⑦キャラメルと恋心

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⑦キャラメルと恋心

~*それでいいじゃん。*~  この気持ちが何と言う名前なのか。  数学の教師だけれど、流石にもうそれは分かっていて――あとは、どうするか。  不審者の件は、あれから特に何かが起こるわけでもなく、そのまま風に流されたように消えていった。  特に被害が出ることもなく無くなったそれに、教師陣も一安心だ。  それとは別の、例の可愛さ犯罪級事件(近元が勝手に名付けた)は、大いに胸を締め付けたけれど、何とか冷静さを保って教師面をしている。  ここ数日は出来るだけ朱莉には近づかぬよう、少しだけ心の距離を置いた。いや、教師と生徒としての距離感に戻しただけという方が正しいだろうか。  学校という場で彼女だけ贔屓するつもりはない。だから例え自分がどんな気持ちを抱いていようが、この場ではこうあるべきだと思う。しかし。 (それって結構難しいよなぁ)  点数を甘くするとか、彼女の肩を持つとか、そういうことは絶対にしないけれど、それでも可愛いなぁと思ってしまうことは止められない。  たとえばそう。 「近ちゃんも、お土産!」  旅行のお土産を持ってきてくれた、今とか。 「旅行行ってきたんだ?」 「そうだけど、そうじゃないよ!」 「……どっち?」  素直に首を傾げてしまう近元。その手のひらには正方形のキャラメルと思われるものが一粒。お土産だと渡してくれたものだ。  そう。ただ一粒。特に何とか名物とか、何とかキャラメルとかのパッケージがあるわけでもないので、どこに行って買ったのか全然分からない。 「アタシの趣味って、雑誌に載ってるところに行くことなんだけど、それって近くても遠くてもどこでもオッケなわけなのね」  うんうんと頷く。 「今回は電車に揺られて小さな喫茶店に行ったのだよ」 「そこで売ってたキャラメル!」と満面の笑みで説明され、「なるほど」とようやく理解した。手作りだからパッケージも特にないのか。 「ありがとう。大事に食べるね」 「いいってことよ」  へへんと鼻の下を指でこする姿は、あの照れていた様子なんて想像出来ない。だからこそ胸がキュンキュンして仕方が無いのだが。 「喫茶店はどうだった?」 「素敵だったよ! マスターも気前良く、コーヒーを淹れてくれたぜい!」 「へぇ。コーヒー飲むんだ玖凪さん」  勝手なイメージで申し訳ないけれど、そう呟いてしまえば朱莉は「アハ」と頭を掻く。 「めっちゃミルクと砂糖、いれさせてもらった!」  最初は頑張って飲んでたんだけどと説明してくれる彼女に、飲める飲めないは関係なしに喫茶店に行ったのかと笑ってしまう。まさに猪突猛進型。 「若いって偉大だなぁ」 「およよ? 近ちゃんも十分若いよ?」 「そんなことないさ」  くれたキャラメルを見つめ、コロンと倒してみる。  喫茶店に行って、自分のことを思い出してくれていたのならすごく嬉しい。 「まぁ年齢的にね、まだ若い部類に入るかもしれないけど、学生とかの勢いは無くなるよ」 「そんなもん?」 「そんなもんです」  どこかに足を伸ばすこと。億劫とか、面倒くさいとか。体力とか精神力とか、色々な免罪符というか、言い訳が大人になるといっぱい出てくる。  大人だから遠くにも行けたりもするのだけれど、まず行くのかどうするのか。行けるのかなど、自分自身と相談することが学生の頃よりも多くなったと近元は思う。 「そっかぁ」  朱莉は頷きつつ腕を組む。少しだけ、うーんと首を捻ってから「でもさ」と近元を真っ直ぐ見た。それにドキリと心臓が跳ねる。 「勢いがあるかどうかより、やりたいことがいっぱい出来ると嬉しいね!」 「うん。やりたいことはしたいよなぁ」 「……よく大人ってズルくなるって言うじゃん? 漫画とかでさ」  少しズレたような台詞。でも自分もよく聞くそれを遮ることはしない。 「アタシはさ、それってすっごーい! って思う。ズルく出来るのってさ、正しいも悪いも知ってるってことでしょ? ズルかったら、やることなすこと、こう……誤魔化すこと出来んじゃん!」  騒がしい廊下なのに、彼女の声だけが耳の中へと流れ込む。 「ズルいから出来ることって、あると思う。怒られたりバレたりしないよう気をつけとけばさ、したいこと出来るじゃん! ならさ、大人のうちにやりたいことやっとくのが、ベリーグッド!」  親指と人差し指で丸を作って笑う彼女の髪の毛は、今日もエレガントで可愛い。  近元は朱莉を見て、キャラメルを見て、それからもう一度朱莉を見る。 ――――出来ることが増えるのは楽しいじゃろう? やりもせず無理無理言うのは勿体ないってもんじゃ。 「そうだね」  ぎゅっとキャラメルを握り、微笑む。 「ありがとう、玖凪さん」 「イエア!」  外国人のように返事をし、朱莉はいつものようにニシシと笑った。そしてまた軽快なステップで、「ほんじゃ!」と教室へ戻っていく。  近元ももらったそれを大切に握りしめて歩き出す。  今日もダルいと言いながらも学校に登校し、楽しそうに友達と話す生徒の姿が校内に溢れている。  教師もダルいと言いながらも仕方が無いと通勤し、教師として生徒の前に立つ。  将来の為とか、給料の為とか色々な違いはあれど、きっと子供も大人も大差なくて、結局は同じ人間なのだ。  そうひとくくりにしてしまう近元は、じいちゃん譲りの大雑把というか、色々気にするような性格はしていないもので。  ようするに。 (あー、好きだ)  教師が生徒に恋して何が悪い。  バレなきゃいいのだ。ズル賢くやれば問題ない。 (好きだ、やっぱ好き。あの子、可愛い)  きっと一番難しいのは。 (どうやったらあの子、俺に落ちてくれるだろう)
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