変じゃないの?」
「大変だよ!」
言葉とマッチしない、弾けた笑顔。なんとなくじいちゃんを思い出す。
住宅街は灯りはあるけれどスーパーほどではない。きっと見上げれば星が見えるだろうけれど、今はこちらの笑顔星を見ていたい。
「大変だけどさ、これ、エレガントで格好よくない?」
「確かに」
うんうん、と頷いた。
「でも可愛いとかじゃないの?」
「ノンノン。王宮貴族エレガントフィーバーだよ!」
よく分からないけれど彼女らしい言葉に小さく吹き出してしまう。
そんな近元に釣られたようにニシシと笑い、「あのね」と続けた。
「毎朝巻いてさ、なんか姫とか位の高い身分やら気分やらになって、『今日もアタシ、イケてんじゃん⁉』って思ったら、一日頑張れそうじゃん?」
「こう、ガッツが入るみたいな?」
「そうそう、それそれ!」
束ねていた髪の毛を、今度は優雅に後ろに流した。
「格好良い朱莉ちゃんの爆誕です」
「はははっ」
ついに声に出して笑ってしまう。
「今日一日頑張れるっていいね」
「でしょでしょ⁉ 近ちゃんも髪の毛パンチパーマとかしてみる⁉」
「俺は似合わないからいいよ」
「そ?」
「うん」
また風が吹き、朱莉のエレガントな髪が揺れた。
バイトの時は一本に縛っている時と印象は全然違うし、巻き方からしても確かにエレガントだ。でも。
「玖凪さんの髪、すごく似合ってるし、貴族的なのも分かる」
「ま?」
「それに、やっぱり可愛いよ」
弾けるような笑顔とそれは絶妙にマッチしていて、チャームポイントとも言えるかもしれない。似合っているし、格好良い。でも可愛いとも思う。
一本に縛っていても、スッキリとした姿も元気な彼女にあっているし、一日頑張れるよう巻いていることを聞いたら、尚更可愛く感じる。
「ん? 玖凪さん?」
ふと隣にいなくなった朱莉に、近元は振り返る。
点々と続く電灯は道しるべで、そのうちのひとつの下に朱莉は立ち止まり――顔を赤くしていた。
「…………」
初めて見るその姿に近元は目を見開く。
彼女は弱々しい声で「いや、そんな、えー」と呟き、それから落ち着かないように首を振ってから、自身の前で両手を振った。
「可愛いのは照れる! 格好良いでいいよ近ちゃん!」
「……いや、可愛い」
「ちょっ、いいってば! 朱莉ちゃんは格好良い県民だぜ!」
顎の下に親指と人差し指を添え、キラリーンと効果音をつける。全然格好よくない。ただただ可愛い。格好良い県民とは何だ。
「家! あそこ! 帰る!」
「えっ!」
突然指さし走って行く朱莉に近元も慌てて後を追う。すると周りの家よりも大きい家があり、「あれ⁉」と驚けば、「あれだよ!」と返す。
二階建ての大きな家。白い壁に、赤い屋根。そして庭付き。
確か父親は海外で働いており、その父親の母が外国人だ。周りとは違う雰囲気の家に、確かに海外混じりだと言われたら頷ける。
そのまま朱莉は走って家のドアまで行き、流石にそこまでは行けないと近元は足を止める。
周りに不審者の影はなかった。無事に送り届けられて良かったと頭の片隅で思う。今はもう可愛いと言われた時のあの反応が可愛くて可愛くて、それが胸を占めている。
そのまま朱莉は家に入るのだろうと思っていたが、ドアの前で止まったまま動かない。するとクルリと振り返り、視線をさまよわせてから近元を真っ直ぐ見た。
「送ってくれて、ありがと。近ちゃんも気をつけて帰ってくだせぇな」
あと。
「アタシは格好良い側の県民だけど、その、可愛いっていうの、も、ありがと」
「それだけ!」と叫び、それから慌てるように家の中へと入っていった。
「グランマただいま!」と同じくらいの大きさで帰宅を告げた声。ドアが閉まればもう何も聞こえない。その扉も分厚いのだろう。
「…………」
近元はしばらく動けず、しかしこのまま家の前にいたら自分の方が不審者だろうと、歩き出す。
しかし。
「はぁああ……」
電灯の下で顔を覆う。
いつだって元気に弾ける彼女のあんな姿は初めてで。
「犯罪級だろあれ」
可愛すぎて、どうにかなる。
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